家に帰ろう・流星ワゴン2014年01月07日 15:43

家に帰ろう・流星ワゴン
年末年始の読書はこの2冊でした。

「流星ワゴン」は人生に失敗した父親がステップワゴンに乗った幽霊父子との交流を通じて人生に希望を見いだすまでのファンタジーで、評判通り面白かったです。
「家に帰ろう」は終末期を家で過ごした方々の実話集で、いずれも希望に満ちていて家族中が涙しました。

たまたまの組み合わせでしたが、ともに生死と家族の結びつきについて感じさせるものでした。
また(これは個人的な経験を通して感じていたことでもありましたが)死そのものが悲劇ではないということもまた少し理解出来たように思います。

ところで「家に帰ろう」で紹介されたように、社会的入院を止めて自宅(または終末医療施設)で最後を迎えることは確実にトレンドになるでしょうね。デザインすべき事は山積みです。

「100歳の美しい脳」2013年10月01日 23:56

100歳の美しい脳
原題の「Aging with Grace.」輝かしく老いる、という意味でしょうか。図書館で借りて読み、そのあと、中古を探して買いました。

大勢の修道女を長期間にわたって調査したスノウドン医師の有名な「ナン・スタディ」について書かれた本です。長期間同じような生活をしたシスターたちの健康状態を追跡し、アルツハイマー病の治療と予防に役立てようと言う研究です。
日本語タイトルにある「100歳の美しい脳」とは、死後解剖で100歳にして全く病変のなかったシスターの例についてです。その他、脳には明らかな病変があるにも関わらず発症しなかった例など興味深いエピソードが書かれています。

調査から浮かび上がるのはアルツハイマーの様々な要因や仮説に対する示唆と、長寿で健やかな老いと若い頃の精神活動とは深い相関関係を示す事です。
特に、20歳頃に書かれた自伝を分析すると、アルツハイマーの発症をある程度予測出来る(自伝の文章と発症率に相関関係がある)ということ。「意味密度の高い」「複雑な」文章を書いているほど発症率が低かったそうです。
また、感情表現が豊か(ポジティブな方が良いかどうかはまだ不明)な方が長命である事も判りました。
ここから著者は子供に対する読み聞かせを推奨しています。これは子供に関わる人には特に示唆に富む内容でしょう。

葉酸やリコピンなど可能性のある栄養素についても言及していますが、それは「葉酸さえ摂取すれば病気にならない」といった単純な話ではないようです。

また、研究者らしい懐疑的な態度は崩さずに、ここでも「最晩年の生きる希望」について書かれていました。
心豊かに前向きに生きるということは、そのまま魂の強さなのでしょうね。

鎌倉の花2013年09月11日 23:17

Kさんから「鎌倉広町緑地 花図鑑」を頂戴しました。

鎌倉広町緑地 花図鑑

鎌倉広町緑地 花図鑑
鎌倉広町緑地は江ノ島の北東の宅地造成を免れた緑地帯で、そこに自生または植えられた草木が集められた図鑑です。季節と色で探せるようになっていますので、散策しながら名前を知るには便利ですね。
中に「植物の名前を知る事は、大事にする事に通じます」と書かれていますが、ほんとうにそう。名前を知る力って大きいんですよね。

秋の鎌倉、美味しいものもいいですが、野原を歩くのもいいですねぇ。

メメント・モリ「安心して自宅で死ぬための5つの準備」2013年08月26日 14:43

国立の医師、新田國男さんの「安心して自宅で死ぬための5つの準備」を読みました。

「安心して自宅で死ぬための5つの準備」
国立市で在宅医として1000人以上看取ってこられた新田医師と三上看護師のインタビューです。聞き手の安藤明さんには在宅医療をされている寝たきりの母親がいらっしゃいます。

「安心して自宅で死ぬための5つの準備」
秋山先生の調査から示されたこの「自立度の変化パターン」図、とても印象に残っています。

実はこちらの本、私にとっては相当のインパクトがありました。それはショックではなく、これまで何となく思っていた事をすっきりとさせ、ひとつの方向性を示してくれたように感じております。(それは近い将来、デザインのコンセプトとしてまとめて、皆さまにご披露したいと考えています。)

