環境としてのモノ:レイアウトの重要性2024年03月01日 16:01

デザインで飛躍を企むみなさまこんにちは^^

生活環境でモノを見渡す
「モノの群相を環境として捉える」という考え方をもう少し具体的にかみ砕いて見たいと思います。
人とモノの関わり合いを、1対1ではなく、一人の人の生活空間から俯瞰して見ましょう。
まずモノですが、時計を見る、音楽を聞く、ポットを使う、リモコンを操作するなど、さまざまな形や距離感で人の生活に関与しています。それぞれのモノは、何らかの目的を持って選ばれたり受け継がれたりしてそこにあるものです。(その使用を通じて目的が変化することもありますが)一定の目的性を持つことが重要な特徴です。
また、モノには要不要があり、不要になった際には人はそれを捨てたり片付けたりすることができます。つまり、物の生殺与奪は人が握っており、これをモノの「負の絶対性」と呼ぶことができるでしょう。

環境の絶対性
これに対して、環境は与えられたもの、または与える側が意図したものとして捉えられます。本来の意味の環境には負の絶対性は有りません。環境の側に絶対性があり、私たちはただ甘受するしかありません。
しかし、私たちは生活環境を目的に応じて、または要不要によって選択し、変化させていこうとします。住む場所を選んだり、エアコンや家具などを換えたりしますが、これは「環境をモノとして扱う態度の表れ」と捉えることができます。

レイアウトの重要性
さて、モノには一つ一つに目的や必要性がありますが、群として見た時、配置によってその目的性が強化されることがあります。例えば、キッチンで道具が使いやすく並んでいる場合などがこれに当たります。モノが並ぶことでその目的性が相互に強化しあうのですね。
しかし、収納の中に収まっている場合は、モノの目的性も必要性も低くなります。また、飾り棚に飾られている場合は、目的性よりもその人の個性を表現する側面が強くなります。
モノを群として捉えた場合、レイアウト(どこに置くか)が非常に重要であることがわかります。「レイアウトによってその意味や重要性が変わる」というのは、ユーザーインターフェースデザインの基本です。そのUIの基本が、現実の生活空間でも同様の作用を持つというのは非常に興味深いことです。

UIの見方から環境を見渡す、、面白くなってきました。
続きはまた。

モノの環境化:環境への期待値に寄与する2024年03月04日 11:25

デザインで飛躍を企むみなさまこんにちは^^

モノを群相として捉える話を続けています。
語彙を上手く使い分けられているのかちょっと心もとないので一度整理して見ます。

「環境をモノとして扱う」ことと「モノが環境化する」こと
「環境をモノとして扱う」ことと「モノが環境化する」ことは、言葉が似ていますが全く違うことをさしています。以下の意味で使っています。

【環境をモノとして扱う】
環境を意図をもって改変すること。人のモノへの態度をさす。
【モノが環境化する】
モノが配置される場所によって目的性を強化したり失ったり変質したりすること。モノの変質をさす。

環境を意図で満たすことは難しい
まず、前者の「環境をモノとして扱う」の究極は、身の回りのものすべてが意図に沿ってモノで満たす事でしょう。しかし、すべての空間を自分の意図や目的に応じて整理し、生活空間を完璧に構成するのは難しいことのように感じます。知識も経験も必要ですし、気持ちは移ろうものなのでそれを内包させるのはプロの仕事でしょう。
普通の人々は、欲しいと思うものや憧れるもの、いつか試してみたいものを手に入れ、使い、並べ、少しずつ改変していくことで、生活空間が出来て行きます。これが自然な成り行きですし、その過程は楽しいものです。
私自身は、整然とすべてに意図が行き届いた空間には大いに畏敬と美を感じる一方で、雑然としながらもその人の手の届く範囲に全てがあるような空間に強く惹かれます。

