MAYA段階:受け入れられる革新とは ― 2024年05月01日 10:24
デザインの革新性におなやみの皆さまこんにちは!
20世紀のアメリカンデザインの巨匠「レイモンド・ローウィ」氏のデザインは、その名を知らなくても、流線型の機関車やピース(たばこ)をご存知の方は多いでしょう。
20世紀のアメリカンデザインの巨匠「レイモンド・ローウィ」氏のデザインは、その名を知らなくても、流線型の機関車やピース(たばこ)をご存知の方は多いでしょう。
ローウィ氏は徹底して「売れるデザイン」を求めました。そして1940年頃発見したという肝要が「MAYA段階」です。
MAYAはMost Advanced Yet Acceptable(最も革新的だが受け入れられる)の頭文字をとったものです。
消費者の先進的なものへの憧れと未知への恐怖のぎりぎりのところ、そこが「売れる」のだと。この理論は画期的で理解も実践もしやすいため広く受け入れられたようです。
(過去形で書きましたが、今でも基本のキに違いありません)
昨年のAIショックではその革新性が驚きと共に受け入れられました。AIの技術自体はもっと以前からあり、完成度の低さとその危険性から一部の開発者のものに留められていたそうです。そして、今急速に普及しているAIも完成度はそれほど変わらないとも。これは興味深い事例だと思います。
AIにおいては、Chatというあり方が「受け入れられる形」でしたね。(そして、「言葉遣いのうまさ」が「情報の信頼度」に勝るという、誰もが薄々感じて居たことが明確に追認されました。余談です。)
AIの受け入れられ方をみて思い出す事例が二つあります。LINEとパズドラです。
LINEは後発のチャットアプリでしたが、そのレスポンス抜群のUIの使い心地が他を圧倒しました。
パズドラはスマホのゲームで、並んだコマをなぞって消すパズルゲームと対戦ゲームを合わせたものです。こちらも多数ある同種の中から「なぞって消す楽しさ」が群を抜いていました。
どちらも、UIの使い心地が支持を受けるかどうかの分かれ目になりました。
AIに話を戻しますと、「言葉遣いの上手さ」は使い心地の肝ですね。
テクノロジーが前面化したいまは、「使い心地」がMAYA段階に達する手段となっているのだと思います。
AIが描いた「MAYA段階」のイメージ
賞と売り上げ ― 2024年05月06日 10:58
デザインの効果を尋ねあぐねてらっしゃる皆さまこんにちは^^
「デザインは二つしかない。売れるデザインと賞をとるデザイン、そのどちらかだ。」
とある世界的大企業のデザインセンタートップAさんのお言葉です。2000年代、日本のメーカーは「売れるけどかっこ悪い」というレッテルを嫌い、日本のデザインが世界トップクラスにある事を、各国のデザイン賞をとる事で証明しようとしていました。実際、多くの日本製品が賞をとり、日本のデザインが垢抜けないとは言われなくなりました。
Aさんはまさにその頃、日常的に「売れるデザイン」と「賞をとるデザイン」の両方をディレクションされていた方です。Aさんには開業時に大変お世話になったのですが、この言葉を正面から言われた時はちょっと戸惑いました。(賞をとってその上売れるのが良いのでは?)と思ったからです。
しかしAさんと仕事をさせて頂く中で、Aさんの認識の方が正しいと思い直しました。当時の賞をとるようなデザインは、日本ではうけなかったからです。(「MAYA段階」参照)
これは「レースで優勝して量産車を売る自動車メーカーのようなものだ」、と独り言ちた事を覚えています。
時間が経って、、。
Aさんはメーカーのブランドイメージ向上と売り上げの確保という命題と当時の市場環境を鑑みて、シンプルな2方向のディレクションにまとめられていた、と拝する事が出来ます。
今「日本でデザインする」そのことの立ち位置はどのあたりでしょうかね。
賞か売り上げかはいずれにせよ、デザインは使用者の立場に立ってするものです。使用者目線でどうあればよいのか、その主軸がはっきりしていれば見えてくるものなのです。(詳しくはご相談ください^^)
デザイン:問題解決 ― 2024年05月08日 15:46
デザインがお好きな皆さまこんにちは^^
デザインが「お化粧」ほどの意味合いで、開発の後半に参画するのが一般的だった頃、ある先輩はその現状に憤慨しつつ「デザインは問題解決だ!」と持論を述べたことがあります。私は「デザインは創意工夫すること」という感覚を掴みかけた頃でしたので、この説に共感したのを覚えています。バブル前夜の事でした。
その後CIブームがあったりユニバーサルデザインがあったりデザイン思考があったり、デザインがビジネスと相性がいいことが何度も示されて行きました。デザインがどんなにその範囲を広げても、根本は常に問題解決を志向するからだと思っています。
