「好き」のかたち2024年10月21日 16:58

みなさまこんにちは^^

「好き」を生活の中に取り入れることについてお話しています。
長くデザイナーをしていますので、時には「デザイナーになりたい」という方のお話を伺うことがあります。「どんなデザインがお好きですか?」と問うた時のお話を通して、「デザインが好き」のかたちが以下の3つに別れることに気付きました。

1:デザインされたものが好き・観賞したり使ったりするのが好き
2:デザインをするのが好き・工夫して新しい何かを作ったり飾ったりするのが好き
3:デザイナーに憧れる・デザイン出来るということに憧憬を持つ

3つの「好き」のかたちには結構差があります。周囲のデザイナーを思い浮かべて見ると、1、2、3のどれが最初にあった(と思われる方)かは、キャラクターに反映されているように感じます。
ちなみに私自身は2でして、とにかく創意工夫が昔から今でもずっと大好きです。その次に3、最後に1が芽生えました。

順番はどうあれ、デザイナーになるのでしたら「デザインをするのが好き」でないとちょっと(いやかなり)大変です。
でも、デザイナーにならなくても「デザインが好き」なら生活に好きなデザインを満たすことは出来ます。デザイナーに憧れるなら推しを見つけて作品を追いかける楽しみもあるでしょう。
「仕事としてデザインを行うこと」は、「デザインが好き」のあり方の一つでしかないのです。

この見立てはデザイン以外でも成り立ちます。
例えばスポーツ。
・オーディエンス
・プレイヤー
・ファン
観るのが好き、やるのが好き、スター選手に憧れる。
ここでもみっつに分けられそうです。
私は野球やサッカーなどの球技は全くやりませんが、観戦は大好きです。一方でウォーキングやハイキングをよくしますが、どなたかがやっているところを観るという発想はありませんでした。球技は観るのが好き、ウォーキングはやるのが好き、ということですね。

自分の「好き」がどのパターンに当てはまるかを知っておくのはとても大切です。
あなたの「好き」がプレイヤーとしての「好き」なら、それが仕事に向いているかどうかはっきりと知ることが出来ますよね。

思考は体技2024年10月11日 10:27

みなさまこんにちは^^

デザインでよく行われるRPラピッドプロトタイピングは、「手や体全体を使って考える」という感覚があります。粗雑ではあっても物理空間に実際に存在することで、五感それぞれに刺激がありますし、存在感を感じたり使用感をイメージすることができます。ここで感じたことをフィードバックして前に進めて行くことに課題も面白さもあります。

学生の頃、スケッチが抜群に上手い先生は「手で考える」と仰っていました。手の動かせる範囲を広く、自由に意図通りの線が引けないと、アイデアが縮こまるぞ、とも。人が「手の軌跡に意味を発見する」行為は、乳幼児から観察*されていますけれど、自分の行為の結果を、行為の意図から切り離して感じ取る力があります。
脳内で客観的に考えるのは難しくても、一度アウトプットしてしまうことで客観視出来る。人ってなかなか凄いです。
*)めちゃくちゃに描いた線に、ママの顔や犬の姿を見るようなこと。

脳だけでなく、筋肉と五感をフルに使うということは、身体のコンディションが思考に影響するということです。実例を二つご紹介します。

1999年のシカゴ、ネーパーヴィル・セントラル高校では、授業前に運動を取り入れたところ、1年間で全体の成績が17%向上しました。これは教育界にセンセーショナルを興したそうです。(日本の例もありますので興味があったら探して見てください。)

この教育界のムーブメントを追研究したのが2013年のスウェーデン、カロリンスカ研究所で、毎日運動すると4分で集中力が向上、20分で読解力が向上と報告しました。

体育の後の授業は眠くてぼーっとしてたな、、とう私の記憶とは大分異なる結果です(笑
しかし確かに、歩くと考えが動く感覚があります。血の巡りが良くなってくると酸素が行き渡って視界も考えも広がります。コンディションを整えるためのもの運動は適量がよい、ということですね。(詳細は検索して見てください)

思考は体技です。アイデアに行き詰まったら歩いたり縄跳びしたりしてみてください。

UIは「意味世界」と「物理世界」のインターフェイスである2024年09月20日 18:06

みなさまこんにちは^^

UIが「人は交換したい生き物」という特性があるから成立する、というお話をしています。

「交換」に着目していますが、交換と同時に大切なのが「共有」です。言語が情報交換であると同時に、情報の共有であることは理解しやすいです。
小さな子供がぬいぐるみを指して「この子は赤ちゃんね」と一言いうだけで、その場の集団はそのシチュエーションを共有し、一つの世界をつくって行きます。これって凄いことなんですよね。

