道具とシステム UIに差2010年12月02日 23:59

先日、機械の「感情」について書きました所、複数の方から反響をいただきました。みなさん、日常的に機械に接しておられる方で、「機械の感情を感じた事がある」とおっしゃっていました。
機械に日常的に触れる事で、機械に個性を感じ、かすかな変化にも気づく感性が研ぎ澄まされておられます。

今日は、その「機械のかすかな変化」を科学的に測定し、エラーになる前に整備を行う事で生産性を劇的に向上させるという、その道のプロの方々とお会いしました。
その方々とのお話の中で強く感じたのは「道具」と「システム」との差です。

ーー「道具」は使うもので使い方は私たちが全て決められるから安心して使える。対して「システム」は使い方を強制してきて何かあった時にカバー出来ず信用出来ない。ーー

例えば自動運転の自動車。
ハンドルを握っていればとっさの時自分の思った通りに回避出来ます。
一方、自動運転の場合、そのシステム自体にエラーがあればドライバーは何も対処する事が出来ないですね。
こういう場面では、上記の感覚はなるほどと思います。

私自身の考えでは、道具とシステムの差は、実はそれほどはっきりとできないのではないかと思っています。
同じものでも深く理解して使いこなせれば身体化した道具と感じられると思います。
人間の生命は遥かに私の理解を越えた複雑なシステムが働いていますけれど、その仕組みを理解することと「人間」を理解することとは違います。
同じように、システムの仕組みではなく意味を理解することが大切なのかも知れません。

さて、その仕組みはユーザーにとって道具なのかシステムなのか、また深い理解を促すものなのか拒絶するものなのか、、このことを深く意識してUIをデザインする必要があると思っています。

過去記事:機械の「感情」を読み解く
http://dmc.asablo.jp/blog/2010/11/26/
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