私的事情による「場合分け」2010年04月15日 23:18

「場合分け」
この言葉を最初に知ったのは確か高校の数学だったと思います。
 ひとつの質問に対して答えが複数あるなんて数学らしくない!
・・と思ったものですが、あとでこれは便利なものなのだと教わりました。

デザインに限らず、様々な事情が重なり合う課題を解決するために「場合分け」をして、それぞれの場合ごとに問題解決を図り、その解決策同士を比較検討統合する、、というのはよくあることでしょう。
この「場合分け」の仕方は戦略やコンセプトと密接な関係があるはずなので、その後の結果も大きく変わります。

さて、「システムをユーザーの目的に応じて変化させる」という課題のために場合分けを行うことについてです。
実際に多機能な製品のUIを考える際にはさけて通れないテーマですね。

例えば駅の券売機は「設置されている駅からの切符を買う」ということが明快です。UIもシンプルで使いやすいものになるでしょう。
これが「別の駅からの切符を買える」券売機ならどうでしょう?便利かもしれませんし、間違えやすいかもしれません。UIも少し複雑なものになっているでしょう。
さらに「切符以外のものも買える」券売機はどうでしょう?航空券やコンサートチケット、馬券やロトなども買えたら便利です。銀行の入出金も重宝しますね。でも操作にかかる時間は確実に増え、UIも複雑でしょう。
券売機に限らず銀行やコンビニのATMはますます多機能化、プラットフォーム化していく流れは必然のように思います。従ってUIも、複雑さをいかに解決して行くかが大切ですね。
モバイル機器も同じようにプラットフォーム化して、ユーザーはアプリケーションを選択する様になっていますから、共通のUIは「選択肢の提示」に留まり、個別のUIがアプリケーション毎にある、という状況が現在のスマートさなのかも知れません。

こういう時に「場合分け」は効力を発揮します。ユーザーの求めを「目的」「環境」「事情」などで分けて行く事で、きめ細かい気の利いたサービスができます。

気の利いたサービスとは、例えば入金と支払いをしようとコンビニのATMの前に立った時、入出金がすぐ出来る状態にあることです。入出金だけでなく各種チケットなど出来る事全てが提示されている場合と、どちらがいいと思いますか?
便利と思われる反面、不安や居心地の悪さを感じる方も多いと思います。それは「私的事情をシステムが知っている」ことへの恐怖でしょうね。

この感覚の有無は大きいです。しかし技術は確実にそちらに向いています。「私的事情をシステムに伝える」ということが、よりよいサービスを受けるための負担、対価になっていくのです。ネットではすでにそうですよね。(検索やメールの文章が広告や検索結果の品質に貢献しているのですよね)

話が大変遠周りしてしまいました。。
気の利いた店員さんはこちらの事情を少ない時間に感じ取り的確な提案をしてくれます。それは気持のいい事です。
気の利かない店員さんに根ほり葉ほり聞かれた上に的外れの提案をされたら不愉快です。
気持のいい事と不愉快の間には色々とあると思いますが、一つには「こちらの事情を良く知っている」ということだと思います。
UIでこれを目指すなら、「的確な場合分け」だけでなく「私的事情を安心して気持ちよく渡せる仕組み」が必要なのではないか、、と。
難しいと感じながら、興味あるテーマです。
dmc.
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