修理の時代2012年05月23日 13:50

デジタルによる3Dプリントは生産のあり方を根底から覆す可能性がある、と言われています。
「型が必要なく一つから作れる」という特徴から、型では不可能だった入れ子(閉じたカゴと中の鳥)などの複雑な構造が可能となり、またデータを改変することでバリエーションやカスタマイズが容易ということで、様々なチャレンジがなされています。今後どのような広がりがあるのでしょう、私もその可能性を感じている一人です。

今現在見かける一般的なモノは、どこかの工場で一度に大量に作られています。「使われる場所ではない所で一度に沢山作られ運ばれてくる」というものですね。
これが、極端な例を挙げますと、ご家庭のプリンターでこの世に一つだけのものが生産される、ということになったら、生産消費流通の様相が相当変わっているはずです。
もちろん、ここに至るまでには技術的にも制度的にも問題がいくつもあって理想通りにならない所もあるでしょうけれど、大きな流れの向かう一つの姿だと思います。

家庭(または近隣地域)で小さなプロダクトが作れるという流れの中では、大量生産大量消費マインドも変化して行くと考えても不思議ではありません。
例えば、冷蔵庫のポケットが壊れてしまったとしましょう。3Dプリントが当たり前なら、ポケットのパーツの3Dデータをダウンロードして出力するようになります。この時、ポケットを浅くしたり、隔壁を加えたり、カスタマイズが簡単に出来れば、修理が楽しい作業になります。ネットで棚をフルオーダーメイドできる冷蔵庫も登場するかも知れませんよね。
これは一つのものがより長く、愛着を持って使われ続けるという価値観を内包していると私は感じています。これまでの消費のあり方では気付かなかった「好きなものを使い続ける事の喜び」が、高級消費財でなくても実感出来るようになるからです。
今までは「直すより安い」と言われてしまったものでも、直す事が出来れば、使いたいと言う人は沢山いる事でしょう。父からもらった携帯電話、母から受け継いだ炊飯器、、なんていうことも可能性があるのです。

修理が、より価値的で人間的な行いになっていくとすれば、それを支える技術として3Dプリントはかかせないものになるでしょう。
dmc.
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