さて、、この本を一言でお伝えするのはとても難しい事なのですが、死を扱っていながらそこに暗さは感じません。むしろ希望があります。
流行りの「終活」でももちろんなく、「最後まで自分を生きる」ための手引きで、手続についても簡単にまとめたものが付記してあります。
大切なのは「いかに死ぬか」ではなく、「いかに生きるか」です。当たり前と言えば当たり前ですが、終活やエンディングノートに感じていた「さっさと死んで行く」雰囲気は微塵もありません。
かといって最後の最後まで治療を続けて玉砕して行くような死に方はしたくない、治療より生活を大切にする価値観に寄り添ったあり方を、精神論ではなく、具体的な対処として語っています。(もちろん、専門書ではないので、実際にそれを望む場合は専門家や窓口に個別に相談する必要があります。)

私は「病ではない、老いである」ということを受け入れることは大変勇気ある事と思うのですが、その覚悟こそ人生の最終盤を飾って行くのかな、、そんなことを思いました。

後半、「メメント・モリ(死を想え)」というラテン語が紹介されますが、これは死を忘れず生きよ、ということですね。
いつか死ぬ、だからよりよく生きる。そのために出来る事をする。これなのですよね。

「カメのきた道」2013年05月21日 23:41

「カメのきた道」
特に亀を専門とされる化石爬虫類学者、平山廉氏の著書「カメのきた道」です。
帯の「甲羅というシェルターとスローな生き方という第三の戦略を選んだカメたち」というコピーに惹かれて読みました。

第一の戦略とは爬虫類の「大型化と効率化」、第二の戦略はほ乳類の「小型化と連続エネルギー補給による活発化」のことで、カメの戦略は「非大型化と効率化」だそうです。
捕食以外はじっとして大きく育つ爬虫類、せわしなく動き回り世代交代を重ねて行くほ乳類、代謝を抑えて少しの食料で長く生きるカメ、、といったイメージでしょうか?

現生のカメの特徴と仕組み、多様な環境に進出した適応、謎だらけの起源、海への進出、恐竜時代からほ乳類時代にかけて生き延びた事実、最悪の捕食者人間とのかかわり、、学者の説く淡々とした事実認識にいつの間にか惹きつけられて、最後まで面白かった!

興味深い事に、恐竜の大量絶滅など何度かあった地球全体の淘汰時期にも、カメは影響を受けずに生き延びているのだそうです。(もちろん種毎の根絶は他の生き物同様ありますが)
有史以来もっともカメを絶滅させたのはやはり人間なのですが、何千万年かした後のほ乳類の時代が終わった時にも、カメはその戦略によって生き残っている可能性を感じました。

読み進むにつれだんだんカメが飼いたくなってきたのですが、最後の最後で「ペットには向いていないと思う」とあります。
何故かと言いますと「飼い主より長生きするから」。なるほど!無責任に飼うことはできないですよね。(でもやはり飼ってみたいです・・)

ところで、本書では触れられていませんが「大型で活発」という第四の戦略をとった生物もかつていました。恐竜ですね。肺をもつ生物の約二倍の酸素摂取効率で巨体を高速で動かして捕食していました。(ピーター・D. ウォード著「恐竜はなぜ鳥に進化したのか」に詳しく書かれています。)

温暖化して酸素濃度が下がるとほ乳類(特に大型)は生きられなくなるそうですが、その時でも恐竜の生き残りである鳥と効率化の進んだカメは生き延びていそうです。
まさしく「鶴は千年、亀は万年」なのですね。

過去記事:「恐竜はなぜ鳥に進化したのか」
http://dmc.asablo.jp/blog/2010/09/24/
dmc.
クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
「デザインの言葉」 by Fumiaki Kono is licensed under a Creative Commons 表示 - 継承 3.0 非移植 License.