使いやすさを越えて2011年08月08日 23:59

ユーザーインターフェイスデザインにおいて、「使いやすさ」はとても重要で必須要素です。大抵の場合、使いやすさを追いかけて行く中で様々な課題が見つかり、方向性を絞りやすくなると言う観点からも優先順位は高くなります。しかし、そこだけを考慮すると間違いが起こることもあります。
ではどのような場合、使いやすさを疑って見るべきでしょうか?

ひとつは普遍性です。
私自身経験した中では、携帯オーディオプレイヤーの「使いやすさ」は、様々な使用場面を想定して多くの提案がされ、年月をかけて洗練されて、ボリウム以外のショートカットキーを含めてある程度定番化したものでした。しかしiPodのクリックホィールの登場で評価は一変しました。ボタンの沢山ある機種は使いにくいと言われるようになり、iPodは使いやすいと言われるようになったのです。
iPodのUIではメニューの階層構造がシンプルさに受け取られ、各機能間の移動の手数が多いと問題視するユーザーは少なかったのです。これは手数を減らすためにボタンを増やしてきた考え方と根本から拮抗します。
それまで積み上げてきた「様々なシーンでの使いやすさ」を部分最適の集合としますと、iPodは普遍的な全体最適であったと言えるかもしれません。
これは機器のUIが今後ますますモジュール化され様々なインターフェイスに切り張りされる状況にあっては大切な観点と言えるでしよう。

次に、異文化へのシフトです。
日本の大衆車が第三国では高級車だったり、イタリアのコーヒーマシンが日本ではプレミアムマシンだったり、生産国での大衆向け消費財が他国では高級消費財であるという例は多々聞きます。異文化圏に対しては、受け入れる側の価値観によって商品の性格が大きく変わるということでしょう。
異文化であれば当然使いやすさの概念は異なる可能性があります。それを考察した上で、その国の方々にとっての使いやすさがどの程度必要なのか、それ以上に必要な価値はないのか、逆に余計な付加価値(不要に価格をあげている要素)がないのかを探る必要があります。
イタリアのコーヒーマシンは、使いやすさを求めたものよりもイタリア的な外観や美味しいと評判のものの方から入ってきたそうですから、日本人にとっては効率以上に大切な何かがあったと言えそうです。
今後日本の商品を世界に広めて行くためには必要な観点ですね。

それからもう一つ大切なことは、使い勝手の合理性は絶対に必要だということです。商品を含む広い視野での合理性が、それまでの商品の視野での合理性と反する場合がある、ということなのだと思います。

最適を積み重ねる2011年08月09日 23:59

以前から日本の機器のUIの特殊性についてデザインする現場から垣間見えることは、親切心からの最適解を積み重ねて行くことにあると感じます。これは多分に「日本語的」な思考というものが背景にある様に思っています。

良く聞かれる対比として、英語は発音重視言語で日本語は文脈重視言語である、であるが故に日本語的発想は文脈次第でいくらでも解が存在してしまう、というものがあります。
例えば、同音異義語。同じ音で意味の異なる言葉が沢山あります。「わたしはきみがすきです」の「きみ」は「君」「黄身」「公」?・・前後の文章で意味が全く異なりますね。
これは、ひとつひとつの言葉の関連性を絶えず無意識の前提に置くことで初めて理解出来るようになります。これはまた、後から何かが追加される事で意味が変わる可能性をいつも持っていることでもあります。
この「ひとつひとつの要素の関連性を絶えず無意識の前提において、いつでもその意味が変わる可能性を受け入れる」というインプット情報への「態度」が、私たちの特殊性の根本である気がしてなりません。

アーロンチェア、頂戴しました!2011年08月10日 23:59

エルゴノミクスチェアの先駆け、ハーマンミラー社のフラッグシップ「Aeron Chairs 」、ご縁あって弊社のスタジオにやってきました。しかも新品(!)

デザイナーの一人ビル・スタンフは、ハーマンミラーについてこう述べています。(http://www.hermanmiller.co.jp/research/bill_stumpf.html

「この会社は今だに『グッドデザインは単なる儲かるビジネスではなく、グッドデザインはモラル上の義務である』ということを信じているからです。これはプレッシャーです。」

ふむ、なるほど。
決して安い製品ではありませんが、長く使用に堪え、12年という長期間の保証を思えば非常に合理的な価格だと思います。
製品を自信を持って長く作り続けていることと合わせて上記の言葉と符合していると思います。

私も大切に長く使って行こうと思います。

ハーマンミラー社:http://www.hermanmiller.com/

五ヶ月2011年08月11日 23:59

心から震災でお亡くなりになった方の冥福をお祈りするとともに、被害に遭われた方の生活が以前にも増して豊かで幸福に充ち満ちて行きますように、、そう追悼させて頂きました。

その日を横浜で迎えたので、自分が被災者であるという意識はなく、実際に避難することもなくほぼ日常を取り戻しています。しかし、五ヶ月が過ぎようとしてもなお消えないものがあります。
現地の方から「見て欲しい」との声を頂きたった一日ですが被災地を回りました。その時のことは、機会ある毎にお話をさせて頂いております。今はそれだけが具体的にしていることですが、その度に心の底に表れる複雑な思い。これは何なのでしょう、、。
被災者ではないのだけれど、無関係でもないという立ち位置で、ちっとも風化して行かない負の感情。これを私は受け入れ切れていないからかもしれませんが、微かですが確かにあるものとして持ち続けて行くべきなんだろうと思っています。

歩道橋と百日紅2011年08月12日 23:59

百日紅 歩道橋
昨日今日あたりが今年の暑さのピークだったそうですね。確かに今日は本当に暑く、数分歩くだけで体力が奪われて行くのを実感しました。
そんな中、夏らしい百日紅の紅がとても綺麗でした。

植物の枝の出し方の特徴は樹姿に現れて、遠くからでも枝の出し方で樹種が判るようになります。百日紅は幹がくねくねと曲り、新梢(しんしょう・今年伸びた枝のことです)は真直ぐ天をめざし、先端に花をつけます。しかし、木質は柔らかく重みで自然なカーブを描きます。
この緩く曲った枝が太って固い幹となり、翌年また新梢を伸ばすことから、幹はくねくねと曲って行くんですね。真直ぐ行ける所まで進んで花をつけ、次の機会でまた真直ぐと進む。
このあっけらかんとした枝の出し方が私はなんとも言えず好きなんです。
同じような枝の出し方に梅があります。梅はもう少し木質が硬いので、樹姿も厳しさがありますね。

斜張橋の美しいフォルムと百日紅の枝ぶりに、暑さの中ひときわ存在感のある重力を感じてしまいました。

さて、明日から21日までお休みを頂きます。
今年はスタジオの引越準備を兼ねて、10年来の棚卸しをしようと思っています。
皆さま、素敵な夏をお過ごし下さい!
dmc.
クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
「デザインの言葉」 by Fumiaki Kono is licensed under a Creative Commons 表示 - 継承 3.0 非移植 License.