不便益 不便さが良さになる仕組み ― 2024年07月22日 10:29
便利にするだけでは物足りないとお考えの皆さまこんにちは^^
先日、コーヒーをわざわざ淹れる方が支持される事象から「不便益(ふべんえき)」に触れました。
コーヒーと共に盛り上がったキャンプもそうかもしれませんが、「わざわざ○○をするのがいいんだよ」という、便利さよりも上回る価値を感じる場面は、どこかで皆さまにもあるのではないでしょうか。
不便益については専門家がいらっしゃいます。
京都先端科学大学 川上浩司教授「人とモノの関係をデザインする「不便益」のすすめ」
このインタビュー記事で川上教授は、「不便益」を「便利な暮らしが、これまでの工程をブラックボックス化させたとも言えます。そのブラックボックス化されてしまった行為が元々は与えてくれていたはずの効用に目を付けたのが不便益」と紹介されています。
「意図的に不便さを取り入れることで得られる予期しない利益や深い価値を強調する考え方」(要約)を社会システムに組み込むことを目指されてるそうです。
※不便益の詳細についてはこちらをご参照ください。
不便益のコンセプトは明快で共感します。しかし、実際の商品開発ではそのまま「不便にする」という発想では見えないものもありそうです。(実際にスタディでアイデア展開したことがありますが、その時はアイデアとしては面白くてもニーズがなさそうなものばかりになりました。)
そこで有用なのが、前回もご紹介した「体験価値」「感性価値」という視点です。
たとえば、調理した鍋でそのまま食べる、という行為を考えて見ましょう。
まず、これはとても効率的で、アウトドアでは普通に見かける行為です。
しかし、家の中では「貧しい」「寂しい」「味気ない」といったネガティブな感覚が想起される方も多いでしょう。そこまで明示的(自覚的)に忌避しなくても、好きなお皿に盛って食べる方が美味しい、というのは文化的に受け継いできた感覚としては自然なことと思います。
一方で、韓国ドラマのラーメン鍋や、取っ手のとれる鍋でそのまま食卓にだされることが受け入れられてもいます。「一人ぐらしが長いと食器を使わなくなる」という話も聞きます。
これは、調理から食事、洗い物までを含めた一連の行為で、どこの体験価値、感性価値を重視しているのか、という見方をすると分かりやすいかもしれません。
美味しく食べたい、というところに重きを置けば、食卓を調えたくなります。
一方、家事の手間を減らしたいと思えば、そのまま出すのをいとわなくなります。
また、手間を減らしつつ食卓も調えたい、と思えば「取っ手のとれる鍋」は選択肢に入るでしょう。
商品開発において、便利さに限界を感じたら、一度不便な時代に戻って、その体験価値、感性価値を見直すことをおすすめします。
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