モノが環境化する
話は飛びますが、引っ越し先のがらんとした部屋に荷物が沢山入ってきたとたん暖かくなった、ということを経験しました。物理的に空気の流れがかわり、熱容量も変化するからだそうです。(余談。避難所で寒い時には荷物で空気のたまり場をつくる事が有効ですって。)
家具の配置で動線も変わりますから、部屋の環境としての質は、モノの配置や量に影響を受ける、と言えるでしょう。
しまわれたり飾られたりしているモノのいわば「出番がない時」には、大きさや素材や収納性(積んだり倒したりしても壊れずしまいやすい事)が、本来の目的とは別の所で効いてくるんですね。

環境への期待値に寄与する
また、娘たちが小さい時はお菓子の道具が沢山ありました。「○○がつくりたい!」と言った時にその道具や材料がすぐ揃う事が、娘たちにとっては驚きであり私たちにとっては喜びでした。のちに娘の一人が「このキッチンでは何でも作れそうな気がしていた」と言いっていました。これは娘の経験が「環境への期待値」を高めたのでしょう。これをモノの側から見ますと、「しまわれたモノたちが環境への期待値に応えた」とも言えそうです。この「環境への期待値に寄与する」は、モノの捉え方の一つとして大事かもしれません。

一つの物をデザインする際には、全ての空間の意図を考慮することは不可能ですが、その物を手に取る人が何に魅力を感じ、どのように生活の中に取り入れ、また不要になった時にどのように扱われるかを想像することは楽しく、また必要な作業だと思います。この思考過程で、モノを群として、環境として捉えるという視点は大切だと改めて感じています。
ちなみに、生活環境を整えるチャンス、具体的には家を買ったりリフォームするタイミングでは、プロの知見を活用して、目的のある空間と無目的な空間を上手くミックスし、自分たちに馴染んでいく過程を楽しんでいただければと思います。

環境への期待値:家の性能2024年03月06日 18:25

デザインで飛躍を企むみなさまこんにちは^^

モノを群相としてみてみると、モノが環境への期待値に寄与する、という視点に気付いたというお話しをしました。この話の「環境」は主に生活の拠点のことですので、つまり「家」ですね。

家の性能
建築家の知人によると、日本の民家は蒸し暑い夏をいかに楽に過ごすかを考え抜いた造りをしているそうです。日を遮る長いひさし、湿気を逃がす縁の下、風通し良く面積を調整できる部屋、煙が上に抜けて行く屋根裏、、夏の炎天下での生産性が生活に直結していた時代に出来上がった様式なのだ、と。なるほどと思います。
それでは冬はどうでしょう。それぞれの地域に根ざした冬装備がありますが、熱源の周囲で暮らす様式がその土地の風土に合わせて発達しました。囲炉裏やこたつ、ストーブのまわりに集まって手仕事をする姿は、リアルではしらない世代でも容易に想像出来るでしょう。冬は寒いと言われる日本家屋でも、火が家の中にある暮らしの心地良さがありました。
ただ、家の中から火が排除される過程でも、日本の家の性能(断熱性や遮音性など)は旧来のままでした。

ちょっと検索して見ますと、日本の家の断熱性能が世界でもダントツに悪く資産価値も低くなる、という話がでてきます。(参考1,2,3
エネルギー政策的に規制を強化して行く流れもありますす。(2025年4月より省エネ基準適合の義務化PDF

規制強化の流れは、省エネと資産価値の文脈だけでなく、断熱性能が上がった家での暮らしがどう変わるのかにも触れられていますね。
その視点、暮らしがどうなるかというところを「環境への期待値」としてイメージしてみましょう。

性能アップがライフスタイルを変える
断熱性能の上がった家では、、
・家の中の多くがここちよい場所となるため、くつろいだり何かをつくったり楽しんだりする場所の可能性が広がる
・温度変化を気にせず室内を移動出来るので服装の自由度が広がる
・疲れたり体調が悪くなった時も家のどこでも過ごせるのでストレスが少ない
・居場所が固定されにくいのでコミュニケーションのかたちが広がる
ちょっと考えただけでもライフスタイルを変えて行く事が想像出来ます。

