今更ながら「かわいい」について2013年01月10日 23:52

「かわいい」って世界語になっているそうで、実際にフランス語の「kawaii」を耳にしてはっとした事があります。(この件、以前にも書いておりました。)
英語のcuteでもpretyでもsweetでもない、フランス語のmignon(?)でもない何かがあるようです。

デザインの現場でも良く使われますが、その具体的な範囲となりますと甚だ広大かつ変化しておりまして、ですから具体的なイメージを指すには用いにくいものでした。(その点は、「シンプル」とも共通するものがあります。)
余談ですが、その補足として「キモカワ」「オバカワ」なんて造語があるのでしょう。

一方で「かわいくする」方法はある程度一貫性があると感じております。これは言えば簡単で、至らないことです。正解や定番に対して「どのように至らないか」が、かわいさの多様性になっています。(もちろん、その時代の流行りのディティールを取り込むという方法は厳然とありますけれど)

例えば花にはつぼみから開花、満開へと至る過程でそれぞれの形態がありますが、あるプロダクトをかわいく感じるのはそのプロダクトが「つぼみから開花」の形態になっているということです。
うーん、、判りにくい喩えですね。。

別の喩えでは、未熟な者が何かを頑張ってうまくなりかけているときの愛らしさ、でしょうか。
(フォトジェニックでない日本のアイドルがかわいく思えてしまう心理作用はこれかも知れません。)

判りにくくて恐縮ですが、ここは思い切って「かわいいとは、愛せる至らなさ」と断言しておきましょう。

話が飛躍しますが「至らないものへの同情」は万国共通ではないそうで、「フランダースの犬」に感動するのは日本人だけだと聞きました。
私の独断のように「かわいい」が「至らなさを愛する」ことなら、日本的な感覚として語られるいわゆる「あはれ」に通じているのかもしれません。
「至らないものを愛する」というのは倒錯や寛容をイメージしますが、日本はどちらかと言うと倒錯や寛容には幅がないようにも思いますから、「このように至らないものはかわいい」というセオリーがあるのかも知れません。折りに触れて考えて見たいと思います。

ちなみに、至らないことと、わざと崩すことは似ていますが少し違いまして、前者は「かわいい」、後者は「おしゃれ」になるようです。どちらも失敗すると無残ですけれど(苦笑)

過去記事:可愛さ 可笑さ
http://dmc.asablo.jp/blog/2009/07/28/

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