入口の階段 ― 2010年07月20日 23:59
本日は大阪におりますが、出張のたびに気になる事がありまして、それは移動中何度も乗り越える小さな段差です。
出張で小さなスーツケースを転がすから余計に気になるのですが、街中の段差にもその街の表情があるようです。
詳しい事は存じ上げないのですが、歩車道間や建物の段差は、古くは治水(雨水処理)、最近ではユニバーサルデザインへの配慮があるのでしょう。現在では、何気なく出来てしまった段差は「無くそう」という傾向を感じますし、あえて作った段差、例えば市街地のバンプ等にはその意味がはっきりしています。
余談ですが、バンプのように「アーキテクチャ」を制約として用いる方法は、新しい統制として議論が進められているそうです。
さて、段差に感じるその街らしさ、と申しますのは「入口に作られた小さな階段」です。例えば地下鉄で路面から潜る入口に、数段の階段がついていて、人は一度数段登ったあとにまたおりることになります。
駅内のエスカレーターにも数段の段差がある所、エレベーター前が階段の所もありましたね。
古いビルの入口のようなこのスタイル、大阪で頻繁に遭遇するので、私にとっては大阪のアイコンになっています。
(統計的な根拠のない私見ですので、どうぞご寛容下さい)
この小さな階段は、ユニバーサルデザインの観点からは肩身の狭いものなのですが、建築的経験としてはちょっと面白いです。
大げさに申し上げれば「橋」ですね。神社の参道における太鼓橋のように、一度階段を上ってまたおりる事が「彼岸へ渡ること」を体感させます。
世界はシームレスな方向へ向かっておりますが、シームレスの中には必ず「ひっかかり」が必要になるでしょう。この小さな階段は「ひっかかり」としては充分過ぎるのですけれど、案外大切なものかもしれません。
ユニバーサルに配慮してなおかつ「ひっかかり」として存在出来たら、つまり「この街にきた」を体感させるものになれたら、、そんなことを思いながら、スーツケースを持ち上げておりました。
出張で小さなスーツケースを転がすから余計に気になるのですが、街中の段差にもその街の表情があるようです。
詳しい事は存じ上げないのですが、歩車道間や建物の段差は、古くは治水(雨水処理)、最近ではユニバーサルデザインへの配慮があるのでしょう。現在では、何気なく出来てしまった段差は「無くそう」という傾向を感じますし、あえて作った段差、例えば市街地のバンプ等にはその意味がはっきりしています。
余談ですが、バンプのように「アーキテクチャ」を制約として用いる方法は、新しい統制として議論が進められているそうです。
さて、段差に感じるその街らしさ、と申しますのは「入口に作られた小さな階段」です。例えば地下鉄で路面から潜る入口に、数段の階段がついていて、人は一度数段登ったあとにまたおりることになります。
駅内のエスカレーターにも数段の段差がある所、エレベーター前が階段の所もありましたね。
古いビルの入口のようなこのスタイル、大阪で頻繁に遭遇するので、私にとっては大阪のアイコンになっています。
(統計的な根拠のない私見ですので、どうぞご寛容下さい)
この小さな階段は、ユニバーサルデザインの観点からは肩身の狭いものなのですが、建築的経験としてはちょっと面白いです。
大げさに申し上げれば「橋」ですね。神社の参道における太鼓橋のように、一度階段を上ってまたおりる事が「彼岸へ渡ること」を体感させます。
世界はシームレスな方向へ向かっておりますが、シームレスの中には必ず「ひっかかり」が必要になるでしょう。この小さな階段は「ひっかかり」としては充分過ぎるのですけれど、案外大切なものかもしれません。
ユニバーサルに配慮してなおかつ「ひっかかり」として存在出来たら、つまり「この街にきた」を体感させるものになれたら、、そんなことを思いながら、スーツケースを持ち上げておりました。
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