カラスは知能の高い生物として知られていて、単独では8歳程度の子供より頭が良いそうですが、2人で椅子を動かすような共同作業が出来ません。また、集団で狩りをする動物は共同作業をしますが、特定の学習期間に獲得しないと出来ないまま一生を過ごすそうです。ましてや、おままごとのようなごっこ遊びは出来ません。(動物は出来なくて人間だけが出来る、というものは本当はまだ観察されていないだけ、ということも多いので、今後変わる可能性がありますが)

ごっこ遊びに見られる「イメージの共有」が、人を人足らしめたと考えるのが現在の主流です。イメージは、目的、役割だけに留まらず、世界観、価値観、思想、倫理、宗教に及びます。これを仮に「意味世界」とまとめますと、人はまさにこの「意味世界を交換、共有したい生き物だ」といえるでしょう。

さて、UIは操作性に関わるところが主ですけれど、物理世界の理屈だけでは説明が出来ないことがあります。
例えば、ちょっと昔の話ですがウォークマンとiPodを比較しましょう。
ウォークマンはボタンが複数ありました。その方が使いやすく、理にかなっていたのです。そしてボタンは多い方が「高機能で値段が高い」ものでした。
一方iPodは特徴的なホイールUIだけで全ての操作を行いました。物理的には非効率な構造でしたが、メニュー構造を理解しやすく「スマート」に見えました。これは歓迎され、その後のUIに多大な影響を与えます。
UIデザインの現場において、iPodのスマートさがウォークマンを古くさく見えるものにした、という事実はちょっとした衝撃でした。iPodの意味世界がウォークマンの意味世界より「素晴らしいもの」として歓迎されたからです。これは思想戦だったのだ、とあらためて思い出されます。

「UIは『意味世界』と『物理世界』のインターフェイスである」
このことを意識する機会は少ないかもしれませんが、絶対に忘れてはならない視点です。
うーん、やっぱり倫理にまで行きますね、今後は。

「平成みたい」と令和2024年06月12日 18:21

ジェネレーションギャップにお悩みの皆さまこんにちは^^

先日、「ちょっと古いデジカメがエモい」ということでノキアで写真を撮ったりしました。これをブログに書いた後にコメントを下さる方がいて、(ほぉ、これをこんなふうに思うのか)という発見がありました。こういう実験はいつも面白いです。

貰ったコメントの中でひとつ、私の三女(1999年生)のものを紹介します。

「でも正直、ぱぱとままから送られてくる○○(犬)の画質、いつもちょっと平成みたいだなと思っていた」

これはノキアの写真がいつもの私たちの写真と同じ感じがする、という文脈です。私たちは普段エクスペリアのSO-54C(2022年発売)を使っています。
えー、令和の機材使っても平成って言われちゃうんだ、、と思いました(苦笑

その後、よくよく聞いてみると、だいたい以下のような事だと分かりました。

・エクスペリアの弱点である暗所での写真(室内の料理、夜、黒い犬など)にそれを感じる。
・エクスペリアでなくても暗くて補正してない感じが平成っぽく感じる。
・最近のiPhoneやGoogle Pixelのような、AIで補正以上の生成を行っているコンピュテーショナルフォトグラフィの、明るくて綺麗な画像が普通と思っている。
・ちなみに、もっとあからさまに古いのが昭和。

これは「AI生成を含む写真を標準と感じる」ということですよね。これが「令和っぽさ」なのでしょう。
これは、、大袈裟に言うと、パラダイムシフトが起きているのかもしれません。今後に注目です。

自尊感情と自己評価2024年06月03日 10:22

デザインのダメ出し、するのもされるのも苦手という皆さまこんにちは^^

先日、人事関係の方の話として「叱らない上司」と「叱られるのも学びがないのも嫌という部下」の問題を聞きました。

「叱らない」は「叱れない」も含みますが、パワハラとコンプラと戦力喪失を意識しているのは間違いないでしょう。
一方で「学びがないのが嫌」というのも、分からなくはないですね。成長実感を求めているのは真っ当な態度だと思います。
でも、上司からすると、「叱っても叱らなくてもやめる」という「詰んだ」状態だと。
なので、部隊を動かす上司とコーチを別の人が担当する編成も増えているのだとか。

この話を聞いて思い出したのが、修業時代の上司でした。
今の基準で見たらブラックもブラック、パワハラと人格破壊の刃がフルタイムで突きつけられていました。実際多くの人が辞めて行きましたし、上司自身も去って行きました。
そのような中で、私だけは平気で耐えられた、とは言いませんけれど、何とかしのげたのは「自尊感情」と「自己評価」をたてわける考え方が身に付いていたからです。

たとえばデザインスケッチの出来が良くない時に怒鳴られたり、そのスケッチを破られたり、「だいたいお前は、、」と人格攻撃される訳ですけど、そのことを「デザインへの評価」は受け取って、人格攻撃はできるだけ受け取らないようにしました。(実際は、攻撃が効くこと多数なのですが)

