自尊感情と自己評価2024年06月03日 10:22

デザインのダメ出し、するのもされるのも苦手という皆さまこんにちは^^

先日、人事関係の方の話として「叱らない上司」と「叱られるのも学びがないのも嫌という部下」の問題を聞きました。

「叱らない」は「叱れない」も含みますが、パワハラとコンプラと戦力喪失を意識しているのは間違いないでしょう。
一方で「学びがないのが嫌」というのも、分からなくはないですね。成長実感を求めているのは真っ当な態度だと思います。
でも、上司からすると、「叱っても叱らなくてもやめる」という「詰んだ」状態だと。
なので、部隊を動かす上司とコーチを別の人が担当する編成も増えているのだとか。

この話を聞いて思い出したのが、修業時代の上司でした。
今の基準で見たらブラックもブラック、パワハラと人格破壊の刃がフルタイムで突きつけられていました。実際多くの人が辞めて行きましたし、上司自身も去って行きました。
そのような中で、私だけは平気で耐えられた、とは言いませんけれど、何とかしのげたのは「自尊感情」と「自己評価」をたてわける考え方が身に付いていたからです。

たとえばデザインスケッチの出来が良くない時に怒鳴られたり、そのスケッチを破られたり、「だいたいお前は、、」と人格攻撃される訳ですけど、そのことを「デザインへの評価」は受け取って、人格攻撃はできるだけ受け取らないようにしました。(実際は、攻撃が効くこと多数なのですが)

最も怖い反応は「無視」です。デザインした商品が売れない、というのはまさにこれで、悪評が返ってくる方がはるかにいいのです。そのことを前提にすると、私のデザインスケッチの出来の悪さは、改善点がある、と捉えられなくもない、です。

仕事の出来へのコメントと人格攻撃を分けることが大切な事です。
ざっくりと言い換えると「メッセージと感情をわける」ことですね。
これはまあまあしんどい作業ですが、気をつければ出来るようになるものの類いでもあるようです。

感じ良くダメ出しをする、なんて出来るでしょうか。恐らく、出して側だけの努力では難しいかもしれません。
「学びが足りない」と感じてらっしゃるかたはひとつ、「自尊感情」と「自己評価」をたてわけて考えて見る事をおすすめします。

「NOKIA E72」で写真を撮る2024年06月05日 18:49

古いデジカメが気になってらっしゃる方々こんにちは^^

最近(2024年5月)、ロースペックのデジカメや少し前のiPhoneが「エモい」写真がとれるという事で、若い方に人気だそうです。

Z世代がハマる「古いiPhone」で撮る日常 500万画素だからこそ“映える”写真の妙味とは?

ほぉ、それではと思いまして、がさがさと探して出てきたのが「NOKIA E72」、2009年末発売(日本では未発売)、メインカメラは5MピクセルでiPhone7と同じです。*
これは2010年に入手して日本語キットをインストール、メイン機として使っていました。

E72

NOKIA_E72_sample

サンプルはトリミングして切り張り、解像度は変更なし(ここに上げるために圧縮率を変更しました。)
動く被写体は超苦手、出やすい色は派手に、苦手な色は潰れる、、という感じ。一枚撮るごとに数十秒の処理時間が必要で、「タイパ」は大分よろしくないです。
人を撮っていませんので、この写真がエモいかどうかは分からないかもです...(そもそも話題の人気機種ではないですしね)

*)iPhone7は2016年発売です。2009年当時の携帯電話内蔵カメラとしてはかなりの高スペックでした。
このころは仕事柄i-mode国産機とNOKIを色々と使っててその頃の事を色々と思いだしたりして、個人的にはエモかったです(笑

いたらぬものへの愛「かわいい」2024年06月07日 10:33

かわいいものがお好きな皆さまこんにちは^^

私、アラカンの男性でございますが、かわいいものが好きです。
平成期に「かわいい」は細分化され、日本的な価値観としてグローバルな認知も得ました。以前は、狙ったかわいさは「ぶりっこ」として揶揄されましたが、最近は「あざとかわいい」なんて言われたりもしていますね。

仕事の上でも「かわいい」がテーマになる事は多いです。プロダクトデザインにおいては、細分化されたかわいいを咀嚼した上で、狙わないようでいて狙うという、ちょっとコツのいる世界です。(キャラクターをアドオンしたり、既に出来上がったものを扱う場合はばっちり狙って行きますが)

