はやぶさのカプセル2011年06月15日 23:59

国際フォーラムのミュージアムショップ内でというはやぶさの展示が行われていました。(はやぶさi
はやぶさが地球へ帰還したのは昨年の6月13日。もう一年経ったのですね。皆でドキドキしながら見守っていたのを思い出しました。

はやぶさのカプセル(重量体感用レプリカ)
はやぶさのカプセルの重量体感用レプリカ。約5.8Kgだそうです。
これが重いのか軽いのか私には分かりませんが、予想より重いとおっしゃる方が多いとの事。
手に触れるレプリカはこれしかないそうですので、ご興味のある方はぜひいらして見て下さい。

JAXAのIDカード(映画撮影用)
こちらはJAXAのIDカード。よく見ると映画「はやぶさ/HAYABUSA」の撮影で使われたものでした。

はやぶさを題材にした映画、実に4本もあるのですね。





1はプラネタリウムで上映されていたものを劇場用に改編したもので既に公開され好評を博していました。2はハリウッド制作の豪華版、間もなく公開です。続けて3、4が順次公開されます。
まだまだはやぶさフィーバーが続きますね。

評価不能を越えて ー多様化から正解志向へー2011年06月16日 23:59

「失われた20年」なんて、お世辞にもいい言葉ではありませんが目を背けるわけにも参りません。
この20年で私たちが失い続けているものは経済的なものだけではないでしょう。私はその中で「評価」「判断」「選択」といった、主体的な行動の欠落について思う時、長く続いている傾向に、また自身の振舞いに思いが巡ります。

バブルと言われた時代、価値観の多様化や付加価値が謳われました。商品市場は細分化され、趣向を凝らし、機能を盛込み、華やかさを与え、「気分」や「のり」を大切にして、実に個性的な様々な商品が棚に並びました。
例えばある一部の女性に流行した、くるっと丸めた前髪の為だけの「前髪専用カーラー」の様に、ターゲットとなるユーザーをぐっと絞込んだもの。
また「限定○○台」と銘打った自動車の様に、デザインにファッションを取り入れ、ロングセラーではない形でより深く気に入られることを目指したものなど、いずれもよりパーソナルな価値観に近づこうとしていたと思います。

私は、この多様化を好意的に受取っていました。好景気を背景として様々な価値観が試され、その中から自分自身にあった方向性を見つけ出し、新たに多様な文化を築いて行ける事を思いました。

ところが、実際は逆の方向に進んだようです。

メーカーは消費傾向として家族構成と財布の出所を吟味するようになり「売れる」デザインによりシフトして行きました。
この頃、仲の良い母と娘が同じブランドで揃えるようになったり、家族で出かけられるミニバンが台頭したりしましたね。
消費者も沢山の選択肢の中からより「賢い」消費を求めるようになりました。
賢い消費はやがて「正解」を指すようになって行きます。

ここで、ミリオンセラーのシングル盤を調べますと、80年代(発売日基準)は12曲で、演歌、歌謡曲、ポップスとジャンルが散らばっているのに対して、90年代は174曲。ジャンルは圧倒的にJ-POPが多く、ある一時期に同じミュージシャンやプロデューサーが手がけていることが特徴的です。
(こちらのサイトを参照しました→http://homepage1.nifty.com/shislabo/million/millionseller.htm
私の記憶ですが、一位と二位以下の差が激しいことも特徴的だったと思います。(「春一番」と「およげたいやきくん」のようにヒットの時期が長く重なることは無かったでしょう)
様々な要因があるはずですが、「正解志向」が顕在化したと言えるかも知れません。

(明日へ続きます。)

評価不能を越えて ーもの離れの示唆するものー2011年06月17日 23:59

(昨日の続きです。)

やがてバブルが弾け、メーカーは細分化した商品開発を見直しました。ヒットしない商品は重い負担になるからですね。
その頃提唱されたのが「UDユニバーサルデザイン」です。「皆が使える」と言うのは一つの理想であり、この理想は永遠性を持っていますね。
しかしこの時代のUDは、商品点数を減らすべきメーカーにとっては「大衆の再定義」としても大いに機能したことでしょう。
コスト競争と低価格志向によってメーカーも正解志向に傾いて行きました。

またエコロジーも浸透し始め、「○○にやさしい」という言葉が沢山見受けられるようになりました。メーカーは消費者に配慮を求めるようになったとも言えるでしょう。

このあたりから各種アンケートの上位に「価格」と「デザイン」を多く見かけるようになったように思います。
数年前のことになりますが、ある情報機器はシェアナンバーワン以外は全て赤字という衝撃的なニュースがありました。覚えておられる方も多いことでしょう。
バブルで多様化を経験した消費者に出来るだけ共通の商品で応えて行くためなのかもしれませんが、スペックは正解を、価格は安く、デザインは多様にならざるを得ないのでしょうね。

そしてこれらの背後では「もの離れ」が始まっていました。
今の20代から下の世代は消費意欲が少ない、物を買わないと言われていて、実際に私のまわりにいる若者たちもその傾向を強く感じます。
服は貰ったり交換したり、鞄やポーチは雑誌の付録だったり、外食よりお弁当を自作し、車には乗らず、ガジェットもお下がりを心から喜んでいる、、。