最も怖い反応は「無視」です。デザインした商品が売れない、というのはまさにこれで、悪評が返ってくる方がはるかにいいのです。そのことを前提にすると、私のデザインスケッチの出来の悪さは、改善点がある、と捉えられなくもない、です。

仕事の出来へのコメントと人格攻撃を分けることが大切な事です。
ざっくりと言い換えると「メッセージと感情をわける」ことですね。
これはまあまあしんどい作業ですが、気をつければ出来るようになるものの類いでもあるようです。

感じ良くダメ出しをする、なんて出来るでしょうか。恐らく、出して側だけの努力では難しいかもしれません。
「学びが足りない」と感じてらっしゃるかたはひとつ、「自尊感情」と「自己評価」をたてわけて考えて見る事をおすすめします。

意味の創出2024年05月13日 10:40

デザインで飛躍を企む皆さまこんにちは^^

前回は「問題提起もデザイン」という話をしました。
この視点については、ロベルト・ベルガンティ氏の有名な「デザイン・ドリブン・イノベーション」に説かれる「意味のイノベーション」が正鵠を射ています。(というより、私の話の上位互換です。)

「価値のある意味」
これは私が修業時代、デザインのコンセプトの創出、という命題に日々格闘していた時に得た知見です。「デザインはその商品の意味を作る作業で、それを共有出来る状態に言語化視覚化したものがコンセプト。」そう定義して活動していました。
これは、ブランドの創出にほかならないので、そういうチャンスに恵まれないとなかなか経験出来ないことですが、幸いにも20年以上続くいくつかのブランドの源流を作り出す事が出来ました。(前職の会社名義なのでここでは伏せます。残念。)
これは自慢ではなく、「デザインはその商品の意味を作る」という事を明示して臨む事がどれだけ力強い事か、というお話なのです。

ナラティブ
一つの事象、製品をどう捉えるかで結果がまったく変わってきます。上の「デザイン・ドリブン・イノベーション」には、これも有名なエピソード「ろうそく」の話が載っています。日本の例では、カップヌードルの海外進出の際に「めん類」の棚では全く売れなかったものが「スープ類」の棚に置いたとたんに売れ出したという話がありますね。(こちらも著名事例なのであちこちで紹介されています。)
「私にとって○○は□□だ」という、当事者目線での意味を作ることが肝要と説かれています。
そしてこれは問題提起を含んだデザインそのものでもあります。ですので、意味のイノベーションに悩んだ際は、そこに含まれる問題提起に思いを巡らせて見て下さい。

デザイン:問題提起2024年05月10日 18:09

デザインを何とか手中に収めたいとお考えの皆さまこんばんは^^

前回、「デザインは問題解決」というお話をしました。
これには後日談がありまして、「問題解決がデザインだとすると問題提起はアートである」という論が出てきたんですね。この説は対比としては分かりやすいですし、なるほどと一度は思いました。でも、後日(ちょっと違うかも)と思うようになります。これはアートを観賞したりコレクションしたり、自分でも作ったりして「アートは問題提起の要素はあるかもしれないけれど本質ではない」と感じるようになりました。
ここで、デザインにとって大切なのはアートの定義ではなく、問題解決とセットとなる「問題提起」の方です。これは何だろう、と。

結論で言うとそれもデザインの一部です。既に認識され共有された問題に対する解決策としてのデザインと、解決策を見て初めて「こんな問題があったのか」と気付く、問題提起とセットとなったデザインがあるのですね。

三宅イッセー氏の言葉としてつたえ聞いた事のある言葉なんですが「アートは悲しみも嘆きもするが、デザインはいつも希望を灯すんです(趣意)」と。本当に三宅イッセー氏が言ったかどうかは別として、共感します。問題提起に終わらせず、解決策まで志向すること。これは意志の問題でもあります。

余談。一部の先輩デザイナー方にアートとデザインを対比したがる傾向を感じて、これはコンプレックスの裏返しと思っていました。心の中では冷めた目で見ていた私が、アートとデザインを比較して論じております。あるときコンプレックスは私自身の問題だと気付いたんですね。ですので今はデザインとアートを比較する事に抵抗はありません(笑

デザイン:問題解決2024年05月08日 15:46

デザインがお好きな皆さまこんにちは^^

デザインが「お化粧」ほどの意味合いで、開発の後半に参画するのが一般的だった頃、ある先輩はその現状に憤慨しつつ「デザインは問題解決だ!」と持論を述べたことがあります。私は「デザインは創意工夫すること」という感覚を掴みかけた頃でしたので、この説に共感したのを覚えています。バブル前夜の事でした。

