明るい未来2011年03月16日 23:59

震災の翌日、近所の見回りをさせて頂きました。一人暮らしのご老人や住居のご状況が心配だった方など、幸い人的被害は無かったです。本当にあり難いことです。
そして、いつも思うことではありますが、何方かを気遣い励ますような事をさせて頂くことで、自分自身が元気になりました。

夜回りで有名な水谷先生が、問題を抱えて夜眠れない子供に、
「夜が明けたらゴミだししている老人のゴミをもってあげて。そしてありがとうって言ってもらおう。どんな小さなことでもいいから、だれかの役にたってごらん」
と言っていたのが忘れられません。

「自らを励ます最大の方法は、他人を励ますことである。」
トーマスマンの言葉だそうです。

今沢山の悲しみがすぐそこにあります。それを前にして口先の励ましが何になるだろう、という思いも理解出来ます。
でも励ますことで励まされ、それによって人は元気になって行く、そういう回路を持っていると思います。
それでも言葉にできない時は黙って祈りをささげましょう。

「祈り」とは、手がまったく出せない状況にあっても私たちができる事です。
祈ったことがない、祈ることが恥ずかしいという方もいらっしゃるかもしれませんが、大切な方が重篤な病気になった時を思い浮かべて見て下さい。
治療をドクターに任せた上で、できる世話をして、仕事などしなければならないことをして、そうして心身を使っている中でも「治って欲しい」という気持が溢れませんか?
ふとした時に出てくる「もうだめかもしれない」という心と闘って「絶対治って欲しい」という強い気持が勝っていく、そんなご経験はありませんか?私はこの強い気持が「祈り」だと思っています。

悲観的な視点から楽観的な意志への転換は時にしんどいことですが、だからこそ人に伝搬するはずです。
だから黙って祈ることに意味がある、と信じているのです。

「悲観主義は気分によるものであり、楽観主義は意志によるものである」
アランのとても有名な言葉ですね。

「運命への諦観との戦い」
これは私の尊敬するある方の言葉です。

私はずっと祈っています。
明るい未来にするぞ!
dmc.
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