日航の入社式の服装が、20年前と比して均一であることを挙げた記事がありました。正解志向の究極の姿かも知れません。これ以外にも彼らを揶揄するものを散見しますが、私は彼らを責める気はあまりありません。
彼らは、私たちが作ってきた社会の鏡であり結果なんですから。
件の服装の記事も「大人は個性を理解も判断もしないし出来ない」ということを見抜いているからこそ、あの様になったと思います。

かくあるのはそのようにしてきたのです。

彼らはその上の世代が結局は流されてきた市場のコンテクストに強烈にノーを言った初めての世代なのだ、彼らこそブルーオーシャンである、、。これが私の肯定面での認知です。
彼らがときめいていることに目を向けることが出来れば、イノベーションの種が沢山見つけられるのではないでしょうか?

白い露草(常磐露草)2011年06月20日 13:14

常磐露草 ミチクサ
先週末お尋ねしたK先生のご自宅で飾られていました。

雨の時期、しばしの晴れ間にのぞく露草の濡れた姿が愛らしくて好きですが、こんな白い花もあったのですね。

先生は花を飾り、本を読み、茶を嗜み、創作に打込む、、そんな風に過ごされていました。雨もまた楽しですね!

バンダナバックル CMできました!2011年06月21日 16:26

ミサリングファクトリー「バンダナバックル」のCMができました!
ぜひご覧くださいませ!

「骸骨ビルの庭」観劇2011年06月22日 21:29

「骸骨ビルの庭」パンフレット
先週末、劇団文化座公演「骸骨ビルの庭」を観て参りました。
長く味わいの残る見ごたえのある公演でしたので、私の拙い感想とご報告をさせて頂きます。(以下、ネタバレにて失礼します。)


骸骨ビルの庭は大好きな作品です。
ですから、小説と舞台とでは全然別物である、というのは大前提として、あのヤギショーはん(主人公)の一人がたりの作品を、どのように仕立てるのか、という「作り方への興味」と、物語や演出それ自体を楽しめるのかという「没頭」と、観劇後に残る「何か」、、そのようなことを思いながら臨みました。

舞台
俳優座劇場は初めて入りましたが、入口の奥にアメリカンスタイルの、観客以外の客も入れる六本木らしいバーがあって、そこの古さと賑わいが前景としてピッタリだなぁ、いいなぁ、と思いつつ客席へつきました。
BGMが静かに流れているのですが、それが良く聴くと美空ひばりさんなどの昭和歌謡のアレンジになっています。これはあとで、劇への導入であったと気付くのですが、バーの存在とあわせて居心地の良い昭和っぽさに包まれました。

導入
劇は二幕です。一幕目に主人公「ヤギショーはん」の登場、ここで私は驚きました。ヤギショーはんが軽妙なんです。よくしゃべるんです。小説では聞き役の印象でしたが、舞台では物語を進める役どころなのでしょうね。
かつての子供たちは大人の役者が自身の小さな人形を操って表現されていました。
そして音楽と躍りという舞台らしい脚色で戦後の時代背景が語られました。
そうか、こうやって重くなってしまいそうなテーマを料理して行くのか、とにやりとしてしまいました。

登場人物
「ヤギショーはん」以外にも、ほとんどの登場人物のキャラクターは小説とは大小の差はありますが変っていました。(と、少なくとも私は感じました。)
これは近づけようとして近づかなかった、というより、劇中の世界観のためにそうなった、と感じました。しかしここは色々と意見の出る所かも知れません。
逆に、物語の中心人物である「阿部のパパちゃん」と「茂木のおっちゃん」の二人は、小説の中で感じた物を、舞台からも感じる事が出来ました。これは小説ファンとしてとても嬉しかったです。

物語
小説を読まれた方はみなさま、それぞれお好きなサイドストーリーがお有りのことと思いますが、ほとんどが省略され、孤児がいかに生きたか、「阿部のパパちゃん」と「茂木のおっちゃん」の二人の思いは何だったのか、という主題を中心に進みました。それでいいと思いました。
しかし、一つだけ、小説よりも大きな意味を帯びて「せっちゃん」が登場します。
小説を読まれた方でも「せっちゃん」と言われて、あぁあの人物か、と思い当たる方は少ないかも知れません。私自身、なぜ彼女のエピソードにあれほどの時間を割いたのか、最初は判りませんでした。
「せっちゃん」は、みなと食堂で、「ヤギショーはん」がキャベツを刻む時に来たり来なかったりするアルバイトの女の子で、小説にはない、「ヤギショーはん」とのシーンがあります。
これは幕の後にふり返った時、ああそうだったのかと膝を打ったのですが、現代の若者と孤児達との対比だったのだ、あのシーンによって孤児達がいかに幸福であったのかをしみじみと響かせていたのだ、、そう思いました。