「かわいい」を含む、日本的な美意識のルーツのひとつは「もののあはれ」にあります。
「あはれ」は「哀れ」と書きますけれど、しみじみとした哀愁を含んだ心情を呼び起こすものに美を見ていたのは確かでしょう。
「いとあわれ」は「とてもかわいそう」ではなく、「とても美しい」という意味でした。それでも、いつか失われるという無常観が、文字の中にもしっかりと根を張っていますね。
花であればその盛りを愛でる。花はやがて枯れるからこそこの一瞬が美しい、また花が咲く少し前の頃合いを可愛く感じる、という感性は皆さまにもしっくりと来るでしょう。
そして、咲き切る前に散ってしまう花にも「もののあはれ」を感じるのも自然の事でしょう。

未熟者や未完成なものにも「可愛さ」を感じて愛でる感覚の根っこがここにあるのは間違えないと思います。

話を「かわいい」プロダクトに戻しますね。
形を丸くする、色をピンクにする、丸文字を使う、といった仕上げの段階で可愛くしたものもかわいいのですが、技術的にちょっと劣ったものも「かわいい*」の対象になります。最先端のスペックではなくとも、「未達の部分がユーザーの愛情によってカバーされる」ということがしばしば起こります。
前回ご紹介した、ロースペックのデジカメが人気という現象も、「エモさ」という「心情に訴える至らなさ」が効いています。
一見「かわいい」とは無縁なものでも、この心情に訴えかける事が出来れば人々に愛される可能性があるのですね。

*)言葉でかわいいと言われなくても「愛される至らなさ」を備えること

過密コミュニケーションの時代で2024年06月10日 10:34

スマホ疲れの皆さまこんにちは^^

私は仕事をきっかけにスマホどっぷりな生活が長く、デジタルデトックスの必要性もそれほど感じていない方なのですが、それでも「スマホ疲れ」は年々と大きくなっています。ですので、立ち机にしたり(スマホネック対策)、SNSアプリを制限したり(時間泥棒対策)しています。

ガラケー、ガラホが人気、というニュースは少し前から耳に入るようになりました。直近ではこんなニュースが。


「Dumb Phone(ダムフォン)」は"頭の良くない(アホ)電話"程の意味です。スペック的にはガラケーで、それ以外は今にフィット(通信網やUIの操作感・スピード感など)したものです。

自動車もファッションもそうですけれど、成熟市場ではしばしば「レトロブーム」が起こります。いずれもレトロなのはテイストだけで、スペックは今風にアップデートされる、というのが定石でした。
しかしガラケー、ガラホ人気はそこが少し異なっていて、テイストもスペックも今風で用途のみ制限する、というところです。
これはレトロブームとはちょっと違うかもしれません。

スマートフォンが生活インフラと呼ばれるようになった現代は、「スマートフォンにライフスタイルが強制されている」と感じる方も増えているでしょう。そのことへの違和感や不信感も醸成されているはずです。
スマートフォンで出来る事を制限することによって、望ましいライフスタイルを確立したい、、それが形になったと捉えて良いかもしれません。

これは先々、コミュニティを形作る大きな因子となるでしょう。ということは政治的な振る舞いも含むでしょう。今後に注目して行きたいと思います。

「平成みたい」と令和2024年06月12日 18:21

ジェネレーションギャップにお悩みの皆さまこんにちは^^

先日、「ちょっと古いデジカメがエモい」ということでノキアで写真を撮ったりしました。これをブログに書いた後にコメントを下さる方がいて、(ほぉ、これをこんなふうに思うのか)という発見がありました。こういう実験はいつも面白いです。

貰ったコメントの中でひとつ、私の三女(1999年生)のものを紹介します。

「でも正直、ぱぱとままから送られてくる○○(犬)の画質、いつもちょっと平成みたいだなと思っていた」

これはノキアの写真がいつもの私たちの写真と同じ感じがする、という文脈です。私たちは普段エクスペリアのSO-54C(2022年発売)を使っています。
えー、令和の機材使っても平成って言われちゃうんだ、、と思いました(苦笑

その後、よくよく聞いてみると、だいたい以下のような事だと分かりました。

・エクスペリアの弱点である暗所での写真(室内の料理、夜、黒い犬など)にそれを感じる。
・エクスペリアでなくても暗くて補正してない感じが平成っぽく感じる。
・最近のiPhoneやGoogle Pixelのような、AIで補正以上の生成を行っているコンピュテーショナルフォトグラフィの、明るくて綺麗な画像が普通と思っている。
・ちなみに、もっとあからさまに古いのが昭和。

これは「AI生成を含む写真を標準と感じる」ということですよね。これが「令和っぽさ」なのでしょう。
これは、、大袈裟に言うと、パラダイムシフトが起きているのかもしれません。今後に注目です。

エモい自己像2024年06月14日 10:07

鏡を見るのが怖くなってきた皆さまこんにちは^^

自己イメージと鏡に映る姿のギャップというのは一生慣れないものなのでせうか(笑
若い時は目鼻のつき方とか髪の毛とか、パーツのどこかしらが気に入らなかった記憶があります。
歳を取ってからはだいぶ客観視、といいますか諦観が覆うようになり、まあこんなものか、と思うのですけれど、それを受け入れて(いいね!)という感じにはもう少し何かが足りません。
最近は、(あれ、こんなに加齢感あったっけ?)と思う日も増えました。

