日本丸 登檣礼・総帆展帆・満船飾2012年07月17日 15:22

昨日は海の日で、硬軟様々なイベントが行われておりましたね。
みなとみらいに停留されている日本丸では恒例の「登檣礼(とうしょうれい)・総帆展帆(そうはんてんぱん)・満船飾(まんせんしょく)」が披露されました。
(総帆展帆と満船飾が同時に行われるのは年二回だそうです。)

日本丸 登檣礼・総帆展帆・満船飾
登檣礼。
船首の号令で、皆で脱帽、大声で礼を。
観衆からは歓声と拍手。

日本丸 登檣礼・総帆展帆・満船飾
ロープに乗って手放しで、、これを荒れた海の上でもやるんですねぇ。

日本丸 登檣礼・総帆展帆・満船飾
そのまま展帆作業に進みます。
帆を縛っているロープをほどいて、おりた後に全員でロープを使って帆を張ります。
「わっしょい、わっしょい」の掛け声が響きます。

日本丸 登檣礼・総帆展帆・満船飾
29枚の帆を張り終えた(総帆展帆)後、国際信号旗を飾って満船飾の完成です。
ここまで約1時間10分の共同作業でした。

この様子を約40秒に縮めたムービーをこちらにアップしましたので、よろしければご覧ください。

次回総帆展帆は8月5日、満船飾は9月17日です。(詳細はこちら

近くに住んでいながら、始めて一部始終を観ました。迫力がありました。

桃色夕景2012年07月18日 23:49

ピンクの夕焼け
先週、梅雨の晴れ間の夕焼けはしっとりした色調でしたが、今日はピンク色が広がっていました。

いよいよ夏!ですね。
みなさま、思い出深い季節にしてまいりましょう。

長い江戸時代の終わり「中国化する日本」2012年07月19日 23:28

與那覇潤(よなはじゅん)著「中国化する日本」です。
引き返しつつ読み続けていまして、現在延べ二回ほど目を通したところです。

長い間私にとりまして近代を知る事が一つのテーマになっているのですが、今まで断片的に集めてきた知識が一つの文脈の中にすとんと収まってしまいました。
あまりに綺麗過ぎますと返って疑わしい、というのは私の穿った見方なのですが、この本が見せている景色はにわかには信じがたいという方もあるかも知れません。それは、そのタイトルが示している「中国化する日本」のことです。

中国化する日本
改めと見ますと、やはり挑発的なタイトルですね。
しかし本書内の「中国化」は、中国が領土侵犯したり統治主体が中国と同じになると言う意味ではありません。

中国化する日本
ではあえて著者が「中国化」と書いていますのは、「可能な限り固定した集団を作らず、資本や人員の流動性を最大限に高める一方で、普遍主義的な理念に則った政治の道徳化と、行政権力の一元化によって、システムの暴走をコントロールしようとする社会」への変化のことだそうです。
これは1000年前の「宋」が世界最初の近代だとする歴史観から見た時、近代化とは即ち中国化である、とのこと。

ふむ。つまり日本はまだ近代ではない、という含意があります。本書では日本はまだ「江戸時代」(再江戸時代化された社会)なのだと強く主張しています。

この「今は長い江戸時代の終わり」という指摘が、一つ一つ納得出来てしまうんですよねぇ。

タイトルに含む攻撃性(=問題提起)が語りの随所に表れていて、そこが読みにくいと言えば読みにくいのですが、若い著者が受験用の歴史観から研究者の間での共通理解(と著者の主張する歴史観)へ判りやすい警句を発していると受取りました。

また何度も読み返しそうです。

「勝手に入るゴミ箱」2012年07月20日 23:11

ツイッターで紹介されていました。放り投げられたゴミの落下地点まで一直線に移動して受取るゴミ箱です。


凄い!! 発想も実現力も脱帽です。
これ、欲しいなぁ。
家族にも買った方がいいと言われました。といいますのは、私良くゴミを投げるのですが、必ず外すんです。下手なんです。でも投げたいんです(笑)
工作キットになってても面白そうですよね。作り方がもし公開されればチャレンジして見たいです。
この方、本当に商品化しないかなぁ。