クライマックス
物語の後半はとても淡々とクライマックスを迎えます。この淡々とした感じは私には小説に感じていたリズム感を想起させるものでした。
やはり、「阿部のパパちゃん」のノートのコピーが配られるシーンでは涙が堪えられなかったです。しかし舞台の中ではこのシーンはそんなに比重があるとは感じませんでした。そこが不思議です。
それよりもラストシーンです。子供の孤児達が「ヤギショーはん」にある言葉を伝えて幕となります。この言葉は、舞台ならではのカタルシスであり、同時に(せっちゃんとあわせて)原作ファンへのちょっとした謎解きのお土産だったのかもしれません。

それで、冒頭の私の思いに対してですが、、
「作り方への興味」は、とても刺激的で、時間が経ってからなるほどということもあり、見ごたえのある物でした。
「没頭」については、私自身は一幕の終わりから物語に入り込みました。これは小説とのギャップや演出への興味からだと思います。
観劇後の「何か」は、はじめは演出への興味、やがて庭そのもの(といいますかそれが象徴するもの)が残ったように思います。「庭」は進行中は舞台背景のひとつなんですが、全てが終わった後に、その意味あいが出てくると申しますか、、上手く言えません。スミマセン。。


ながながと評論家ぶって気が引けますけれど、、幾重にも折り重なった味わいを一言では表現出来ない私をお許し下さいませ。。

俳優座劇場にて、26日千秋楽。お薦めです。

プレゼントいただきました!2011年06月23日 15:29

先日、知人の誕生日会に便乗して、私も祝って頂きました。
いくつになっても自分の個人的な記念日をネタに集まって頂くのって嬉しいことですね。
H田さん、Hさん、H井さん、S原さん、ありがとうございます!

お祝いに頂いたのは「動物折り紙BOOK」
折紙本
私がペットのインコを可愛がっていることから、ちょっとマニアックなセレクトを。
しかし私が折紙好きなことは特にお話しはしていないのに、、鋭いです。大喜びです。

折紙本
キジとクジャク。
ヒヨコ、カラス、フクロウ、スズメ、、鳥をこれだけ沢山作り分ける本は初めて見ました。

折紙本
早速折ってみました。
インコ(はないので・・)のイメージでスズメを。・・結構難しいです。
本は早々に子供たちに渡り、もっと難しい物を沢山折っていました。
H田さん、マニアックなセレクトありがとうございました!

その後、、娘からも手作りのプレゼントを貰いました。

メモスタンド
三女は時々、アーティスティックな造形を見せてくれます。
親ばかです。

青春!2011年06月24日 23:59

河辺で スカイツリー
蔵前、少し遠回りして川沿いをあるいていたらこんな光景に出会いました。
いいなぁ、、川面に何を見てるのでしょう。

夏至は朝焼け2011年06月27日 23:59

夏至の朝焼け ランドマーク
今年の夏至の日は何年ぶりかの快晴でした。
写真はその日の朝焼けです。

空一杯のオレンジ。綺麗でした。

今年は節電の夏、義務化された事業所は警報器もついて罰金も課されるとか。。タイムシフトで朝焼けを見る機会も増えそうですね。

暑い夏を、少しでも爽やかに過ごせるよう工夫してまいりましょう。

今更ですが「Google音声検索」は凄い!2011年06月28日 12:09

Xperia arc にプリインストールされていたアンドロイドアプリ「Google音声検索」、定番ですので今更ではありますが、レビューを。

Google音声検索
アイコンをタップしてマイクに向かってしゃべりますと、、

Google音声検索
自動で処理を開始、、

Google音声検索
すぐに候補が表れます。体感で1秒前後の速さです。
このブログのタイトル「Designの言葉」も問題なく認識されました。

Google音声検索
(きっと皆さん既にご存知の)便利な使い方。経路検索。
「○○から●●」としゃべると経路が一番上に表示されます。
これ、駅のホームと言うかなり大きな音のノイズに囲まれた環境でもほとんど問題なく使えています。

Google音声検索
「地域名+天気」で天気の確認も。

Google音声検索
お店探しも現在地情報を使って周囲を検索してくれます。
ちなみに「近所の○○」というより、単に「○○」とした方がいい結果がいいようです。

もっと便利な使い方は?、、と検索したら1年半前にすでにこんな記事がありました。ぜひこちらも参照して見て下さい。→「絶対に覚えたい iPhone+Google音声検索・10の技

この音声認識技術は文字入力に使える、そういうアプリも既にあるはず、と思いましたが、こちらは意外と実用化が限られているようで、今日現在、私の機器でメインで使えるものは見つけられていません。
それでも明日には素晴らしいものが出てきても不思議ではありませんね。今後もこんな使い方があるのか!と驚かせてくれるでしょう。


ところで、この技術へのときめきを感じる一方で、複雑な感慨があることも白状しておきます。
日本のデザインの現場から一度は見切られた技術が、海外で大きな価値を得て再上陸、その変貌ぶりにただただ驚く、、この光景は音声認識以外にも、タッチUI、三次元造形にも見たものでした。
これは、技術だけの問題ではないのでしょうね。自己の再認識を冷静に広い視野で行わなければと思います。
dmc.
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