侘助 ― 2011年03月01日 05:41
失われた感性のかわりに ― 2011年03月02日 23:59
現代の西洋文明の道具を使えない密林に住む部族が、驚くほど自然を熟知し、感知し、利用する場面を目の当たりに見ると、彼らの知能が決して劣っているのではないことに感嘆するそうです。
「未開」という言葉がありますが、決して未開なのではなく、環境に則して培われてきた知識体系が異なるのですね。
森に対する深い造詣、状況を察する能力は、狩猟民として生きるために必須なものです。
長く農業と漁業を営んできた私たちは、風を読み船を出すべきかどうか、わずかな季節の移ろいから田植えをすべきかどうか、森の狩猟民とは異なる自然への深い知識と方法を伝えて来ました。
今、これらの感性が急激に失われていると言われています。
例えば、ナビを使うようになって地図が読めなくなってきた、照明になれて暗闇で歩けなくなってきた、魚群探知器になれて海が読めなくなった、、などなどですね。
私たちは失い続けている、と何方かも言っていました。
しかしただ失っているだけなのだろうか、、そういう疑問も浮かびます。
iPadを使いこなす未就学児、ブログを使いこなす小学生を見れば、彼らには私たちにはなかった何かが育まれているようにも思えます。
携帯電話を所持した事のない私の娘たちも、初めて渡された機種でも隅々まで使いこなします、会話しながらブラインドでメールを打てる子供も珍しくありません。
彼らには彼らの世の中を生きて行くための必要なものが備わっている、、そんな風に思えています。
願わくば、人として備わった感性を存分に発揮出来る環境と、新しい時代に必要なものを両立させるものにして行きたいです。
「未開」という言葉がありますが、決して未開なのではなく、環境に則して培われてきた知識体系が異なるのですね。
森に対する深い造詣、状況を察する能力は、狩猟民として生きるために必須なものです。
長く農業と漁業を営んできた私たちは、風を読み船を出すべきかどうか、わずかな季節の移ろいから田植えをすべきかどうか、森の狩猟民とは異なる自然への深い知識と方法を伝えて来ました。
今、これらの感性が急激に失われていると言われています。
例えば、ナビを使うようになって地図が読めなくなってきた、照明になれて暗闇で歩けなくなってきた、魚群探知器になれて海が読めなくなった、、などなどですね。
私たちは失い続けている、と何方かも言っていました。
しかしただ失っているだけなのだろうか、、そういう疑問も浮かびます。
iPadを使いこなす未就学児、ブログを使いこなす小学生を見れば、彼らには私たちにはなかった何かが育まれているようにも思えます。
携帯電話を所持した事のない私の娘たちも、初めて渡された機種でも隅々まで使いこなします、会話しながらブラインドでメールを打てる子供も珍しくありません。
彼らには彼らの世の中を生きて行くための必要なものが備わっている、、そんな風に思えています。
願わくば、人として備わった感性を存分に発揮出来る環境と、新しい時代に必要なものを両立させるものにして行きたいです。
「死なないでいること、生きるということ」 ― 2011年03月03日 23:59
中岡さんは「遠位型ミオパチー」という難病を持ちながら、希少難病の患者を支援する活動をされています。テレビやラジオで紹介されていますので、ご存知の方も多いでしょうね。
このご本、読後に残る明るさが印象的です。
私なら絶望してしまうような状況が綴られていますが、真摯な生への態度、無理しない正直さ、「もしかして楽しんでらっしゃる?」と思ってしまうくらいのさらりとしたユーモアに包まれています。
凄いお方だなぁ。
「死なないでいることと、生きるということは違う」とは、中岡さんの心に生まれたお母様への思いだったそうです。「生きる」ということへの深い思いは、ご自身の中でより研澄まされて、今まさに生きていらっしゃる事が伝わって来ました。
富士登山をされる写真が掲載されていますが、山道は苦しい事がそのまま楽しい事の裏返しなんですよね。今中岡さんは人生の山から遥かな景色を眺めていらっしゃるんだろうなぁ、そんな風にも思いました。
「病気」は私の人生の主役ではない。
主役はあくまで、「自分」なんだ。
中岡さん、かっこいいです!
さて、中岡さんが副代表理事を務めておられる「SORD希少難病患者支援事務局」からこの本を買って頂くと、SORDの活動支援になるそうです。
ぜひ手に取って中岡さんの明るさを感じて見て下さい。
「グラスの底に顔があってもいいじゃないか!」 ― 2011年03月04日 23:59
実は、弊社スタジオのグラスは岡本太郎作なのです。
暖かい烏龍茶などをお出しする際に使っています。
上から。光があたって表情がはっきりと出ていますね。
ノベルティーらしく、普段使いしやすい丈夫さです。
しらなかったのですが、当時は芸術家が「タダのおまけ」に作品を提供することに多方面から反対されたそうです。
でも岡本太郎さんは「タダなんて、なおいいじゃないか!」とおっしゃったそう。
この言葉、凄いです!
35年たった今、ネットでコンテンツがコピーされる状況をご覧になったらなんとおっしゃるでしょう。
想像するしかありませんが、喜々として新しい事にチャレンジされたのでしょうね。
「祝いのカタチ展」 ― 2011年03月07日 17:36
先週末「祝いのカタチ展」を観てきました。
東京は神田錦町の「竹尾見本帖本店」。
カード。
場内撮影禁止ですので、カタログから一点ご紹介。松坂浩良さんの「HAPPYハレハレ」は、お祝いの気持をどんなものでもテープで貼ってしまおう、というものです。
気軽に「おめでとう!」と言えるのは素敵だなと思いました。
展示を一通り観て感じるのは、和のモチーフはしみじみお祝い向きだなぁ、という事です。
ところが、神崎宣武さんの解説を読みますと意外な「祝いのカタチ」の歴史が。紅白が目出度い、というのは随分と最近になってから普及したイメージだったのですね。
そういえば、花嫁の白無垢も明治期のプームだったそうですから、格式ばった場面でも案外移ろいやすいんだなぁ、と再認識しました。
これは私たちの特徴なんでしょうね。
100人のパッケージデザイナー「祝いのカタチ展」
竹尾見本帖本店にて、3月29日までです。
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