フレーミングって強力2025年01月10日 18:46

みなさまこんにちは^^

この冬、我が家のお気に入りおやつはこちら「割れちゃったむき甘栗」。

割れちゃったむき甘栗
今日もこの小袋がたくさん入ったパックがストックしてあります。

値段もそこそこですし、人に差し上げても喜ばれますし、何より美味しいです。
そして、割れた甘栗は少し入っている程度なので、ちょっと得した感じがします。
割れた甘栗を排除する手間やロスをやめることで 値段を抑え無駄もなくなるという価値を、ネーミングで表現しています。実にマーケティングらしい、うまい名前だと思いました。

ある商品の側面を前面化してアピール(フレーミング)する古典的な成功例として、カップヌードルのアメリカ進出が有名です。サイズが小さいため、麺ではなくスープとして売り場に並べることで、スープとしては食べ応えがあると認知され、売れるようになりました。

その商品をどのように認知させるのかは強力なツールです。UIデザインでもこのフレーミングはやはり強力なツールとして有用です。
スイッチレイアウトに困った時は、フレーミングを意識してみてください。何かヒントが見つかるかもしれません。

ピンクのスワロフスキー2025年01月08日 17:57

スワロフスキー店舗写真
みなさまこんにちは^^

年末にひとつ、ただ綺麗なだけのものを求めるのが毎年のことになっています。
昨年末は皿を買いましたが、これは実用品。しばらく「ただ綺麗なもの」は手に入れていないかもなぁ、、と思い、以前は良くたちよったスワロフスキーへ行ってみました。店舗カラーが薄めのグリーンに統一されていて、紙袋はピンクになっていました。

少し前からクリスタルのアートピースは縮小して、アクセサリーに舵を切っていたのは知っていましたけれど、店舗カラーや接客などのブランドアイデンティティーも、以前のコンサバティブな雰囲気から変えていました。

ITTALAもロゴを変えて、ハイファッションのようにどんどん買い替えてくれるお客さんを重視する方向に転換していましたね。デパートの上の方の階で高価格帯のアートピースを商っていたようなブランドは、どこも方向転換を図っています。

話ずれますが、デパートの高級品売り場はすでに「クラフト品」の展示即売が主流になってますよね。クラフトが「民芸品」から「アートピース」として存在感を放つようになってきています。デパートでもネットでもマルシェでもない、魅力的な売り場が近いうちに出てきそうです。

・・・そんなことを、スワロフスキーのピンクの小袋を眺めながら思ったんでした。

デザインの始まり2025年01月06日 10:54

みなさまこんにちは^^

洞窟壁画からアートの始まりと表現についてお話をしました。
それでは、デザインの始まりはどうでしょう?

以前、デザインは「誰かのために創意工夫すること」であり、それを喩えると「贈り物」だ、というお話をしました。
そうしますと、「創意工夫の痕跡がある」や「贈られたものと推定できる」ものは「デザイン」といえる、と考えます。

で、人の歴史にそれが最初に見られるのは、「石器」です。

考古学によれば、旧石器時代は260万年前まで遡ります。シンプルな石斧からはじまり、旧石器時代後期(4万〜1万3千年前)には高度に発展しました。

マンモス狩のイメージ
マンモス狩りのイメージ

今でも道具は生活と密着していますが、今以上に道具の優劣が生死に直結しただろう時代。石器には、生存をかけた工夫が見られて興味深いです。

(つづく

ますますデザイン2025年01月01日 10:37

朝焼けの富士山と電線
新年明けましておめでとうございます!

