平均と普通2011年01月31日 13:54

典型的な美人顔は平均的な顔である、というのは有名な事実のようですね。
先日も芸能人を使ったシミュレーションを見たと家族が言っていました。

虫を使った実験では、左右均等な個体ほど異性から好まれることが証明されているとか。生物として、平均的であるということが最もリスクが少ない、というのはなんとなく合点が行く事ですね。

70年代後半から80年代にかけて、統計から「好かれる色形」を求める手法が模索され、実際に商品化したものもありました。結果は芳しくなく、売れなかったと記憶しています。実際にその商品を見たこともありますが、確かにぐっと来るものではなかったと思います。
もう少し詳しく申しますと、仮説を多数作出し、それらを定性調査し、その偏差値を求め、意図する造形を決定して行くプロセスだったと思います。(細部に間違いがあるかも知れません。)

でもこの失敗が、「平均」ではなく「偏差」を依拠したからだったとしたらどうでしょう。もっと客観的に、新しく仮説を立てるのではなく「既にあるものの平均」をとっていたら全く違う形になったはずです。
当時の感覚として「新しさ」は最重要だったのですから、既にあるもの=過去の平均をとるなどという方法は即座に却下されていたと思います。
それでも冒頭の美人のお話からしますと、平均を探るアプローチはまた違った結果を生みそうな、そんな予感を与えてくれます。

さて、デザインの大きな傾向の一つに「シンプル」がありますね。その流れの先頭を行く方たちは「普通」という言葉をよく使われていると思います。
普通であること。長く広く愛される一つの指標なのでしょうね。

ところで、典型的美人と一人の個性として存在する美しい人との差違は何でしょうか。非完璧さは個性として際立ちそうですね。それから時間による変化とその変化の方向性、そもそもの人間性等々、色々ありそうです。

典型的でありながら、とても魅力的な差違を持つこと。これは一つの究極かもしれません。
dmc.
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