ペレット燃料のストーブ「P-1」2012年07月23日 23:45

ペレット燃料(おが屑を粒状に固めたもの)による、見目麗しいストーブ「CERA P-1」(ドイツ製)です。先週、調べものをしていた時にみつけました。

ペレット燃料のストーブ P-1
物凄く大きい印象ですが、調べましたら高さ161.5cmでした。
モダンでスカッと大きなリビングに暖炉がわりに設置すると似合いそうですね。

ペレット燃料のストーブ P-1

前面は炎を愛でる耐熱ガラスの燃焼室、そののち追燃焼によって高出力とクリーンな排気、という仕組みのようです。操作は自動化されてるようですが、、一冬使ってみたらどんな印象が残るのでしょうね。

間伐材を使い均質で扱い易いペレットは、C02的に(空気中から捕捉された炭素を燃やすので)ニュートラルなこともあって環境面での期待も大きいようですが、需要が増えればそれはそれでバランスの問題かも知れませんが、、適度な活用が山林の保全に役立ってくれたらとても嬉しい事ですね。

現地で8.000ユーロ前後、日本のメーカーが作ったら
小型高性能化して壊れないものができそうです。

どなたか私にデザインさせて下さいませんか〜?^^;

あらためてZIPPO2012年07月24日 23:34

同居の父母が「最近のライターは固くて火が着けられない」とのことでライターを探しました。子供の火遊び防止の名目で始められた「CR規制」ですね。確かに大人でもちょっと力を入れる必要を感じます。

始めは在庫の百円ライターを探したのですが、製造規制ではなく販売規制なので取り扱いそのものがありませんでした。蚊取り線香などに着火したいのでマッチだとものたりませんし、使い捨てライターだけでなくキッチン用の大きなものまで皆固く重くなっています。

そこで思い当たったのがZIPPOでした。

ZIPPO
パッケージ。

ZIPPO
Made in USAの文字が誇らしげ。

ZIPPO
オイルライター独特の匂い、結構好きです。

これは年寄りでも操作も管理も扱いがしやすく、ちゃんと両手で着火出来ます。素晴らしい。
本体もランニングコストも高価とは言えませんから、これはこれで一つの解なのかも、、と思いました。

父は禁煙して長く私もタバコは喫みませんが、喫煙具の持つ日常の句読点のようなブレークは、なんともいえないノスタルジーがありますね。

1959年の「未来の電話」2012年07月25日 23:51

1959年の広告
資料を整理していましたらこんなものが出てきました。
ウェスタンエレクトリック社によるベル研究所との共同開発の広告(複製資料)です。

「NOT JUST DIFFERENT ... BETTER!」

スタイリングの違いだけでなくベル研究所と一緒にもっといいものを出しますよ、ということですかね。

1959年のものだそうです。
私は電話よりも受話器を持つ女性の手の描写の方が気になったりして。

間(あいだ)2012年07月26日 23:23

樹と樹のすき間
いつも刺激を下さるIさん主催のプライベートな会がありまして、今日も沢山の話題と刺激を頂いてきました。

その会話の中で、あらためて私のテーマを再認識しました。私はいつも「間(あいだ)」が気になっているんですね。

もともとプロダクトデザインを志向していましたが、プロダクトと人との間にデザインの欠落を感じ、UI(ユーザーインターフェイス)デザインに関わる契機になりました。
以前はハードウェアとソフトウェアの間には構造的にデザインが欠けていたこともあり、GUI(グラフィカルユーザーインターフェイス)のデザインを沢山させて頂きました。

ところでGUIはやはりアップルが広めた価値とも言えまして、GUI以外の人とシステムとのインターフェイスはまだまだこれからが楽しみな分野です。(AUI、MUI等々)引き続き「人とモノとの間」「人とシステムとの間」をテーマとして探求していく所存です。