おまけ:義務化のその後
さらに、断熱性能と有病率の相関を示す論文がありました。PDF 断熱性能が高い家に引っ越すとがくっと病気になりにくくなるんです。凄い。エネルギーと安全保障だけじゃなくて医療費とか労働力とか、かなりの底上げになるんじゃないでしょうか。
実は既に、断熱性能の新基準が策定されております。義務化される「基準値」を数値的にクリアされる技術も沢山出てきています。
市場性を考えますと、費用対効果の高い技術から普及して行くと思います。それは自然な流れなのですが、「初期値が高いだけ」「快適性に欠ける」「修繕不可」「環境負荷の懸念」なものもちらほら。これは、思ったほど恩恵を感じなかったり、数年で性能が落ちたり、未知の公害の起因になったり、、と良からぬ傾向も。
在来の素材、技術の中から、住む人のためになるものを選べる目利きの存在が大切になってくるでしょう。

モノを群相で捉えた時に見えてくる「環境への期待値」と言う視点は、環境そのものの本質に迫れるという話でした。

環境への期待値:転べる道路2024年03月08日 10:47

デザインで飛躍を企むみなさまこんにちは^^

ここのところ、モノ→モノの群→環境への期待値と、モノとして扱う視点の「焦点の範囲」を広げて考える話をしています。その流れの中で前回は「家の性能をアップするとライフスタイルが変わる」という話をしました。この話は、ごく普通の常識的なことですので、驚きはないと思います。しかし、一個人がモノとして扱う視点をもったまま、その個人の意図の及ぶ範囲を超えて行こうとする思考は、今まで「前提」としていた(家の性能のような)固定的なものを考え直す機会を与えてくれるのが良いところだと思います。

神の視点と人の視点
既に確立されている「環境デザイン」「都市デザイン」にとって「大局的な視点から環境を扱うこと」は大切です。この大局的なものの見方を便宜的に「神の視点」として、一個人からの見方を「人の視点」と言い分けてみます。
神の視点発想のデザインと、人の視点発想のデザインがあり、どちらも使い分けるのが大切な事は言うまでもありません。
もしそこに、固定的なものかある場合、それは「人の視点」からは「当たり前」のこととして見えてきます。当たり前過ぎて見えなくなっていることもありますが、その「当たり前」を見つけるのはちょっとしたコツをつかめば出来るようになります。ですので、「固定的ではあっても変える必然性のあるもの」は、人の視点発想からの方が見つけやすいと私は感じています。

生活圏の延長としての「道」
話は飛びますが、大人になって子どもがうまれ、公園で遊ばせたりするようになると、子どもが土や草の上で転ぶのと、アスファルトやコンクリートで転ぶのとでは段違いの差がある事が改めてよくわかります。自分の子どもの頃のことを思い出して見ますと、家の周囲の砂利道で転ぶとすりむいた所に砂が入りとても痛いのですが、それよりコンクリート舗装の駐車場で転んだ方が、すりむくだけでなく全身がずきずきと痛くて嫌でした。子供心にコンクリートは怖いと思ったものでした。子育てから親の介護に携わる間に、「道の危なさ」については色々と身にしみていきまして、そもそも人が使うモノとして「道」は「人」にフィットしていないのではないか、、そんなことを感じたのでした。

転べる道路
「人の視点発想」でみますと、家の周囲の道を生活圏の延長として捉える事が出来ます。前回の「家の性能を上げる」のように、「家の周囲の道の性能を上げる」という考え方は出来るでしょうか。またそれはどういうことなのでしょうか。
まず「神の視点発想」は全体最適を目指します(目指すべきですよね)。それに対して「人の視点発想」は現場での最適(部分最適)を志向します。全体最適と部分最適はしばしば衝突します(「合成の誤謬」等が知られています。)が、ここではまず人の視点にたって見ます。
家の性能を上げる考えでは、結果的に人が安全に健やかに過ごせることが分かりました。道路の安全というと交通安全を考えてしまいがちですが、それは「道の性能」だけではなく、ルールと運用の話にもなってしまいます。ですので、道にとって「人が安全に健やかに過ごせる性能」とは、"路面の性能"が安全や健康に寄与する事と、ひとまずは言えるでしょう。
そう考えますと「柔らかく転んでもダメージの少ない路面」が良さそうです。これはデザインの前提のひとつである「人の失敗を許容する」という視点にも合致しています。
転んでもよい道なら、つかまり立ちのあかちゃんも、リハビリ中のおじいちゃんも、家の外で歩くことのハードルが下がります。そして道を歩くこと自体が楽しくなるでしょう。

