SDG'sは感性価値で斬るべし2024年07月26日 11:32

SDG'sデザインをお考えの皆さまこんにちは^^

ここのところ体験価値、感性価値についてお話を続けています。
そのなかで思いついた仮説がありまして、ここに留めおこうと思います。

それが、「SDG'sは感性価値で斬るべし」であります。

理屈ではない感覚的驚異としての環境意識
「SDG'sは欧州のしかけたゲーム」という見方があります。たぶん半分は間違ってはいないのでしょう。私自身のキャリアでは、「ペーパーレス化」「地球に優しい」「エコ」「サスティナブル」、、と様々な環境を意識した開発にかかわって参りましたが、その後ろ側の本音の所では(環境保護は建て前であり、その建て前をいかに通すかが企業の腕の見せ所)という匂いが消えたことはありませんでした。私は「SDG's」をその延長で捉えていました。
しかし、近しい若者(10才から20才前後の男女複数)に「SDG's」についてきいて見たところ、どうやら本気で大事に感じているようなのです。上のような「本音」の一部を披露しようとすると、ほとんどの若者が卑しいものを見る目を返してきました。学校で教わる(SDG'sの授業があるそうです)だけでなく、例外なく襲ってくる異常気象と、大人たちのこれまでの「暴挙」が、彼らの中ではばっちりとリンクしてるんですね。それも感覚的に。
食文化における「鍋のまま食卓に出すのには抵抗がある」のような感覚、「文化的な文脈における感性価値」がありますが、環境意識においても「SDG'sに反する製品には抵抗感がある」という感覚が醸成されているようです。
これは私にとっては大きな気付きでした。

余談ですが、大人が環境活動かのトゥーンベリさんを批判することについて、合理的ではあっても彼らの心情には寄り添えないんだな、とあらためて思ったりもしました。

SDG'sは感性価値で斬るべし
この理屈を超えてしまった「環境破壊に通ずるものは嫌だ」という感性価値で見直す行為は、合理的な環境性能とは全く別の荒田の視点を与えてくれるでしょう。

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