花のサッカーボール2012年03月01日 23:59

花のサッカーボール
日本橋のギャラリーで見かけたフラワーアレンジメント、サッカーボールがモチーフだそうです。

着色した花は、その人工的な色を綺麗に感じさせるのは難しいと思うのですが、この幾何学的な配置とトリコロールが上手くバランスしていて、綺麗だなぁとしばし見とれていました。

椋鳥(むくどり)2012年03月02日 22:30

椋鳥(むくどり)
雀が激減しているそうですが、替って増えたなぁと思うのが烏と椋鳥(むくどり)ですね。
近所では朝と夕に電線とアンテナにどっさり留まっています。昔は益鳥と教えられましたが、今ではすっかり邪魔者扱いになってしまいました。
でもよく見るとなかなか可愛い顔をしていまして、さえずりも悪くないです。雀のようにもう少し間近で見られたらもう少し愛されるのかなぁ、なんて思いました。

再会 写真家 Kuni Takahashi2012年03月05日 23:59

先週末、29年ぶりに再会した高校時代の知人たちは皆、それぞれの分野で第一線にいました。情熱大陸に出てたりアポロシアターに立ってたり、、みんな凄いなぁ。

Kuni Takahashi

その中の一人、高橋くんはいわゆる戦場カメラマンで、仙台出身ということもあり、東北の被災地の取材を続けています。

訊けば、同じ戦場カメラマンでの沢田教一さんに憧れて渡米、この道に入ったそう。奇遇にも私は二十歳の頃、澤田さんの奥様のお話を伺う機会があり、その抱えていらした深い苦悩に若い私は少なからず影響を受けたのでした。

話は飛びますが、1年前の震災で、NHKのニュースをUSTで放送した中学生がいました。またそれをNHKの社員が独断(自身の責任として)でツイッターで広報しました。著作権法違反ではありますが、追認され、民放各局も追従しました。その勇気と知恵と行動力は称賛に値したと思います。
正しい目的に対して有効な手段があればどんどんやるべきだ、、。上の例だけでなく、リッツやザッポスの様な愛される企業の姿としても、この様な心構えを持った社員は歓迎されています。これからの世の中は、もっとこの様な場面があらわれて来るでしょうね。

そこでふと、立ち止まるのが戦場と言う空間です。そこに立った事はありませんので何とも言えないのですが、私にとって「正しい事をせよ」と思ったとして、一兵隊として戦争を放棄するのだろうか、、という素朴な疑問が湧きます。

それが戦争だ、それが世の中だ、それが会社だ。

この引き裂かれそうな断定に「いや待てよ」と声を上げさせる写真こそ、彼らの真骨頂でしょう。

予科練(特攻隊の養成部隊)だった父の話によれば、そこは「生きる事が正義」だと。
高橋くん、戦場に行っても絶対死なないで帰ってきて下さいよ!

Kuni Takahashi


ロシア生まれフランス育ち KUSMI TEA2012年03月06日 23:59

知人が新婚旅行でヨーロッパへ。お土産にこちらを頂きました。

KUSMI TEA
KUSMI TEA です。

KUSMI TEA

KUSMI TEA
黒い方はアールグレーで、茶葉は粒ぞろいの印象。
ベルガモットの香りが缶から溢れています。

オレンジの方はロシアンモーニングというブレンドティーで、黒茶風の香りがします。

ホームページによるとロシアから亡命したクスミチョフさんがフランスで開業したのが始まりで、ロシア風にサモワールで淹れるフレーバーティが好評を博したとか。
確かにロシアンモーニングはサモワールを模して牛乳で煮出した方が、普通に淹れるよりも美味しかったです。

KUSMI TEA
パッケージからもいい香りが。
お土産用の密閉されていない缶ですが、この香りとパッケージならあげるのも貰うのも楽しいですね。

Oさん、ありがとう!

オープンと土着2012年03月07日 23:59

フェイスブックやツイッターなどのSNSに力を得て、アメリカから「オープン」という考えが広まってきています。

実名かつ透明であることを強制するフェイスブックは、これまでのプライバシーのあり方に挑戦しているように見えますし、ツイッターの「なう」に象徴される「共時性」は、全ての人格に繋がる切掛けを与えているように見えます。

しかしその先にはそれぞれが属するコミュニティへのロイヤリティへと突き進んでもいて、「フラットでオープンである事」と矛盾しそうですが、きっとアメリカ的な感覚ではそれは両立する事なのでしょう。

本心では実名や透明性に懐疑的な方たちとお話をしますと、やはり昔ながらの地域コミュニティの「しがらみ」「やりにくさ」「不自由さ」に対して警戒しているようです。私自身共感してしまう所です。
きっと私たちが長く培った「地べたとの関わり」の深さがあるのでしょう。
そう思うと、アメリカは移民の国なのだ、とあらためて感じてしまいますね。

とはいえ、コミュニティへのロイヤリティやきめ細やかさは私たちが培った特質ですから、この「オープンの波」は、私たちにとって大きな機会と出来る気がしています。

超前向き2012年03月08日 23:59

今日、米国コロンビア大名誉教授のドナルド・キーンさんが日本国籍を取得したそうですね。
日本名は「鬼怒鳴門(キーン・ドナルド)」。ちょっと読み難いですが、「怒」がキーンの「ン」と、ドナルドの「ド」をかけているのがしゃれっ気でしょうかね。

キーンさんは、昨年インタビューに応えてこうおっしゃっています。

「不思議なことに、和歌や物語には古来、地震や津波がほとんど出てこない。自然の無慈悲を嘆いて廃虚のまま放っておかないで、何度でもそれまで以上のものを立て直してきた。それが日本人です。」