その後CIブームがあったりユニバーサルデザインがあったりデザイン思考があったり、デザインがビジネスと相性がいいことが何度も示されて行きました。デザインがどんなにその範囲を広げても、根本は常に問題解決を志向するからだと思っています。

そして今。この「問題解決」を主軸に見ればデザイナーの仕事は変わりありません。そこに何か問題があるとき、それを「形や仕組みで解決する」のがデザインです。また、そうしようとするのがデザイナーです。

ちなみに、問題を争議として法的に解決(法曹)したり、和解(政治)させたり。身近にも心当たりがございませんか?そう、問題解決全てがデザインではありませんよね。ビジネスでも同じで、その問題の解決にデザインをどの範囲まで及ばせるのかが大事です。そしてこれはトップのみが判断すべき差配なのでした。(重要なので言及しました。)

賞と売り上げ2024年05月06日 10:58

デザインの効果を尋ねあぐねてらっしゃる皆さまこんにちは^^

「デザインは二つしかない。売れるデザインと賞をとるデザイン、そのどちらかだ。」

とある世界的大企業のデザインセンタートップAさんのお言葉です。2000年代、日本のメーカーは「売れるけどかっこ悪い」というレッテルを嫌い、日本のデザインが世界トップクラスにある事を、各国のデザイン賞をとる事で証明しようとしていました。実際、多くの日本製品が賞をとり、日本のデザインが垢抜けないとは言われなくなりました。

Aさんはまさにその頃、日常的に「売れるデザイン」と「賞をとるデザイン」の両方をディレクションされていた方です。Aさんには開業時に大変お世話になったのですが、この言葉を正面から言われた時はちょっと戸惑いました。(賞をとってその上売れるのが良いのでは?)と思ったからです。
しかしAさんと仕事をさせて頂く中で、Aさんの認識の方が正しいと思い直しました。当時の賞をとるようなデザインは、日本ではうけなかったからです。(「MAYA段階」参照)
これは「レースで優勝して量産車を売る自動車メーカーのようなものだ」、と独り言ちた事を覚えています。

時間が経って、、。
Aさんはメーカーのブランドイメージ向上と売り上げの確保という命題と当時の市場環境を鑑みて、シンプルな2方向のディレクションにまとめられていた、と拝する事が出来ます。

今「日本でデザインする」そのことの立ち位置はどのあたりでしょうかね。
賞か売り上げかはいずれにせよ、デザインは使用者の立場に立ってするものです。使用者目線でどうあればよいのか、その主軸がはっきりしていれば見えてくるものなのです。(詳しくはご相談ください^^)

MAYA段階:受け入れられる革新とは2024年05月01日 10:24

デザインの革新性におなやみの皆さまこんにちは!

20世紀のアメリカンデザインの巨匠「レイモンド・ローウィ」氏のデザインは、その名を知らなくても、流線型の機関車やピース(たばこ)をご存知の方は多いでしょう。
ローウィ氏は徹底して「売れるデザイン」を求めました。そして1940年頃発見したという肝要が「MAYA段階」です。

MAYAはMost Advanced Yet Acceptable(最も革新的だが受け入れられる)の頭文字をとったものです。
消費者の先進的なものへの憧れと未知への恐怖のぎりぎりのところ、そこが「売れる」のだと。この理論は画期的で理解も実践もしやすいため広く受け入れられたようです。
(過去形で書きましたが、今でも基本のキに違いありません)

昨年のAIショックではその革新性が驚きと共に受け入れられました。AIの技術自体はもっと以前からあり、完成度の低さとその危険性から一部の開発者のものに留められていたそうです。そして、今急速に普及しているAIも完成度はそれほど変わらないとも。これは興味深い事例だと思います。
AIにおいては、Chatというあり方が「受け入れられる形」でしたね。(そして、「言葉遣いのうまさ」が「情報の信頼度」に勝るという、誰もが薄々感じて居たことが明確に追認されました。余談です。)

AIの受け入れられ方をみて思い出す事例が二つあります。LINEとパズドラです。
LINEは後発のチャットアプリでしたが、そのレスポンス抜群のUIの使い心地が他を圧倒しました。
パズドラはスマホのゲームで、並んだコマをなぞって消すパズルゲームと対戦ゲームを合わせたものです。こちらも多数ある同種の中から「なぞって消す楽しさ」が群を抜いていました。
どちらも、UIの使い心地が支持を受けるかどうかの分かれ目になりました。

AIに話を戻しますと、「言葉遣いの上手さ」は使い心地の肝ですね。
テクノロジーが前面化したいまは、「使い心地」がMAYA段階に達する手段となっているのだと思います。

MAYAのイメージ
AIが描いた「MAYA段階」のイメージ
dmc.
クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
「デザインの言葉」 by Fumiaki Kono is licensed under a Creative Commons 表示 - 継承 3.0 非移植 License.