そして、最近ますます気になっている「間」があります。「モノと建築の間」「私のモノと誰かのモノの間」のふたつです。文字通りのスペースデザインの範囲なのかも知れませんが、意図出来ないものの組合せを調和させるたるの視座、もしくはアプローチ法はとても興味深いです。

そこで「居心地の良いカフェ」とか「効率のよいオフィス」等の合目的的な思考を一度停止しておきまして、モノ同士が調和を取る(そのように見える)と言う見方に注意しています。

このイメージは、少し(かなり、かもしれません)飛躍しますが、森を真下から見上げた時のような「樹と樹のすき間」のようなものをイメージします。
樹と樹のすき間は光や風を通し、それを構成する木々だけでなく森全体の利益を生んでいるそうです。
これを樹の意志と見ることには慎重ですが、樹を含む森がその様に進化してきたことには違いないでしょう。(樹は自らの利益のために生分解出来ないセルロースを作っていました。それを分解するバクテリアが現れて現在のようなサイクルが出来上がるのには、恐竜が絶滅してから現在までの時間よりもはるかに長い時間がかかりました。)

・・飛躍のし過ぎは、私の視点が定まっていないからですね。
今はまず「人」をひとつメタに捉える「社会」としてみた場合の振舞いをしらなくては、と思っています。(道は遠い!)

「社会環境単位」2012年07月27日 23:40

今日は横浜国立大学の北山スタジオの学生たちによるプレゼンテーションを拝見しました。
私の住む地域は山坂の多い木造密集地域で、その良さを生かしながら問題点を解決するという課題設定を通して「社会環境単位」を追求するテーマです。今回、地域住民ということでその機会を得ました。

資料にも発言にも「公共」という言葉は出てきませんが、これまでの建築による分断の結果の遺物を公共に益するものに変換する、という視点(問題意識)を強く感じました。
配付されたサマリーには「私たちが求める新しい建築は『繋ぐ建築』である」とあります。
おぼろげながら自意識を再認識した翌日、このテーマでのプレゼンを伺う事に驚きを感じてしまいます。

そして、「繋ぐ」という非物理的な行為を含むテーマを建築という物理的な装置を主体として解決を試みる(これは建築という立場では当然の事なのかも知れませんが)ことにも大いに共感しました。
それは「間」が、それだけで取り出して語る事が出来ないことと共通するからですね。

・・うーん、、昨日から判りづらい言い回しばかりですねぇ。
詳細を後日あらためてレポートしたいと思います。

ナイスエイジング!2012年07月30日 23:45

BMW F650CS
今日、大弛峠(山梨県)の登山口で練馬ナンバーのBMWの650cc(恐らくBMW F650CS)にまたがるカッコいいおじいさまにお会いしました。

お話を伺うとこの型は2代目で、先代は10万キロ走ったところでだめになり、同じ型の全然乗っていない中古を見つけたのだそうです。

これまでもずっと乗っていたそうですが、だいたい5万キロで足腰(足回り系)、8万キロくらいで心臓(エンジン系)がダメになるんだとのこと。

おじいさまと書きましたが、しゃきっとした振る舞い、光る目、大きくて響く声は全然お年を感じません。以前は足腰を鍛えるために走っていたそうですが返って膝を悪くしてしまったそうです。そこで歩くことにしたけれど、歩くのに都会はつまらないから山道を登っているんだよ、とおっしゃっていました。
そして、自分は50代から足腰が悪くなったけどそれはバイクなら5万キロで、今はちょうど8万キロなのでそろそろ心臓がやられるかな、なんて笑い飛ばしていました。
80歳で大型バイクを駆り、高速を200km移動してワインディングを登り、往復4時間の山道を闊歩されてらしたんですね。凄い!カッコいい!!

あまりにカッコいいので記念写真を撮らせて頂きました。またどこかの山でお会いしたいです。
dmc.
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