GREEN CANAL
このようなことを2005年頃から考えるようになりました。人の視点発想を出発点として、神の視点発想と行き来しながら思案したアイデアを、2020年に一度まとめたものがあります。(GREEN CANALプロジェクト・英文PDF

GreenCanalProject_2020dmc-1

この「GREEN CANAL」は、都市の災害軽減とオアシスの創出を目的とした美しい道路の構想です。道路が人々の生活を支え、喜びを提供する美しい水路のようになることを願って名付けました。
この「路面」は、柔らかく水を透過する表面、適切な表土と透水性の下土、水分を保持する層、衝撃吸収と地震隔離の技術を利用して、都市のヒートアイランド効果を軽減し、洪水を減少させるなど、都市災害を軽減させることも期待しています。
一方で、車の性能を最大限に引き出せない、インフラのためのスペースが限られるなど、デメリットもあります。しかしその「GREEN CANAL」のデメリットこそが将来の革新の出発点でもある、という見方をしています。(詳細は後ほど)

GREEN CANAL:美しく、安全で、人々のオアシスになる2024年03月11日 10:49

デザインで飛躍を企むみなさまこんにちは^^

前回ご紹介した「GREEN CANAL」、概要をお伝えしますね。(一回目/全三回)

GreenCanalProject_2020dmc-1
「GREEN CANAL」のイメージする未来は「美しく、安全で、人々のオアシスになる都市」での生活です。
 子供の頃、私は幹線道路のそばに住んでいまして、満員の路面電車やその間を急ぎ足で行き来する車や人々を眺めるのが好きでした。しかし、その道路は事故が多く、空気も今よりずっと汚かったので、そこに留まるのは危険なことでした。
  大人になってから、ヴェネツィアや蘇州など水路のある美しい都市を訪れ、人々が水路をいかに愛しているかを目の当たりにした時、子供の頃の思い出が蘇りました。私が大好きだった道路が、この水路のように美しく、人々の生活を支え、そばにたたずむ喜びに溢れていたら、、。そんな夢想が出発点となっています。

GreenCanalProject_2020dmc-2
具体的には、「GREEN CANAL」は5層になった道路のアイデアです。その仕組みは以下のようになっています。

1層目:柔らかく、美しく、透水性のある表面(天然芝、人工芝など)
2層目:表層に適した表土(砂混合土など)
3層目:透水性の下層土(多孔質セラミックなど)
4層目:透水性隔離スクリーン(土壌の流出と液状化を防ぐ)
5層目:保水層(保水スペースの多い瓦礫など)
インフラのバイブは管理しやすい3層目に敷設します。
この構造は、道路自体が局所的な雨水の循環を担っています。4層目のスクリーンは、粒子の移動を制限する事で、機能保全と地震の際の液状化抑制の役割があります。

GreenCanalProject_2020dmc-3
「GREEN CANAL」に期待される主な効果は以下の4つです。

1:ヒートアイランド現象の抑制
夏は表面を冷やし、冬は空気を加湿します。
2:洪水の抑制
急な豪雨でも短時間で浸透・保水します。
3:事故死の抑制
柔らかい表面が転倒事故の衝撃を和らげます。
4:液状化被害を軽減
地震による液状化を抑制し、インフラや路面への被害を最小限に抑えます。

GreenCanalProject_2020dmc-4
都市により気候が異なりますから「GREEN CANAL」の構造にはバリエーションが必要です。
ざっくりと以下のようなバリエーションが考えられます。

○地盤が軟弱
杭式地盤補強などで地盤を強化し、さらに布基礎を設けるなど。
○水が多い
保水層を拡大、水路化するなど。
○乾燥している
インフラを利用して給水システムを設置するなど。
○地表植物が生い茂る
人工芝の採用など。