今年はより一層、"ピュア"なプロダクトを作って行きたい、そんなことを思いながら年が明けました。
UIにおいては、使用者さまの意味世界を大切にする意識がこれまで以上に必要だとも予測しています。

いずれにしましても、私たちのデザインが誰かを和ませ、幸せに寄与するよう、今年も全力で臨んで参ります。本年も倍旧のご愛顧を賜ります様、よろしくお願い申し上げます。

写真は新幹線の車窓から、朝焼けに染まる富士山を背景にした街の風景です。煙突の煙や電線、一般的には邪魔なものですが、私は好きなんです。人の生活がそこにあってここでは見えないものまでつながっている、、そんな感じで惹かれております。

本年もよろしく、重ねてお願い申し上げます。

最近の一冊2024年12月20日 10:33

みなさまこんにちは^^
今年も大詰め、毎年イルミネーションや流れてくるクリスマスソングに年末を気づかされております。

今年は読書と同じくらいオーディブルで聴書(というのでしょうか)しました。調べたり考えたりする本と好きな作家さんの小説は読書、知らない作家さんの小説は聴書という棲み分けが今年は鮮明でした。
お気に入りで何度も読んだ一冊が聴書だと入ってこなかったり、聴書で感じたリズムが読書だと全然違ったりするのも面白いです。これは使ってる感覚器官が違うからだと思いますが、そのうち私の脳内で統合されて行くだろう、とも予想しますので、その変化も楽しみにしましょう。

さて、今年の読んだり聴いたりした中で印象に残った一冊をご紹介します。

ダグラス・ラシュコフ著「デジタル生存競争

原題は「Survival of the richest」です。「the richest」はイーロン・マスクやジェフ・ベゾスを筆頭にしたアメリカのテック産業の勝者たちのことで、彼らが繰り広げる生存競争を、彼らの思考様式(マインド・セット)を切り口に語り、批判しています。
これは"あえて"だとあとで思ったのですが、ちょっと歯切れが悪いのでちょっと解りにくいところがあります。分かりやすく「誰か(もしくは何か)を悪ものにしてそれをなくせば速やかにこの世は救われる」という語り口は、彼らの「マインドセット」そのものだからだ、と思いました。

昨年(2023年)に話題になった本なので読まれた方もいらっしゃるでしょう。私は今年の後半に積読(つんどく)の中から引っ張り出して読みました。日米で大きな選挙があり、兵庫県知事選では"SNSがマスメディアをひっくりかえす"結果が出た頃で、内容とリンクしてとても興味深く読みました。

SNSはそのアルゴリズムによって、私たちを「労働力と見なして富を収集させている」という視点は正鵠を射ていると思わせる説得力がありました。そして過度のフィードバックがハウリングを起こしているという比喩も。

SNSは利用者集団に、恣意的にハウリングを起こすことができ、SNSの主に都合の良い状況(混とんとし解決策が必要になりそれがSNSで見つかること)を作るという。
「解決策」は最初は売りたい商品でした。しかしその仕組みは「解決策」から「救世主」に、簡単に置き換えることが出来ます。(陰謀論じみてきますね)

私たちは「物理世界」と「意味世界」を同時に生きています。「意味世界」は人間が獲得した能力と仮定すると、SNSの起こすハウリングを御する思想はどのように立ち現れてくるのか、、そんなことを思いました。

UIデザインは物理世界と意味世界を繋ぐフロントエンドです。しかもデザインは「意図」そのものです。日々のワークの中でここまで考えるお題はないかもしれませんが、デザイナー自身は自覚的でありたい、と思います。

ここでお知らせです。
弊社は12月29日から1月5日までお休みを頂きます。
今年のブログは今日までとさせて頂き、1月6日に再開の予定です。
みなさま、本年も大変にありがとうございました。
素晴らしい新年をお迎えください。

表現の「発見」2024年12月18日 18:19

みなさまこんにちは^^

洞窟壁画から、美しいと思う「心の作用」に、「表現」という行為が重なって行くのがアートだというお話をしました。
「心の作用」は所与(もともともっている)だとして、「表現」はどうでしょうか?

