ノスタルジー2011年01月21日 23:59

電線のクロスロード
ミニ、ビートル、500など旧車のアイコンを今の時代にあわせてデザインし直したものが、受け入れられていますね。
私は以前500に乗っていたのですが、今の500はうまく現代にフィットさせているなぁと思えて嫌な感情はありません。
自動車に限らず、様々なデザインの分野で古いアイコンを引用して成功すれば、郷愁を誘いながら今にフィットして愛されるものになるようです。

どなたの説か忘れてしまいましたが、このノスタルジーには、個人的なもの、社会的なもの、生物的なものの3種類があり、強い魅力をもっているというお話を随分と以前に目にしました。
個人的なノスタルジーとはそのまま自分の思い出との関連ですね。写真のような風景が私は好きなのですが、幼児期に窓から見えていた景色=原風景が影響しているのは自覚出来る事です。
社会的なノスタルジーとは、共有していた時代への郷愁です。映画「ALWAYS 三丁目の夕日」のヒットなどがそれにあたるかも知れません。
生物的なノスタルジー、これはDNAレベルの郷愁、例えば祖先が洞窟で火を使っていたことに由来する灯火への憧れ、などでしょうか。

さて、長く続いた市場が終焉してしまいそうな時、その歴史を正当に継承しながら未来への道程を描くデザインこそが必要でしょう。
その時、上記分類の科学的正当性は判りませんが、ノスタルジーに基づく価値観を慎重に検証しなければなりません。郷愁から捨てられない、といえば浅はかなことなのですが、郷愁はその市場で培われてきた価値観の中にあるため、気付きにくいのです。

例えば「真空管ステレオの音」といいますと、柔らかくて暖かいと思い浮かべる方は多いと思います。しかし実際の良くメンテナンスされた真空管のシステムは、半導体のシステムとほとんど聞き分ける事が出来ません。
「柔らかさ、暖かさ」は郷愁であり、ラジオの受信感度やレコードプレイヤーやスピーカーの性能が下ったり低かったりして印象づけられた、後からできたイメージなのですね。
時代が乗って味になったのか、埃をかぶって古ぼけたのか、、現役の頃の「目指した姿」に寄添って、その視線から見る事が大切だと思っています。
ノスタルジーへの暖かい眼差しと、新しい時代への確かな決意の、その両方が必要なのでしょう。
dmc.
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