次回(二回目)は東京の現状にてらしあわせたものをご紹介します。

GREEN CANAL:東京の場合2024年03月13日 17:40

デザインで飛躍を企むみなさまこんにちは^^

「GREEN CANAL」、東京の場合のお話です。(二回目/全三回)

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まず、東京23区の都市災害の現状(2020年時の確認)を。

総面積   627.57km2(*1)
道路総延長 11,968km
道路比率  16.5%
道路面積  103.4km2

都市化の影響
1:気温上昇は+3.2℃
100年間での数字・夏 +2.1℃/冬 +4.2℃(*2)
全世界では+0.6℃(*3)

2:人工的な熱損失は20%
日射熱取得量の20%に達する。(24W/m2)*3

3:平均相対湿度は17%減少
冬の乾燥度100年間での数字

災害リスクの増大
1:「猛烈な雨」1.7倍
30年間での数字(*4)

2:熱中症による死亡者数 7倍
1993年以前と1994年以降の平均(*5)

*1 東京都建設局 2018年
*2 気象庁 2018年(湿度は隣接都市からの類推) 
*3 最近の都市ヒートアイランド研究の進展: 東京都の事例を中心に 三上武彦 2006.  
*4 最近の気象現象の変化 株式会社ウェザーニューズ 2016 年 日本全体の数値
*5 環境省「熱中症環境保健マニュアル2018」 日本全体の数値

都市化と地球温暖化が相互作用して、災害リスクが増大しています。
(詳しい因果関係は今でも不明点は多いそうですが)

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23区内の道路の10%を「GREEN CANAL」に置き換えた場合の試算です。

10%を「GREEN CANAL」に置き換えた場合
1:保水空間は10倍
618万m3の増加(*6)
都の雨水貯留施設計59.9万m3の10倍の容量(*7)

2:オープンな緑地は9倍
+10.3 km2
皇居の9倍に相当

*6 保水層の深さ2m、保水率30%と仮定。
*7 東京都大雨対策の基本方針(2013年改訂版)

「保水力と緑地が増える」ことによる効果を試算する式は見つけられませんでしたので、どの程度の実効性があるか分かりませんが、少なくともヒートアイランド現象はかなり抑えられ、特に夏場の過ごしやすさはかなり改善されそうです。

次回(三回目)はデメリットについてです。

GREEN CANAL:デメリットが育む未来2024年03月15日 10:08

デザインで飛躍を企むみなさまこんにちは^^

「GREEN CANAL」のデメリット、そしてそのデメリットが育む未来についてです。(三回目/全三回)

前回までに「GREEN CANAL」のアイデアと期待出来る変化のお話をしました。
今回は、デメリットを考えて見たいと思います。

GreenCanalProject_2020dmc-7
「GREEN CANAL」は、美しくて柔らかいということと雨水の循環に寄与するという性能を最優先したものです。その点から考えられるデメリットを上げて見ます。

GREEN CANAL のデメリット
1:車の性能を引き出せない
自動車に最適化されたアスファルトと比して、圧倒的にスピードが出せず、止まりにくい路面でしょう。

2:インフラに使用するパイプのスペースが限られる
比較的不安定で浅い層に狭められるインフラのパイプは、容量は限られジョイント構造の構築も難しそうです。

3:表面の植物の管理が複雑
天然(もしくは人工的に作出された植物)は、枯れやすい、繁茂しやすい、害虫の温床になるなど、脆弱で管理の難しいものになる。

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これらのデメリットは、強固に構築された現代のシステムの基盤に関わります。それらの基盤をまるごとワンアイデアで置き換えるのはやっぱり乱暴な話ですね。

しかしここは夢想を優先しまして、別々に進化してきた都市、道路、クルマの歴史をざっくりと振り返りますと、いずれも百数十年のことでもあります。
百数十年。同じ時間を未来に見ようとしますと、この「基盤の強固さ」はそれほどでもないかも、、という気がしなくも有りません。
「GREEN CANAL」のデメリットは、「未来に必要なイノベーションの出発点になる」と見立てる事も悪くはないと考えます。
その視点から見た未来、2020年の時点では以下のようなものでした。

