スケッチの恥ずかしさ2012年10月26日 23:20

皆々様にはとりとめのないお話で恐縮なのですが、私、デザイナーを名乗っておりながら、スケッチってなぜか恥ずかしいんです。
自分が描いているのを見られるのも、描き上がったものを見せるのも、それだけではなくひとさまが描いているのを見るのも気が引けます。
(とは言え、惚れ惚れするような上手の手技には見入ってしまいますが)

これは、私が下手だからだとずっと思っておりました。「至らず恥ずかしい」と言うのは一生無くならないとしましても、どうもそれだけではないということが、最近になって感じられるようになりました。

修行のかいあって、お客様からお金を頂ける程度に描けるようになった頃は(成立していることをよしとして)見せることに抵抗感は薄れましたが、それは見せる事に慣れただけで、スケッチの恥ずかしさは残りました。

何故このようなことを内省するのかと申しますと、今はテクノロジーによって「過程を共有すること」や「積極的に内面を吐露すること」の「善き側面」が認識されるようになったことがあります。
それらをよしとしてなお、過程の公開であり内面の露出であるスケッチには恥ずかしさがあります。

同じような感覚でメイキングビデオは苦手です。
(こちらも上手の仕事は見たいものですが)

一方で、年を重ねますと恥ずかしいということが少なくなっていきます。また大真面目にバカらしいことをやることにはかっこよささえ感じます。
であれば、大真面目にあれこれアイデアをひねり出しているスケッチは、上手い下手を越えたかっこよさがあるはず、、なんですが、やっぱり恥ずかしいなぁ、、。

しかしこれ、私分かったんです。スケッチって根元的に「恥ずかしいもの」なんです。

人が最も創造的な営みである「子孫をつくる」って、どんなに神聖視されても誰かの目に触れるってやっぱり恥ずかしいことですよね(照笑)

私にとりましてスケッチとはそういう類いのものなんです。
しかし逆説的に、「私にとってスケッチはとても神聖な行為だったのだ」と一人ごちて、やっと納得することができました。

(・・・結局自画自賛になってしまいました(苦笑)
dmc.
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