サプリとかエステとか運動機器とかの広告は、ここを狙い撃ちしてきます。そして実際、ちょっと手を入れると効果を感じられたりして、それはそれで嬉しかったりするのです。

なぜこんな事をあらためて思ったかと申しますと、若い世代に「コンピュテーショナルフォトグラフィ、つまりAI生成を含む写真を標準と感じる」ことに気がつきまして、それでは鏡を見た時にどう思うのか、と思ったからです。

鏡を見ている人に問う前に、まずは自身の感覚を確認して見ました。
そこであらためて気がついたのは「脳内の自己像が常に先にある」「自己像とのギャップが様々なアクションの動機付けとなる」ことです。
ざっくりと言いますと、無感情で鏡を見る事が難しい、ということですね。もちろん「慣れ」て無感情に近づく事は出来ると思いますけれど、何かを見つけてしまったら(鼻毛が出てるとか)やはり動かざるを得ないでしょう。

コンピュテーショナルフォトグラフィによるセルフィーは、この「理想の自己イメージ」に近づくための凄まじいテクノロジーとも言えますよね。「理想=
虚像」を観ると安心はするでしょうが、感情は動きにくくなっていくはずです。
若い世代が古いデジカメをエモく感じるのは、「修正がきかない写真」(今風に言えば「修正がきかない世界線」)に、鏡を見た時のようなざわつきを覚えるからかも、、なんて思いました。

なお、「鏡」が心や行動に与える影響については、様々な信仰や哲学の実践の中に見つける事が出来ます。私は全然網羅していませんが、面白いテーマだと思っています。

ミチクサにスタイリッシュな弟「MICHI-KUSA Oval」ができました!2024年06月17日 05:30

今度のミチクサ「オーバル」は薄くて四角くて、空間を飾る気持ちをもっと刺激してくれます。
MICHI-KUSA Oval ミチクサオーバル

スタンダードなミチクサは、「道端の小さな花をいける楽しみ」をそのまま素直に表していて、一輪から場所を選ばず飾れる全正面の花器です。

オーバルはもっと狭い場所、限られた空間にすっと収まり、その空間を彩る花期になりました。

スタンダードを誰にでも好かれる優しいお姉さんとすれば、オーバルはおしゃれな弟くん。
姉弟ともどもよろしくお願いします!

購入はこちらまで。(9月発売予定)

コンピュテーショナルフォトの時代の印刷物2024年06月19日 18:53

印刷の未来を思い描いてらっしゃる皆さまこんにちは^^

先日、ある印刷会社の社長さまとやり取りする事がありまして、「印刷会社に不満があれば教えてください」となりました。

私、実家が印刷工場でしたから、不満というよりも「印刷物の課題」としてつらつらと考えていたことをコメントさせて頂きました。以下その抜粋です。

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【印刷屋さんの仕事】
昔は、手書きの原稿から版を起こして印刷物にするのが仕事でした。
今は、データにしたものを印刷物にしてくださいます。

【印刷物への期待値】
手書き原稿の時代の成果物は「原稿とは似て非なる、かつ原稿より素晴らしいもの」でありました。
データ時代の成果物は「イメージ通りが理想で、元データに忠実なもの」であります。
したがって、印刷屋さんにはコストと忠実さを求めます。しばしばコストの制約により忠実さを犠牲にします。

【「忠実」とは?】
データへの忠実度とは、コスト優先の工場では文字通り「データのまんま」のことです。そして出力マシンの性能の範囲内でそれが守られます。
品質向上への努力を惜しまない工場では、「デザイナーの意図」のこととして捉えてくださっています。その意図を汲んで出力マシンを調整する技量を発揮されます。

【「デザイナーの意図」とは?】
さて、デザイナーの意図とはどこまでクリアなのか、という問題提起をしたいと思います。デザイナーは脳内にビジョンを描き、それをビジュアライズします。そしてそれを実物(模型など)として出現させ、それを検証してフィードバックします。これをプロトタイピングと呼んだりしますが、それはグラフィックもプロダクトでもサービスでも、同じ工程を踏むのが基本です。
この過程において「デザイナーの意図」というものは、"本当は"それほど絶対的なものではありません。プロトタイプとして出てきたものがいいか悪いか、です。