道は街を癒し、人々は道路を愛するようになる。
1:より優しく
クルマは全方位に優しく、低負荷になる。
2:オフグリッド
建築はオフグリッドに移行し、インフラへの依存を減らす。(独立性を増す。)
3:代替手段
自動車以外のパーソナルモビリティが都市に登場する。
4:知の集約
都市の植物を育て、維持するための知識が集約され、さまざまな方法で利用されるようになる。

アフターコロナでSDG'sの共有が広がりつつある現在、都市の道路のあり方を真剣に見つめ直す動きが目立つようになってきました。たとえば、オーバーツーリズムの問題では都市に流入する車両を大幅に制限したり、小車両(自転車やキックボードなど)優先の道路を再構築したり、ドローンを実用化したり、、と。
「生活圏の延長としての都市」という見方、、まだまだ色々と考えられそうです。

※おことわり※
これまでのさまざまなアイデアや構想の実現性とその効果については、実験もコンピューターシミュレーションもしていません。全て思考の産物に留まっています。念のため。

外部に宿る記憶2024年03月18日 19:08

デザインで飛躍を企むみなさまこんにちは^^

先月、大量処分の過程で(試算的な価値とは別に)モノには3つの価値があることを体感したお話を書きました。その中の一つ「記憶を呼び起こす」について、UIとの関連に触れたいと思います。

エピソード記憶
フランスの作家「マルセル・プルースト」の著書「失われた時を求めて」の作中で、マドレーヌを紅茶に浸した際の匂いから幼少の記憶を思い出す一節があることから、香りから記憶や情景が鮮やかに蘇る現象に「プルースト効果」の名が付いています。これは特定の匂いがある記憶を思い出させることを示しています。(名付けの由来から「マドレーヌ効果」と間違って覚えていました。余談。)
ある特定の体験と外的刺激がセットになって記憶されていて、「その刺激がきっかけとなってその体験を思い出す」という現象は、匂い以外の刺激でも起きます。その曲を耳にするとあの試合を思い出すとか、海沿いの日暮れの渋滞にあたると子どもの日焼けした寝顔を思い出すとか、そういうことをだれしも一つはお持ちだと思います。
これは「エピソード記憶」と呼ばれる、個人的な体験や特定の出来事に関連する記憶です。記憶そのものは私の中にあって、刺激は切っ掛けに過ぎないように見えています。日常的な体感としてはそれが普通だと思います。

外部に宿る記憶
ここで、今手元にはないけれど毎日使うものを思い出して見て下さい。愛用の茶わんとか、壁の時計とか、カレンダーのグラフィックとか。正確に思い浮かべられる方はどのくらいいらっしゃるでしょう。以前に茶わんの記憶について試した事があるのですが、私のまわりでは、私も含めて一人も正確に覚えている人はいませんでした。そして、当たり前ですが、実物をみればだれも間違えません。自分の親しんだものはよく似たものでも見分ける事が出来ます。この場合の「記憶」はどこまで脳内に収まっているのでしょうね。「きっちりと収まってはいるけれど全て思い出す事が難しい」のか、「ぼんやりとしか入っていないけれど識別出来るポイントはしっかり記憶されている」のか、、もっと違う解釈もあるかもしれません。私が興味を引かれたのは、この現象を「外部記憶」もしくは「記憶の外部性」として捉える考え方でした。
茶わんの模様の記憶は、茶わんの模様そのものに宿っている、という見立てです。人はそのものに宿った記憶の断片を覚えているに過ぎない、という。ちょっと詩的な見方です。
しかし、この「人の曖昧な記憶を『外部記憶』が補完する」というアイデアは、UIと相性がいいのですね。直感的に使える、もしくはぱっと見は難しそうでも触れば自然と使えるようになる道具や装置は、インターフェイス自体が使い方のヒントになっています。適切なヒントは、使用者の記憶の断片の中から、適切な動作を想起させます。この想起させるきっかけとしての文字や絵、操作を促す形、構造を理解させる配置などは、「記憶の外部性」を上手く使っている例と言えるでしょう。