新生児の行動観察から、人はその発達の途中で、表現を「発見」するように出来ている事が分かっています。例えば地面にしゃがみ込んで、初めはやみくもに動かした手の残した軌跡が顔に見える*と、次第にその顔を描こうとするようになります。「手の軌跡が何かに見える」、もう少し抽象的に言いますと、「自分が作りだした形に意味を見つける」、これが表現の発見です。

そして重要なことは、この行為(表現)ははじめは楽しさや喜びを伴い、行為が進むともどかしさや不満(上手くいかないとうこと)が生じるということです。沢山の複雑な感情と繋がっているということですね。

余談ですが、ピアノにしてもサッカーにしても、最初に師事する先生が「楽しさを教えるタイプ」の方が、生徒の継続性や成長性が高いそうです。

そして、美しいと思う「心の作用」は受手の中にありますので、たとえ自分が行った表現であっても、その意図が伝わるとは限りません。このもどかしさ。アートの道の険しさですね。

(つづく

アートの起源と表現欲求2024年12月16日 10:30

みなさまこんにちは^^

先週、「美・感動を感じれば、意図は関係なくそれはアートだ」というお話をしました。これは対象物を美しいと思えばアートと呼べる、というお話です。この仕組みに焦点を当てますと、「何かを美しいと思う心の作用がある」と言えます。
考古学によれば、6万5千年前には洞窟壁画*が作られていました。壁画を作らせた衝動の内面や文化的力学は分かりませんが、少なくとも「何かを表現したい」という欲動が存在したことは確かです。この表現欲求はホモ・サピエンスの遺伝子が固まる1万年前には確実に、私たちに備わっていました。

アルゼンチン クエバ・デ・ラス・マノス壁画・9,000年以上前
こちらはアルゼンチンの9,000年以上前とされる「クエバ・デ・ラス・マノス壁画」です。この壁画は、顔料を吹きつけるパイプのような道具と共に発見されました。
顔料を吹きつけて手の形を写す人々。活き活きとした日常の光景、それとも厳かな儀式的な行為、もしくは特別な祝祭の芸能、、さまざまな可能性が感じられます。

美しいものを求めていたかどうかは分かりませんけれど、これらの表現に「美・感動」を感じていた当事者は多かったはずです。表現したものの中に「美しいと思う心」が刺激され、表現の技巧の探求が進んでいく、、その瑞々しい現場を目撃しているような気持ちになりました。

美しいと思う「心の作用」に、「表現」という行為が重なって行く。それこそがアートですね。

(つづく

*)スペイン ティト・ブスティーリョ洞窟・推定65,000年前・ネアンデルタール人

「質より量」と「非線形」いう話2024年12月13日 10:15

みなさまこんにちは^^

タイパの時代ですが、MLBの大谷選手が睡眠について「質より量」と言っていて流石だなと思っていました。(もうちょっと古い話ですけれど)

先日は同じMLBで活躍している菊地投手が子供たちとの会話で、「少しずつうまくなるんじゃなくて一気にうまくなるんですよ。一気にうまくなるコツをつかむために練習するんですね。コツコツ練習することは絶対大事だけど、きっかけをつかむためコツコツ練習するんです」」答えていました。
コツコツ練習することの大切さと目的意識をつなげた、解像度の高い回答でこでも流石だな、と思いました。

私は「量が質に転化する」ということを知識としてだけではなく体感的にも知っています。量を詰まないと質が上がって行かないんですね。そして上がる時は短期間で上がるんです。この時期につかみ取るものを「コツ」といいます。
「コツ」
これは伝授可能な知識的な側面もありますが、本質は量です。量がない人にコツを与えても活かせません。余談。

ある時期短期間で上がる、というのは努力と成果が比例しない「非線形」であるということ。S字カーブだったり、階段状だったり、一旦落ち込む谷間が合ったりしますけれど、最終的には上がります。(昔1万時間が流行りましたけれどそこでもこのような話がありました)

「非線形」の報われ無さに耐える資質が重要です。
今の表層的な時代感とは一見かい離して見えますけれど、もしろそのことが共有されたので「無駄な時間を惜しむ」が強くなってきたと言えるでしょう。

