社会的で生理的なデザイン 12012年04月09日 10:37

デザインが近代のものであることは、その源流とされるアート&クラフト運動やバウハウスが、大型機械による大量生産品を問題視することからも明らかだと思います。家内制手工業の時代にはあまり問題にならなかったことが表面化したため、デザインが必要になったと言い換えられるかもしれません。
その表面化した問題とは「酷いものが世の中に溢れる」という状況です。安いから買っちゃうけど素敵なものじゃない、という今でもありがちなことですね。これを良くないと思った人たちが「時代に棹をさした」と言う事がデザインの源流にはあります。

しかし、時代に棹さすとはいいましても真っ向から否定するのではなく、現実的な落とし所を探る「修正・矯正」の立場で、経済活動に貢献してきました。ですので、先日「二つのソリューション」でご紹介しましたように「経済活動の問題解決である」という面と「文明と人間の乖離を埋める活動である」という面が、ともに大量生産品のデザインの価値として成立してきました。

ここで、今とこれからの生活を「修正・矯正」するとはどういうことなのだろうか、とふと疑問が湧きます。
今と言う時代を世界規模でどう捉えるか、これはいつの時代でも難問です。書替えられ続ける過去を再確認しながら、広く深く俯瞰しないとなりません。視座を堅持しながら偏見ないように、、専門家でさえ難しい仕事ですね。でも難しいからと放棄していてはデザイン出来ないように思います。

断片的ではありますが、今を感じさせるSNSやBOPビジネス、デジタルファブリケーションにはデザインがかかせません。
革命にも深くかかわったとされるウェブ発のSNSは、既に上記二つの意味でデザインそのものを内包しています。見方によっては「コミュニケーションのデザイン」そのものなのかもしれません。

以前、10代20代に響くキーワードとして「ソーシャル」「サスティナブル」「シェア」という3Sが紹介されていましたが、これらは「今」を、少なくともある一面では映していると思います。若者は社会の鏡、未来は若者のもの、という常套句には普遍性があるのでしょう。
話は飛びますが、子供たちが自動車より新幹線に惹かれるのはそういう意味があるのかも、、と思います。

さて、、根拠は薄いまま断定的な事を申しあげられませんが、今の時代に棹さすとしたら、社会の前提となっているものが対象となる、それが今とこれからなんだと思っています。もちろん、「修正・矯正」の立場で、よりよくするために、です。

具体的には何をデザインし、修正していく指標は何か、、についてはまた改めて書かせて頂きます。

※「時代に棹さす」は、「時代の流れに逆らう」の意味で用いていますが、本来は「時流に乗る」が正しく、上記の用法は誤用です。
この注記にて修正に代えさせて頂きますのでご容赦下さい。

「人間が本当にどうしようもない存在ならば」2012年04月10日 23:59

「人間が本当にどうしようもない存在なら、中世は終わってなかっただろう」

久米信行さんの恩師、慶応義塾大学の平野絢子教授の言葉だそうです。フェイスブックでMさんのポストから知り、すっかり打たれてしまいました。

悲観的になってしまいがちな状況でこそ、この言葉は効きますね。
勇気溢れる言葉です。

「時代に棹をさす」2012年04月11日 23:59

一昨日の記事で、「時代に棹をさす」という表現を「時代に逆らう」という意味で用いましたが、これは誤用でした。訂正してお詫び申しあげます。

「棹さす」は「流れに乗る」という意味ですので、時代に棹させば「時流に乗る」「時代に流される」というような意味になります。

・・おや、もしかして、、自分の誤りを棚に上げて申しあげるのは気が引けますが、デザインの別の側面を表しているかもしれない、、そんなことを思ってしまいました。
「棹さす」の誤用は「流れとの折合いをつける」というイメージを含んでいて、「デザイン」の「時流との折合いをつける」という側面と符合する所がありますね。

過去記事:社会的で生理的なデザイン1
http://dmc.asablo.jp/blog/2012/04/09/

月日2012年04月12日 23:59

おぼろ月
本日、弊社は創立11周年の節目を迎えることが出来ました。 おかげさまで丸11年、デザインの仕事をさせて頂いております。
ご愛顧下さったクライアント様、叱咤激励して下さった諸先輩方、ご協力下さったみなさま、そして暖かく見守って下さった沢山の友人に感謝の気持ちでいっぱいです。
これからもスタッフ一同鋭意頑努力して参りますので、ご高導賜ります様よろしくお願い申し上げます。

暦の成り立ちからすれば当然ではありますが、「月日」というのは不思議な言葉でして、月が日を束ねています。月と日は、暗と明、静止と活発、陰と陽、死と生、、様々な対比を象徴していますね。顕在化して見える日々の積み重ねが、潜在化した芯となって行く、、そんなイメージを「月日」に感じます。
仮に、時間と供に静かに積み重なったものがあったとしまして、それが、少しでも未来の糧となればこれほど嬉しい事はありません。

これからも月日を重ねられるよう、頑張って参ります!

ひっそり桜2012年04月13日 23:59

人通りの消えた後の桜を観てきました。

桜

桜

桜

桜

桜

日替わりの寒さが桜が行き過ぎるのを引留めるようでした。
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