ちなみに「外部記憶」というワードは、ざっと検索した範囲ではハードディスク等の意味以外には使われていませんでした。認知や記憶に関する最新の知見とは別の話です。念のため。

記憶とデザイン2024年03月20日 18:07

デザインで飛躍を企むみなさまこんにちは^^

前回、UIは記憶の外部性を上手く使うというお話をしました。読み返してUIだけでなくデザイン全般にとって、「記憶」はとても大事なことだと思い直しました。

そこで、「記憶」について現在の正しい知識をおさらいします。
以下は「脳科学辞典」というウェブサイトから引用抜粋した記憶の分類です。

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保持時間に基づく記憶の分類
【感覚記憶】*1
 最も保持期間が短い記憶。
 各感覚器官に特有に存在し、瞬間的に保持されるのみで意識されない。
【短期記憶】*1,2
 保持期間が数十秒程度の記憶。
 一度に保持される情報の容量の大きさにも限界がある。
【長期記憶】*1,2
 短期記憶に含まれる情報の多くは忘却され、その一部が長期記憶として保持される。
 保持時間が長く、数分から一生にわたって保持される記憶。量の大きさに制限はない
【即時記憶】*3
 情報の記銘後すぐに想起させるもので、想起までに干渉を挟まない。
【近時記憶】*3
 即時記憶より保持時間の長い記憶。
 情報の記銘と想起の間に干渉が介在されるため、保持情報が一旦意識から消える。
【遠隔記憶】*3
 近時記憶よりもさらに保持時間の長い記憶である(~数十年)。

*1は心理学領域の区分
*2は動物実験生理学領域の区分
*3は臨床神経学領域の区分

内容に基づく記憶の分類
 長期記憶は内容により、陳述記憶と非陳述記憶に大別される。陳述記憶はイメージや言語として意識上に内容を想起でき、その内容を陳述できる記憶である。宣言的記憶とも。一方、非陳述記憶とは意識上に内容を想起できない記憶で、言語などを介してその内容を陳述できない記憶である。非宣言的記憶とも。

【陳述記憶】
 陳述記憶にはエピソード記憶と意味記憶(知識)がある。
<エピソード記憶>
 エピソード記憶とは、個人が経験した出来事に関する記憶で、例えば、昨日の夕食をどこで誰と何を食べたか、というような記憶に相当する。
その出来事を経験そのものと、それを経験した時の様々な付随情報(時間・空間的文脈、そのときの自己の身体的・心理的状態など)の両方が記憶されていることを特徴とする。
<意味記憶>
 意味記憶は知識に相当し、言語とその意味(概念)、知覚対象の意味や対象間の関係、社会的約束など、世の中に関する組織化された記憶である。例えば、「ミカン」が意味するもの(大きさ、色、形、味や、果物の一種であるという知識など)に関する記憶が相当する。その情報をいつ・どこで獲得したかのような付随情報の記憶は消失し、内容のみが記憶されたものと考える。

【非陳述記憶】
 非陳述記憶には手続き記憶、プライミング、古典的条件付け、非連合学習などが含まれる。
<手続き記憶>
 手続き記憶(運動技能、知覚技能、認知技能など・習慣)は、自転車に乗る方法やパズルの解き方などのように、同じ経験を反復することにより形成される。一般的に記憶が一旦形成されると自動的に機能し、長期間保たれるという特徴を持つ。
<プライミング>
 プライミングとは、以前の経験により、後に経験する対象の同定を促進(あるいは抑制)される現象を指し、直接プライミングと間接プライミングがある。
<古典的条件付け>
 古典的条件付けとは、梅干しを見ると唾液が出るなどのように、経験の繰り返しや訓練により本来は結びついていなかった刺激に対して、新しい反応(行動)が形成される現象をいう。
<非連合学習>
 非連合学習とは、一種類の刺激に関する学習であり、同じ刺激の反復によって反応が減弱したり(慣れ)、増強したり(感作)する現象である。