「捨てない」クリエイテイブ2024年12月11日 18:33

みなさまこんにちは^^

以前、いわゆる「ゴミ屋敷」の片づけを手伝ったことがありまして、その時に(あれ、私も捨てたくない方だけどほっとくとゴミ屋敷になるのかな)とちょっと怖くなったんです。
ありものを工夫して必要なものを作る人(ブリコルール)はデザイナーの資質がある、というお話を以前しましたけれど、そういう人は概ね(何かに使えるんじゃ・・?)とものを捨てない傾向も合わせもっています。私もです。

うーん、困ったな。。

で、ちょっと調べたんです。「捨てられない」は嗜癖(アディクション)であり、「捨てる、捨てないことをコントロールできなくなった状態」だと。
これならすこし分かります。捨てないにしても「ちゃんと取っておく事が出来るか」ではかることが出来ます。
私事ですが、昨年末から今年の初めにかけて資材を大量に処分する機会がありましたが、その際に「捨てられない」という嗜癖はないということもわかりました。良かったです^^

同時に、取って置く状態への関心が低かったことも反省しました。使うためにとって置くんですから、そこもクリエイトしたら楽しいんじゃない?と。何に使えるか、使う場合どのぐらいの頻度か、代替は既にあるのではないか、どこにどのように置いておけれか、、。この観点で取捨選択するようになると、使い勝手の良いものだけが残って行く、、それを感じ始めています。
「捨てない」クリエイティブ。楽しいです。

デザインは贈り物。アートは?2024年12月09日 18:39

みなさまこんにちは^^

デザインとアートは関係が深いです。私が学生の頃は対比してその相違点や優劣が語られたりしました。その中には職業的なデザインがアートと比べて歴史が浅いために「アートを凌駕する価値があると言いたい」というポジショントークだったかな、と今となっては思う論もありました。本当にデザインの歴史が浅いかどうかは後日の話題としまして、今日は「アート*」を俯瞰して見ようと思います。

デザインの時と同じように、「アート」と聞いて思い浮かべるものを列挙してもらいまして、ざっくり、以下の5つが並びました。

絵画・彫刻

音楽・ダンス

建築・工業製品

風景・自然現象・生物

工場・廃虚・路地裏


「絵画・彫刻」は、あらゆる芸術作品全般をまとめて表しました。物理的な作品ならほとんどあてはまります。

「音楽・ダンス」は、身体表現にかかわるもの全般をまとめたものです。ライブパフォーマンスの類いは「観客」と「それを包む文化」も一体となっていますので、その全体を指す場合はここにあてはまります。

「建築・工業製品」は、何か目的を持って作られたものに感じる美です。デザインの多くはここにあてはまるでしょう。美的な意図を全く持たなくてもアートを感じさせるものも沢山あります。

「風景・自然現象・生物」は、人工かどうかは別として、人知を超えたものに感じる美、圧倒される美です。

「工場・廃虚・路地裏」は、美しさとは距離を置いた人工物に生じる美です。人工物を自然の一部として捉える感覚を刺激する美でもあります。

映画などの「総合芸術」と呼ばれるものには、どこかひとつに収まりきらないものもあるでしょうが、上の5つを大きくはみ出すものはないと思います。(ですので、よしとします。)

美・感動を感じる=アート

上の2つは人がアートとして表現したものですが、3つめはアートの意図の有無は混在し、下の2つはアートとして人が表現したものではありません。
ここから導き出せるのは「美・感動を感じれば、意図は関係なくそれはアートだ」ということです。

「感じればアート」というのは「アートは結果論」だといえます。これはとても重要なところです。何故かといいますと、「デザインは意図」だからで、ここに本質的な違いがあります。

(つづく

*)アートはartの日本語読みですが、ここでは原語の厳密な意味としての正しいartではなく、一般的に私たちが「アート」と言っているものをさしています。
dmc.
クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
「デザインの言葉」 by Fumiaki Kono is licensed under a Creative Commons 表示 - 継承 3.0 非移植 License.