自動思考2009年04月01日 13:02

曇り空 みなとみらい
認知療法は心に伴う病の治療法です。その認知療法に、重要な概念のひとつとして「自動思考」があります。専門家ではありませんので詳しく申し上げられませんが、「何かの切掛けで自動的に想起する考え」と思っていいようです。

例えば、仕事がら雨天の休みのときだけ大好きな映画を観ることが出来る、という経験を繰り返していると、「曇り空を見ていると映画が観たくなる」という条件反射のようなものが出来てきます。

ピッチャーが投げた球に一瞬で反応して、バットを出すかどうか判断し、さらに体全体を上手く使って球を捉える、というようなことも自動思考だそうです。心だけでなく身体の機能全体に対して「思考」と捉えているのが実際的ですね。

さて、インターフェイスをデザインする際にも、この反射的な行動を伴う「自動思考」は大切な考え方ですね。使う方が「自然に使えた」と感じる背景には自動思考が働くからです。
また、自動思考が成立する前と後では、表すべき情報の質が大きく異なります。これはなかなか難しいテーマです。私たちがどのように経験を知識として学んでいくのか、、これを丁寧にひもといていく努力がいっそう必要ですね。

薔薇2009年04月02日 10:32

薔薇 松本
冬の出張先、松本の河原に咲いていた薔薇です。どなたかが植えたものでしょうか、冷たい空気の中で燃えるような赤がとてもきれいでした。

はて、有名な詩があったような、、と歌い出しの「バラの木にバラの花咲く・・」を思いだしました。詩に疎くうろ覚えの私でも詩情を刺激される景色でした。

この詩は、北原白秋のとても有名な「薔薇二曲」です。終わりの二行もいいですね。

 照リ極マレバ木ヨリコボルル。
 光リコボルル。

松本は人と街に趣があり、大きなお城を中心に居心地のよい空気が感じられて好きな所です。

テラスの風2009年04月03日 12:25

テラス ロイヤルハワイアンホテル
「ピンク・パレス」の名で親しまれているロイヤルハワイアンホテルのテラスです。
お年寄りも元気になるハワイの空気の中で、家族でのんびりと贅沢な朝食を戴きました。

そのロイヤルハワイアンがリニューアルオープンしたとのこと。このちょっとレトロなルーフはまだあるのでしょうか。爽やかな風の中へ飛んで行きたいです。。

ロイヤルハワイアンホテル
http://jp.royal-hawaiian.com/

「9歳の壁」2009年04月06日 10:47

「何故、iPodは日本で生まれなかったか」という問いかけに対して、「遅れていた」「日本のメーカーの限界」と解説されることがありました。
しかし、私はこれらの見解とは少し異なるものを感じています。少し長くなりますが、今日はそれを紹介いたします。


「9歳の壁」
最近、時々耳にしますね、教育用語だそうです。
本来の意味は、9歳までの勉強法を間違えるとその後学力が伸びない、という現象を命名したものとのこと。9歳までは計算問題や漢字の書取りなどではなく、考える力をつけるべきなのだそうです。

これを伺って思い出したのは、アメリカのプライマリースクールの教科内容です。知人が子供を連れて渡米した際、日本と比較して2〜3年遅く「幼稚園かと思った」と、最初は戸惑ったそうです。でも暫くすると子供たちがみな活き活きしていて、学校の目標が「勉強が好きになる」事だと分り、安心したそうです。

そう言えば、世界の国別の成績を比較すると小学校ではアメリカはとても低く日本は高く、大学では日本は低くアメリカは高い、とニュースで流れていましたね。

また、言語中枢やその人の精神の特徴は8歳までに決まるそうですね。大人になってから他言語を覚えると、脳の働く部位が異なるそうです。私たち日本人が「L」と「R」の発音が区別出来ないのは脳科学的には仕方のないことだ、とおっしゃる方もいます。
同じように「しんしん」「さらさら」といった音を言語として捉える耳は日本語の特徴で、後から習得するのは難しいそうです。

明日へ続きます。

壁を越える2009年04月07日 23:12

昨日からの続きです。

さて、ユーザーインターフェイスにおける決まり事を「言語」に例えると、その言語を習得する年令がとても重要なことが分ります。言い換えれば、8歳までにどのようなシステムに触れてきたかが、その人にとってのインターフェイスの基本となって行くのです。また、インターフェイスを理解して行く過程は、母国語の特性に左右されることでしょう。

日本語は目的語が動詞の前にくるのが大きな特徴です。同時に同音異義語が大変多いため、文脈がとても大切ですね。これは一つの操作をひも解く順番に大きく関わってきます。

例えば「音楽再生中にボリウムを調整する」という行為は、日本語の順番なら、そのまま
 再生中に→ボリウムを→調整する
になります。
これをこのまま操作手順に置換えて、「現在の状況を変えずに(再生中に)」「操作する対象を(ボリウムを)」「操作する」の様に工夫して行くのが自然だと考えられます。そして、状況毎の操作の文脈を細かくひも解いて行くこととなり、頻度の高い操作は専用のボタンを設けて行くことに通じています。つまりボタンは増え方向です。