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こうして見ますと、デザインは「陳述記憶」に働き掛けて積極的に「意味をつくる」仕事と、「非陳述記憶」を利用して「体得させる」仕事の両面がありますね。
「意味をつくる」とは、ブランドイメージやストーリーや価値ある体験を与えるという側面です。「体得させる」は、上手く使わせてそのモノやサービスを自分のものにしてもらう側面です。そして、体得とは意味を実感する事でもありますから、相互に補完しあっていると言えるでしょう。
「UIデザインとブランドデザインは切っても切り離せない」ということが、記憶という視点からも見えてきます。UI、大事ですね。

自動思考とデザイン2024年03月22日 12:27

デザインで飛躍を企むみなさまこんにちは^^

昨日、人気と信頼を集めていた有名な方が「ギャンブル依存症」で犯罪に手を染め、その立場を失ったというニュースがありました。あわせて「○○依存症」についての解説や情報も繰り返されました。私、依存症の当事者としては、医学的に正しいとされる知見が「日々アップデートされる暫定的な情報だ」という認識を持って頂けるとありがたいな、と思います。

肉体疲労と自動思考
ところで、みなさまはメンタルクリニックに行かれた事はありますか?
うつや依存症になっていく機序は、人により、また状況によりさまざまとはいえ、いくつかの共通点があります。まず「肉体疲労」。心の疲れの前にまず身体が疲れてしまい、それが慢性化している状態ですね。自覚以上に危険なんですよねこれが。
そして「自動思考」と呼ばれる、思考のパターン化です。たとえば言われた事が全て(私が悪い)という思考パターンに結びついたり、何かにつけてお酒が飲みたくなったり、という「習慣的な思考」のことです。

今日は、この話題を掘り下げたいのではなくて、「自動思考」がUIでも使われているよ、というお話です。(うつと自動思考については厚生労働省の資料をご参照ください。)

あらためて自動思考とは、特定の状況や条件が揃うと無意識的に引き起こされる思考や感情の反応を指しします。
例えば、暑い日に汗をかくとビールが飲みたくなったり、仕事の一区切りがついたらコーヒーを欲したりするような状況がこれに該当します。これらは経験に基づく条件付けやルーティンから生じる反応であり、多くの人々が日常生活で経験することですよね。
(ちなみに、疲れてくると「条件」の部分がガバガバになっていきます。「暑い日に汗をかくと」→「汗をかくと」→「○○すると」→「いつでも」のように。)

自動思考とUI
デザインの文脈では、自動思考はユーザーの行動を導くナビゲーションの一形態として活用されることがあります。ユーザーがある状況に直面したとき、どのように行動するかというパターンを予測し、それに対応するインターフェースを提供することで、直感的な使用体験を実現します。
例えば、炊飯器の「取消」ボタン。画面の中で小さく扱われてもよさそうですが、大きく物理ボタンとして存在する機種が多いです。これは、使用者が迷った時にいつでも押せる、押してよい、という状況が心理的安全性をもたらします。この「誤ったら取消ボタン」という思考が自動思考にあたります。

心理的安全性のあるUI
この心理的安全性は、ユーザーが新しいまたは複雑なインターフェースを使用する際の心理的ハードルを下げる効果があります。実際は取り消さなくてもよい場面でも、面倒くさくなったら取り消しボタンを押せばよい、ということが、使用者の心に寄り添った状況を作ります。とても大事です。使用者は、間違いを恐れずに操作できる環境があることで、より積極的にシステムやアプリケーションを探索し、利用することが可能になるからです。

「面倒くさい」がポイント
自動思考が心理的安全性をつくるヒントになるためには、自動思考が起きる状況は「疲れる」「面倒くさくなる」場面だ、ということに注目しましょう。

やる気を出せばそれに応え、面倒くさくなったら簡単にすませられるUI、そんなUIがデザイン出来るために、自動思考も応用してみて下さい。
dmc.
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