「自分ログ」と記憶2009年09月02日 21:56

携帯電話とネットを使ったサービスが盛んですね。画像やコメントを地図に投稿したり、その写真を使って自分の今いる場所から見えているものへアクセスできたり、、ちょっと伺っただけでも便利そうです。
また、情報は共有できることも多く、画像や位置情報の他にも軌跡やその時刻、アクセスしたファイルなどもその範囲になってきました。
これらのサービスに自分の履歴を残して、日記や旅行記の替わりにされる方もいらっしゃいます。

話はそれますが、ウェブサービスの履歴は有用な情報ですから、PCや携帯電話の枠を越えて、包括的になりながら統合されていくに違いありません。
これは既に様々な問題を含んでいますが、利用者自身の「人生のある一部分の詳細な記録」を残すことになります。
もし日常が「自分ログ」として閲覧出来る状態で残るとしたら、、、それは一つの財産と呼べるかも知れません。

「回想療法」というのがありますが、これは懐かしい写真を見たり自身の過去を図化したりする作業を通して、認知症や認知症に伴ううつ状態を改善できるというものです。その人自身の記憶を通して人生を捉え直すことに意味があるようです。
もし「自分ログ」が残されていれば、自分自身を見つめ直すことにとても有用な情報になるでしょう。

ただ、「過去の手紙を捨てるか仕舞うか」といった葛藤と同じように、記録に残したいことと残したくないことがありますよね。これは心の領域です。
やはり、忘れたいことは忘れ、覚えていたいことは形にし、忘れたくても忘れられないものは新たに意味を与える、、というのが心にとってはいいことなのでしょうね。
dmc.
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