対して英語なら、、
 調整する→ボリウムを→再生中に
となりますね。
これは「操作(ボリウム調整)」の種類が大切で、全操作の整理を通じて、出来るだけ理解しやすい全体像を目指すことになります。これは、可能ならボタンは少ない方がいい、という考え方になります。

上記のような言語による発想の違いだけでなく、様々な要素もあわせて、iPodのインターフェイスは日本では必然性が乏しかった、と私は考えています。再生中にイコライザもボリウムも別々の階層を辿ってから操作をするという方法は、日本の感覚ではないですからね。

しかし、iPhoneは全世界で広く受け入れられています。子供の時にどのようなシステムに触れていたか、というインターフェイス言語の「9歳の壁」をなんなく超えて行きました。言語よりももっと本然的な考え方に近づくことが出来たのかもしれません。
愚直にも「自然さ」にこだわったその背景には、普遍性に対する深い洞察があったことでしょう。これはぜひ見習っていきたいですね。

古さの価値2009年04月08日 11:30

中国からの留学生が、デザインについて「創新」という言葉を使っていました。20年以上前の事で、薄情なことに彼の名前も忘れてしまったのですが、この言葉だけはよく覚えています。
デザインは、言うまでもなく「新しい価値」を創造して行くことに意義があります。それを平易で率直に表していて気持ちがいい言葉です。

しかし一方で、新しいことだけに捕らわれているデザインが普通の生活を送る人にとっては意味を持たないことも忘れてはなりません。
アルマーニ氏はこの点を 「誰もやっていないとしたら、やる必要がなかったからだ」 と戒めています。

また、プロダクトデザインの草分けとして知られるレイモンド・ローウィ氏は、人々が受け入れられる程度の革新性を「MAYA段階」と名付けました。使う人たちが理解出来る事が重要なのだと説いています。
新しいことはもとより、使う人が満足して使って下さるか、喜んで下さるかが大切なのですね。当たり前のことではありますが、忘れないようにしたいです。


さて、デザインにおいては新しさと同じように「古さ」も大切です。心地よく感じる街や空間を想像して見て下さい。欧州や日本の歴史ある田舎町や自然豊かなビーチなどはいかがてしょうか?
「昔から変らない事」が、安心して心地よく暮らして行くことにとって、とても大切に思えてきます。これは「普遍性」といいかえた方が分かりやすいかも知れません。
もしそのデザインが普遍性を獲得できれば、穏やかに長く愛されることでしょう。

春の花2009年04月09日 11:08

アイランドポピー つつじ
今年の横浜は花を散らす雨が降らず、うららかな天気が続いています。お花見に出かけられた方も多いことでしょう。私はスタジオまでの通り道、花を眺めながらゆっくり歩いています。

これからゴールデンウィークまでずっと春の花が続きますね。写真はきれいに整備された花壇のポピーです。うしろのつつじもほころび始めました。
新年度もほがらかに過ごして行きたいと思います。

花はなごりの・・2009年04月10日 13:38

川岸の桜 大岡川
昼休みに出ると風にのって花びらがどこからか飛んできました。
桜の満開からはらはらと散って行く様は美しいですね。誘われて足を伸ばしました。

写真は近くを流れる大岡川です。川面の花びらが、波に揺られるたびに陽光を反射していました。

感謝の気持2009年04月13日 10:00

昨日4月12日は、dmc.の誕生日でした。
皆さまにご愛顧賜った8年間は、感謝の思いで一杯です。本当にありがとうございました。
今日からまた一つ一つ前へと進んで参りたいと思います。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。

「くささない」2009年04月14日 15:23

Design は De + sign ですね。
破壊して創造する、を表していると教わりました。語の中に破壊が含まれています。今ある物事を否定してあらたな価値を創造するという行為を端的に表現していて、なおかつデザインの価値の半分は「破壊」にある、と読み取れる事は興味深い事実です。

ところで、若い頃は批判精神が旺盛といいますが、評価されたり認められているものの中の未熟な部分を探り出し、更によりよいものにする力は確かに若い時の方が強いかも知れません。
他を否定することで顕になる新しさ、というものに惹かれていた頃が私にはありました。もっとも私の場合は、自身の力不足の故の焦りも大いにあったかもしれませんが、それでも批判することを通して核心に近づけた、と思う事がありました。

さて、現実のデザインにおいては、どこを破壊してどこを創造して行くのか、、これはとてもセンシティブな問題ですが、切り分けるラインは明解だと思います。
私は「最終的により良くするために受け入れられる否定」という見方で、それを自身の内面で納得して行えるシンプルな心構えとして「くささない」という感情的な言葉に置換ています。

では、くささない、とはどういうことでしょうか、、これは明日紹介いたします。
dmc.
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