いたらぬものへの愛「かわいい」 ― 2024年06月07日 10:33
かわいいものがお好きな皆さまこんにちは^^
私、アラカンの男性でございますが、かわいいものが好きです。
平成期に「かわいい」は細分化され、日本的な価値観としてグローバルな認知も得ました。以前は、狙ったかわいさは「ぶりっこ」として揶揄されましたが、最近は「あざとかわいい」なんて言われたりもしていますね。
仕事の上でも「かわいい」がテーマになる事は多いです。プロダクトデザインにおいては、細分化されたかわいいを咀嚼した上で、狙わないようでいて狙うという、ちょっとコツのいる世界です。(キャラクターをアドオンしたり、既に出来上がったものを扱う場合はばっちり狙って行きますが)
「かわいい」を含む、日本的な美意識のルーツのひとつは「もののあはれ」にあります。
「あはれ」は「哀れ」と書きますけれど、しみじみとした哀愁を含んだ心情を呼び起こすものに美を見ていたのは確かでしょう。
「いとあわれ」は「とてもかわいそう」ではなく、「とても美しい」という意味でした。それでも、いつか失われるという無常観が、文字の中にもしっかりと根を張っていますね。
花であればその盛りを愛でる。花はやがて枯れるからこそこの一瞬が美しい、また花が咲く少し前の頃合いを可愛く感じる、という感性は皆さまにもしっくりと来るでしょう。
そして、咲き切る前に散ってしまう花にも「もののあはれ」を感じるのも自然の事でしょう。
未熟者や未完成なものにも「可愛さ」を感じて愛でる感覚の根っこがここにあるのは間違えないと思います。
話を「かわいい」プロダクトに戻しますね。
形を丸くする、色をピンクにする、丸文字を使う、といった仕上げの段階で可愛くしたものもかわいいのですが、技術的にちょっと劣ったものも「かわいい*」の対象になります。最先端のスペックではなくとも、「未達の部分がユーザーの愛情によってカバーされる」ということがしばしば起こります。
前回ご紹介した、ロースペックのデジカメが人気という現象も、「エモさ」という「心情に訴える至らなさ」が効いています。
一見「かわいい」とは無縁なものでも、この心情に訴えかける事が出来れば人々に愛される可能性があるのですね。
*)言葉でかわいいと言われなくても「愛される至らなさ」を備えること
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