そして今。この「問題解決」を主軸に見ればデザイナーの仕事は変わりありません。そこに何か問題があるとき、それを「形や仕組みで解決する」のがデザインです。また、そうしようとするのがデザイナーです。
ちなみに、問題を争議として法的に解決(法曹)したり、和解(政治)させたり。身近にも心当たりがございませんか?そう、問題解決全てがデザインではありませんよね。ビジネスでも同じで、その問題の解決にデザインをどの範囲まで及ばせるのかが大事です。そしてこれはトップのみが判断すべき差配なのでした。(重要なので言及しました。)
デザイン:問題提起 ― 2024年05月10日 18:09
デザインを何とか手中に収めたいとお考えの皆さまこんばんは^^
前回、「デザインは問題解決」というお話をしました。
これには後日談がありまして、「問題解決がデザインだとすると問題提起はアートである」という論が出てきたんですね。この説は対比としては分かりやすいですし、なるほどと一度は思いました。でも、後日(ちょっと違うかも)と思うようになります。これはアートを観賞したりコレクションしたり、自分でも作ったりして「アートは問題提起の要素はあるかもしれないけれど本質ではない」と感じるようになりました。
ここで、デザインにとって大切なのはアートの定義ではなく、問題解決とセットとなる「問題提起」の方です。これは何だろう、と。
結論で言うとそれもデザインの一部です。既に認識され共有された問題に対する解決策としてのデザインと、解決策を見て初めて「こんな問題があったのか」と気付く、問題提起とセットとなったデザインがあるのですね。
三宅イッセー氏の言葉としてつたえ聞いた事のある言葉なんですが「アートは悲しみも嘆きもするが、デザインはいつも希望を灯すんです(趣意)」と。本当に三宅イッセー氏が言ったかどうかは別として、共感します。問題提起に終わらせず、解決策まで志向すること。これは意志の問題でもあります。
余談。一部の先輩デザイナー方にアートとデザインを対比したがる傾向を感じて、これはコンプレックスの裏返しと思っていました。心の中では冷めた目で見ていた私が、アートとデザインを比較して論じております。あるときコンプレックスは私自身の問題だと気付いたんですね。ですので今はデザインとアートを比較する事に抵抗はありません(笑
意味の創出 ― 2024年05月13日 10:40
デザインで飛躍を企む皆さまこんにちは^^
前回は「問題提起もデザイン」という話をしました。
この視点については、ロベルト・ベルガンティ氏の有名な「デザイン・ドリブン・イノベーション」に説かれる「意味のイノベーション」が正鵠を射ています。(というより、私の話の上位互換です。)
「価値のある意味」
これは私が修業時代、デザインのコンセプトの創出、という命題に日々格闘していた時に得た知見です。「デザインはその商品の意味を作る作業で、それを共有出来る状態に言語化視覚化したものがコンセプト。」そう定義して活動していました。
これは、ブランドの創出にほかならないので、そういうチャンスに恵まれないとなかなか経験出来ないことですが、幸いにも20年以上続くいくつかのブランドの源流を作り出す事が出来ました。(前職の会社名義なのでここでは伏せます。残念。)
これは自慢ではなく、「デザインはその商品の意味を作る」という事を明示して臨む事がどれだけ力強い事か、というお話なのです。
ナラティブ
一つの事象、製品をどう捉えるかで結果がまったく変わってきます。上の「デザイン・ドリブン・イノベーション」には、これも有名なエピソード「ろうそく」の話が載っています。日本の例では、カップヌードルの海外進出の際に「めん類」の棚では全く売れなかったものが「スープ類」の棚に置いたとたんに売れ出したという話がありますね。(こちらも著名事例なのであちこちで紹介されています。)
「私にとって○○は□□だ」という、当事者目線での意味を作ることが肝要と説かれています。
そしてこれは問題提起を含んだデザインそのものでもあります。ですので、意味のイノベーションに悩んだ際は、そこに含まれる問題提起に思いを巡らせて見て下さい。
「商品どうする?」「どう売る?」 ― 2024年05月15日 18:06
デザイナーに頼む効率的なタイミングをお探しの皆さまこんばんは^^
前回は意味の創出というブランド自体のクリエイティブについてお話しました。しかしその機会はそれほどなく、また、その機会が訪れたら躊躇なく全力で取り組まねばなりません。その時のためにも、信頼出来るデザイナーを知っておく事をおすすめします。
そこで、デザイナーとの接点を持ちやすいタイミングをご紹介します。
以前、デザイナーとのかかわりの深い場面を二つご紹介しましたが、、
・製品開発とデザイン
・ブランディングとマーケティング
・ブランディングとマーケティング
これは、そのままデザインが役立つ(役立たせやすい)場面と言えます。
これを平易な主体的な課題として言い換えますと、、
・商品どうする?