縄文時代には災害や人口増加の際に木舟で遠く南米まで渡ったという歴史が残りますが、農耕が伝わってからは荒れた地を捨てるということはなくなったのかもしれません。遷都する文化も大陸から来ましたが、かの地ではそのま遺跡となる古都も日本ではそのまま街として続いてますね。

狭い国土の中で育まれた超前向き思考、再認識しました。
昨日に引き続き土地との関わりに気持ちが傾いています。

今日一日2012年03月09日 23:59

もうすぐ一年、、振返れというメッセージが溢れています。当事者であればあるほどその言葉に違和感を覚えるかもしれません。それは何かがあった日ではなく始まった日だからで、それは今も続いています。

苦悩は時間を何倍にも感じさせますが、私も含め津波の被害を直接受けたわけではない方にも、長い一年だった方も多いことでしょう。
それは、広く当事者を強いる事態が続いているからですね。
政治とメディアはもとより、特にエネルギーと科学的知見といった社会のシステムを支えていたものが大きく揺らぎ、その余震が続いています。

社会のシステムは、これまでどんどん加速してきた短期的思考では決められない事ばかりです。中長期といいますか、自身の人生よりも長い時間について深く思慮しなければなりません。それはとても疲れることで、意志的でなければ悲観的な感情論に耳を向けたくなってしまいます。「悲観主義は気分のものである」というアランの言葉が身に沁みます。

しかし長い時間について考える事は自利的な思考では光の届かない距離で、必然的に自他の関わりを考えさせます。考え続けることは「対岸の火事」がいかに自分に関係のある事か、社会を自身の事として捉えると言う思慮を育みます。

私の身近でも少数ですが若者が日本を出ました。その判断がその方にとって正しいかどうかは(恐らく誰にも)判りませんが、自身の人生という長期的視野で行動を取ったことが素晴らしい事と思います。

去年の3月16日に私は「明るい未来にするぞ!」と書きました。希望的な事態を見いだし難いのも事実ではありますが、であればなおのこと、その思いが強くなっています。
そしてそれは今日一日、そのように過ごすということです。今日の積み重ねが一年であり、十年であり、百年ですものね。

過去記事:明るい未来
http://dmc.asablo.jp/blog/2011/03/16/

付加する価値2012年03月12日 23:59

デザインは「付加価値」という表現で、その意義を説かれることがあります。同じ価格同じ仕様の製品でも、デザインをすることで売上が上がったり顧客単価があがる事は多々あります。
この上乗せした金額が「付加された」という意味ですね。

もちろん、デザインに投資する分がありますから、同じ製品と言うのは便宜的な位置づけです。コストと利益の関係が違ってきます。
またデザインの範囲によっては全然違う「商品」になるので、価値を付加するというより、再創造という方が正しいのかもしれません。

ロンドンのビジネススクールに行ったと言う方から「デザイン投資1%増につき利益1%増」と教えていると聞きましたが、数字の真偽は別としましてもデザイン投資が商品にとっては欠かせないと言う認識の現れでしょう。
その見方からも、デザインは商品(ブランド)の骨格を造っていて、後から価値を付加する行為ではないといえそうです。

では何が付加されるのか。
それはその商品が、製品自体だけでなく、製造販売サービスも含めて隅々まで考えられた、理性においても感情においても納得出来る「素晴らしい商品である事」の保証です。

デザインは約束という価値を付加している、と言い直せそうですが、誰もが(限られた条件の中であっても)素晴らしいものを求めています。そこへ最善が尽くされ、実際にその域に達しているものは感動を持って迎えられます。それが出来ているかどうかがデザインに現れてしまうのですね。デザイナーとしてこの事実には真摯に向かい続けなければなりません。

カラフルなコンパス2012年03月13日 23:59

20数年前にお土産に頂いたドイツ製コンパス「Faber-Castell topline」です。
たしか統合前でしたので、80年代後半ですね。色使いがその頃の雰囲気です。

Faber-Castell topline

Faber-Castell topline
半径を決めるこのウォームギア(ネジ)の硬さがよくて、とても使いやすいです。

Faber-Castell topline
パッケージはこんな感じです。右下のレインボーも80年代的。

これを頂いた時の驚きを今でも思い出します。塗装によるグラデの色使いも製品のクォリティもこれを製図用品の市場に投じている事も、当時の日本とは随分と様相が違いました。
どちらがいいと言う事ではありませんが、スポーティさというのでしょうか、机の上に硬質なものが置かれる時の感覚の違いと言うものを感じたものです。

大分出番は無くなりましたけれど、これは今でも気に入っていて愛用してます。
時代の気分をぷんぷんさせながらも、今でも通用するってやっぱり凄いなぁ、、と思います。

いいなぁ、と思うこと2012年03月14日 23:59

デザインを出来るだけ平易に、と思ってはじめたのですが、最近の記事を読み返してちょっと難しいな、、と反省しております。

最も平易で誰でも納得いく言い方はやはり難しいのですが「いいなぁ、と感じるものを作る」のがやっぱりデザインだと思います。

この「いい」と思うものを、今だ見ぬままに想像し、感じ取り、形や仕組みや言葉やサービスに写しとる、、ということですね。

「いい」と思うのって誰でも出来てそれほど難しいことではありません。でもそれをひもといて、ほらねって見せられないと前へ進めないんですね。そのために、自分以外のだれかにとっての「いい」を想像する、その誰かの一人が自分でもある、というのがいいです。

うーん、、やっぱり難しくなってしまいます。修業が足りません。。
dmc.
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