まっすぐ歩く美しさ [スノーアート]2013年01月15日 11:28

Simon Beck's Snow Art
Simon Beck さんのスノーアートです。作品の写真単体をネットで見かけた時はCGかと思い、発信元を検索して確かめてしまいました。今でもこの目で見るまではと疑ってしまいます。
といいますのは、まっすぐ歩くのはとても技術がいる事なのです。それを不定形な斜面にある角度から見て正確な図形を描くなんて、、凄いことです。

ちなみに、フィギュアスケートの「フィギュア」はその名の通り「図形」のことで、氷の上に綺麗な図形を描く事を競っていたそうです。まっすぐな直線、綺麗な円を描くのがいかに難しいか、またそれを尊ぶ感性が伺えますね。

やはり本物を見て見たいですね。

Artist Creates Gigantic Winter Crop Circles Just by Walking in the Snow!
http://ow.ly/gOwLt

https://www.facebook.com/snowart8848

状況の力 ワシントンポストの実験2013年01月16日 14:08

昨日、フェイスブックで多数シェアされていた投稿の動画です。
(私もいいねを押してシェアしました)



一流のバイオリニスト(ジョシュア・ベル)が通勤時間帯の駅で名を明かさず演奏するとどうなるのか、というものです。

共感を拡げたフェイスブックの投稿には(話を感動的にするための)脚色があるようですが、この動画を見ると多数が素通りして行くのは間違いないようですね。

でもこれは、私達に見る目がない(聞く耳を持たない)せいではなく、状況がその場の価値判断を導いていると考えた方が自然だと思います。

例えば駅ではなく、皆がリラックスしにくる公園だったら?場所は同じ駅でも朝(出勤時)ではなく夕方(帰宅時)だったら?大道芸のフェスティバル期間中の歩行者天国だったら?
いわゆるTPOと、そこに集う人たちの心情で大きく変わったでしょう。実際にラッシュ時の駅でもその場の状況にあわせてしかければ皆を巻き込む事も出来てしまいます。



「フラッシュ・モブ」で有名なチャーリー・トッドのプレゼンです。8:47あたりから、ラッシュ時の駅のエスカレーターでのモブシーンをご覧ください。構内の憂鬱な時間がちょっと楽しいひと時になっていますね。
「いい企画は場所にあったものです。その場で行う意義のあるものです」との言葉は説得力がありますね。

立場によって如何様にでも残酷になる事を示した「ミルグラムの電気ショック実験」は極端な例ですが、自分自身の価値観よりも置かれた状況を優先してしまう事例は多いようです。
「状況が価値判断を左右する」のは私たちの本能と言ってもいいのかも知れませんね。

13歳の挑戦 UNREAL2013年01月17日 23:59

unreal
またまたネットの記事からです。
ハロウィーンで沢山もらったお菓子を父親にとられて怒った13歳の少年ニッキーは、父親に「お菓子は体に悪くない」ことを証明しようとしたところから、今のお菓子が如何に体に悪いかを知り、さらに子供が買える値段で安心して食べられる、美味しいお菓子を作るまでになります。(詳細は下記リンクを参照して下さい。)

事業化までには父親とそのコネクションが深く関わっているようですが、それでも「こういうのがあったらいいのになぁ」で終わらせないが素晴らしいですね。
凄いなぁ。

自らが望んで、人が喜ぶもの。
それを見つけて突き進む。
これこそデザインですね。

13歳の少年が作ったナチュラルチョコレートメーカー「UNREAL」が、M&M'S、SNICKERS、HERSHEY'Sのチョコレート市場に挑む。
http://blog.marketing.itmedia.co.jp/saiqos/entry/224.html

公式サイト
http://getunreal.com/our-story/

150Wの裸電球2013年01月18日 23:45

150Wの裸電球 ナショナル製
大掃除のおり、リビングの照明が切れたのを機に電球をLEDに交換しました。
100Wの電球色タイプを選んだのですが、これが予想以上に青くて寒々しく感じてしまい、本来の150Wの裸電球に戻してしまいました。やっぱり電球の光の方が落ち着きます。

LEDの色温度は調整出来ると思うので、もう少しすると体感色だけでなく光りの成分や光り方もそっくりな光源が出来る事でしょう。さらに電球だけでなくハロゲンランプや水銀灯、またオイルランプや薪なども再現出来る様になるのかもしれません。
しかしそれもLEDが普通になったら失われて行くノスタルジーかもしれませんね。

デザインの価値 社会的で生理的なデザイン 22013年01月21日 17:08

以前の記事でデザインの二つの側面(「経済活動の問題解決である」と「文明と人間の乖離を埋める活動である」)をご紹介しました。
それは前提として大量生産があること、それを矯正、修正するのがデザイン(が出来ること)で、その指標は「社会的で生理的なデザイン」である、というところまで書かせて頂きました。

では具体的に社会的で生理的なデザインって?
というところから続きを、、。

結論から申しますと、
a)それが継続する事で社会的な長期的課題の解決に付与する
b)個人が素(スキルや装置等の何かが必要ではない)で接する事が出来る

と、考えております。
aの社会的な課題へのアプローチはネットを用いる場面では沢山見かけます。BOPへの積極的な参加もそうでしょう。今話題のメイカーズの潮流もこの方向性でしょうか。

ただ、ネットにおいてはログインしないで活用出来るサービスは陳腐化矮小化しているように思いますし、ネット外でも「シンプルなサービスを受けるために複雑な手続きをする」という場面は多いように思います。
これはこの5年ほど高齢者や様々な方が住まう地域での活動を通じて痛感したことでもありました。

そこで、bの「素で接する事が出来る」という観点が大切だと考えています。
これは、そのサービスやシステムの複雑さをどこで担うかという問いでもあります。

えーと、、人体改造する事なく、ふらっと何も持たずに出かけて気持ちの良いサービスを受けられて、それが継続する事が社会全体の利益に繋がるという、、夢見過ぎでしょうかね(苦笑)
少なくともガジェットを沢山持ち歩かないと安心出来ない社会はその先への通過点だと思っています。

さて、いかがいたしましょう。

過去記事:二つのソリューション
http://dmc.asablo.jp/blog/2012/03/29/

過去記事:社会的で生理的なデザイン 1
http://dmc.asablo.jp/blog/2012/04/09/
dmc.
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