・商品どう売る?
・商品どう売る?
です。
この悩みが出てきたらぜひデザイナーにご相談ください。どちらも得意分野です。
まずはデザイナーのクリエイティブを実感してみて下さい。信頼出来るパートナーが見つかりますように。
体感の強力さ ― 2024年05月17日 17:17
メタバース時代のデザインについてお悩みの皆さまこんばんは^^
メタバースが当たり前になった時、ゴーグルを付けているかどうかは分かりませんが、またどこのプラットフォームが主流になっているのかは分かりませんけれど、いずれ「仮想空間」が日常的になるのは避けられないでしょう。
仮想空間が日常になることによって、通信サービス、プロダクト、UI・UX等の様々な分野全体が影響を受けると思われますが、デザインはどうでしょうか。
まず、これまで「ヒト」が道具との間に長い年月(一万年程度)を通して築き上げてきた関係性があります。まずはその道具たちとの関係性の延長として捉える事が第一歩です。しばらくはこの「現実との延長線上」で模索されるでしょう。そして、普及して皆が慣れた後、仮想空間ならではのデザインと、現実空間との接点を支えるデザインとの間が広がって行くことでしょう。
UI視点で見てみますと、仮想空間以前は、主に視覚とタッチポイント(カーソルや指でのタッチ)のみで構築されてきました。仮想空間以降では、手や腕、脚といった身体要素の追加が試されています。これは強力なインターフェイスとなると予想します。
それは、身体感覚がその人の精神活動全般のベースになっているからです。これは普段は意識されないことですが、無意識の中で認知され判断され行動に移されている事が、意識活動より多い事が分かっているそうです。
ここで、身体感覚の力強さを一つご紹介。
私は軽い左右盲で、特に「L/R」の表示と実際の左右の紐付けに時間がかかります。特に、手袋やイヤホンをはめる際に、表示を視認してから「Lは左」と意識まで持ち出す行程が必要でした。
ある時「アメリカでは子供に、左手でLの形をさせて覚えさせる」という話を聞きましてやってみたところ、すんなりと体得する事が出来ました。左手の筋肉の形と「L」という造形と「左」という意味が繋がったのですね。とても新鮮な体験でした。
(マルチモーダルなどとよばれる仕組みがあるようです)
そんなこともありまして、全身に適切なフィードバッグを返すデバイスとシステムが必ずや現れると思っています。
"ジェン・ズィー!" 若者っていいなと思った話 ― 2024年05月20日 10:51
世代間ギャップにやきもきされてる皆さまこんにちは^^
先月、若い友人がドイツとカナダの知人を交えて遊びに来てくれたんですね。東京の観光地を流した後私の地元のお祭りに誘いまして、とても楽しい一時を過ごしました。
その時、街に変なもの(民家の軒先に唐突に置かれている大きな鹿の置き物とか)を見つけると、一番若い子に向かってみんなで"Gen. Z!"ってポーズをとって*笑うんです。
Gen. ZはZ世代という意味で、「Z世代やーい」見たいな感じでしょうか。
(*「""」を模して両手でピースマークを折った形をつくる。言葉を強調するポーズです。)
からかっている感じもしますが、価値観の相違を楽しんでじゃれあっている感じがしました。
また別の日に、Y世代の子がZ世代の子とのコミュニケーションに悩んでいるところを聞かせてくれたんですが、その姿勢が非難というより心配しているんですね。優しいな、と思いました。
「ふてほど」が人気になるなど、昭和な感性を懐かしみ、その厚かましさを美化する傾向があります。私自身は懐かしさより恥ずかしさの方が先に経ちます。やっぱり酷かったな、と思うからです。昔悪かった事を自慢したり懐かしんだりする趣向を好まないからかもしれません。ともあれ、一般的にはそれだけ距離があいた、ということなのでしょう。
解読可能な文字が残るほとんどの文明に「近ごろの若者は」という記述があるそうです。この話の真偽は未確認ですが、年齢が高くなると低年齢の人に物足りなさを感じるのは何時の世でも同じなのかもしれません。
また、自分が今よりさらに未熟者だったころを振り返りますと、上世代の頑迷さに辟易していた事を思い出します。Z世代の特徴の一つとされる「タイパ・コスパ」も、彼らからすればただ合理的なだけ、上の世代に理解を求めていないだけかも、、なんて思います。
