野毛の「ぷーさん」 ― 2024年07月10日 10:48
ユニバーサルデザインについてお考えの皆さまこんにちは
先週、排除の意図のあるベンチのニュースから、その意図を感じない今の普通と、その背景にありそうな自認についてお話しました。そのことで思い出したことがありました。
昭和50年代のことです。私の住む横浜市で、中学生が浮浪者を面白半分に殺した事件が起きました。やや世代がズレますが、私の身近に起きたとてもセンセーショナルな事件だったと記憶しています。
ある時期、「排除アート」と呼ばれる、浮浪者を寄せ付けないための工夫やオブジェが目につきはじめたときも、その事件を思い出したのでした。
その事件より以前は、浮浪者を「ぷーさん」などと呼称して、物理的にも心理的にも今よりずっと身近な存在だったと記憶しています。
仲良くしたとか心の中で応援したとかではないのですが、広場や通路で見かける彼らとの距離感は大事な感覚でした。失礼ですけど、野良犬や裏社会の人たちとの感覚もそこには含まれていました。
この身近さは、「自分たちの人生の延長線上に彼らがいる」ということを大人は知っていて、それを子供なりに感じていたからだと、今なら思います。
街=大人が浮浪者を積極的に排除し始めたことによって、子供たちにとっても「浮浪者は自分の人生に関係のないものに変質した」ということかもしれません。
ところで、「想像の及ぶ範囲を広げていくこと」がユニバーサルデザインの重要な点です。その点で、「自分の人生に関係のないもの」を「自分の人生の延長線上」と捉え直すことが出来るデザインこそ、ユニバーサルデザインと私は呼びたいと思います。
(件のベンチはですからユニバーサルではない、となりますね。)
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