【プリクラとコンピュテーショナルフォト】
ここで、世の中の「イメージしたものと実際にできたものの比較」の身近な体験として「スマホの写真」を見てみます。スマホの写真は、すでにAIで描画された「コンピュテーショナルフォト」になっています。その写真では、撮像素子のデータは元データとして参照されますが、出力されるデータはかなりの割合で作成されています。この技術はプリクラからありました。そしてそれは巧妙化とともに支持され続けてきました。スマホの写真は「現実を理想化する技術」の集大成ともいえます。
そして、プリクラやアプリでは「加工」は明示されますし、そのように認識しますが、スマホカメラの写真は「未加工」という扱いになっています。この点が、今の世の中の「イメージしたものと実際にできたものの比較」のデファクトスタンダードになっていると思われます。「現実を理想化したもの」を自然(きれいに撮れてる)と感じる、という認知です。

【印刷物】
印刷物を仮に「イメージたものを現実化したもの」と言い換えますと、「イメージしたもの」は曖昧であり、さらに「現実化したもの」は理想形に加工されたものになります。
これは、曖昧な原稿から素晴らしいものを作る、という昔のスタイルに似ています。(はるかに高度なレベルのことですが)
ここで、印刷屋さんにお願いする立場からすると、、
・プロトタイプで検証するサイクルを、低コストで高速に回せると嬉しい
・作った原稿をもっと素晴らしく仕上げてくれると嬉しい
のふたつが、まずは想起されました。どちらもすでに業務としてなさっている範囲かと思いますが、依頼から仕上がりまでのユーザー体験が、すっきりと整理された形で提供されるといいなと思います。

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このあと、具体的なサービスのイメージなども意見交換して刺激的な一時となりました。詳しいご案内が出来る日が来たらまたあらためて。

印刷は実体2024年06月21日 18:06

印刷の未来をお考えの皆さまこんにちは^^

先日の会話の中で確認した事がありました。もう当然の事なんでしょうけれど、念のため。

・印刷物は立体である。
・印刷物は実体を持つ。
・印刷物は従って「原典性」をもつ。

印刷の原点が「聖書」の大量生産であったことは有名ですが、複製物が原点性を持つのはちょっと面白いなと思いました。
そう言えば「原本と複製」はアートの世界でたびたび題材にもなっていまして、アーティスト自ら本物と複製を混ぜて展示したり、本物を入手してその複製(制作方法から完全にコピー)をどれが本物か分からないようにして格安販売したり。余談。

もうひとつ、これはあとから思った事なのですが、「印刷物は平面」ということです。これは「情報の入れ物として平面は優れている」ということを多層的に物語っている、と改めて思いました。

この「平面性」も印刷物の大事なところですよね。

UIは2.5次元2024年06月24日 10:48

UIのあり方についてお悩みの皆さまこんにちは^^

印刷物の話題からその実体性、また本来の平面性についてお話していましたが、UIもかなり「平面性」を意識しているな、、と思いました。

「UI」はユーザーインターフェイスの頭文字で、似たような言葉に「MMI」(マンマシンインターフェイス)、「HMI」(ヒューマンマシンインターフェイス)といった言葉があります。いずれも機械を操作する人と機械の接点についてのあり方を思考設計するための概念のことです。

身近なUIですと、スマホのスクリーンやATMの操作パネル、家電のスイッチ類などがありますね。車のコンソールもUIです。

多くのUIは平面的に並んでいます。一方で、車のハンドル周囲にあるスイッチ類(ウインカーやパドルシフトなど)や、掃除機のトリガー型のスイッチなどが分かりやすいのですが、手、足、指などに合わせて配置されたものもあります。(何故そのスイッチがそこにあるのか、ひとつひとつたずねて見るのも面白い事ですが今回は割愛しますね)

ざっくり分類しますと、視覚的に平面的に並んだUIと、身体に沿って並んだUIがあります。
仮に前者を「視覚優位なUI」、後者を「身体感覚優位なUI」としますと、以下のような特徴があります。

視覚優位なUI
・一覧性が高い
・配置により意味がかわる=設計の柔軟性が高い
・入力と出力(表示と操作)の混在が可能
・密度が高められやすい
・誘導などの複雑なコミュニケーションが可能

身体感覚優位なUI
・即応性が高い
・意味と操作は1対1(一つの行為にひとつの意味)
・習熟度が上がると身体感覚が伴う

これは、それぞれが人の別々の特性を利用しているからだと考えられます。
つまり、視覚優位なUIは「人と人(動物その他も含む)とのコミュニケーション」の延長線であり、身体感覚優位なUIは「道具」の延長線である、ということです。
そして身体感覚優位のUIは「身体の表面の近い所」であることも重要です。それを意識して「UIは2.5次元」と心得るのが良いでしょう。

これは、複雑な操作系を考える場合にはとても重要な視点です。今後増えて行くと思われるバーチャル空間のUIでも同じように、そのUIは視覚優位にすべきか身体優位にすべきか、整理してデザインする必要がありますね。
dmc.
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