「未来は若者のもの」と言いますね。
これの反語はもしかしたら「現在は大人のもの」かもしれません。今のありようは今大人になっている昔の若者のもたらしたもの、、責任重大な響き。世代を語ることってやっぱり尊大なことなのかな、と改めて思います。(仕事柄必須なので止めませんけれど)
とりとめのない話になってしまいましたが、じゃれあったり悩んだりしている若者に接して(若者っていいな・・)と思った次第です。
下り坂のダイナミズム ― 2024年05月22日 17:32
縮小市場での商品開発にお悩みの皆さまこんにちは^^
ベビー洋品店の「西松屋」の戦略が凄い、というのは数年おきにニュースになっていまして、つい先日もこんな記事(なぜ西松屋はいつもガラガラなのに潰れないのか? 他店とは全然違う「売らなくていい」驚愕の店づくり)がありました。AIによる概略は以下の通りです。
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西松屋は、少子化にもかかわらず成長を続けているベビー・子ども用品チェーンストアで、その成功の秘訣は「売らなくていい」店舗作りにある。
西松屋の多くの店舗は郊外の住宅地に位置しており、広い敷地を持ちながらも来店客は少ない。これは、混雑を避けるためで、小さい子供を連れた親が快適に買い物できる環境を提供するため。また、売上が増えると新たな店舗を近隣に開店し、顧客を分散させることで、店舗オペレーションの効率性を保つことを優先している。
さらに、店舗運営においては、人件費を抑えるために店長が複数店舗を管理できるようなシステムを導入している。これにより、一人の店長が複数店舗の運営をスムーズに行うことが可能となり、コスト削減を実現している。
このような戦略により、西松屋は少ない来店客数でも利益を上げ、持続可能なビジネスモデルを構築している。
コメリやフード&ドラッグも同等の戦略で成功している事例である。
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縮小して行く市場の中で勝ち続ける戦略の実例は輝いて見えますし、残存者利益を積極的に取りに行くのも凄い事だと思いました。
以前デイトレードをする方に聞いた話なのですが、変動があれば上げても下げても儲けは出せるそうです。(たとえば、有る銘柄を信用取引で売っておいて株価が下がったら買い戻すと差額が利益になる等)
いま展開している市場が縮小傾向にあるならば、その悲観的な未来予想図から商品展開を考えるのは必要な事だと思っています。
ところで、使用者が人生の後半を迎えている場合は、その方たちに向けた商品開発も大切です。この商品開発においても「下り坂のダイナミズム」が利いているからです。ご興味がありましたらぜひこちらもご覧ください。
スイッチを並べるだけでデザインが変わる ― 2024年05月24日 10:06
デザインが必要かお悩みの皆さまこんにちは^^
たとえば、既存の箱に既存のスイッチや表示を並べて完成させる製品のデザインを考えて見ます。
オリジナルのパネルが用意出来ない(コストに見合わない)場合でも、デザインをする効果はあるのでしょうか?結論から先に申し上げますと、使用性がとてもよくなります。(エラーが40%程度減少する。)
スイッチ類の配置をデザイナーが整えるだけで、何故エラーが減るのでしょう。それは、使用者目線で操作を考える事が出来るからです。
もちろん、回路設計者でも可能な作業です。むしろ、一番装置の事を知っているのですから、回路設計者こそ適任だという考え方も出来ます。
しかし実は、この「デザイナーの方がその装置に詳しくない」という状況がとても大事なのです。その装置の理解が、「どのように使うか」という抽象度で詳しくなる事が、「使いやすさ」においてはとても重要な事なのです。それはデザイナーという立場が適任なのですね。
意匠性はいらないけれど使用性は高めたいとお考えでしたら、ぜひデザイナーを活用してみてください。
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