ミチクサオーバルがambiente2025 trends25+に選出! ― 2025年03月17日 18:34
ゲレフー国際空港(CG) ― 2025年03月14日 10:05
みなさまこんにちは^^
ブータンの第二国際空港となるゲレフー国際空港の計画が発表されました。
めちゃくちゃ惹かれます。
大阪万博の大屋根が世界一を誇りますが、木造での大規模建築は2000年のハノーファーの万博会場あたりから根強く続くトレンドでもあります。木造であることを置いておいても、ここはぜひ訪れて土地文化との接続を感じてみたいと思いました。
ちなみにBIGは、トヨタのToyota Woven City を手がけています。
こちらも楽しみです。
ジャケ買い「魚が存在しない理由」 ― 2025年03月12日 17:15
幸せのパラドックス ― 2025年03月10日 18:50
みなさまこんにちは^^
気になる論文「Happiness depletes me: Seeking happiness impairs limited resources and self-regulation(幸福は私を枯渇させる: 幸福を求めると、限られた資源と自己規制が損なわれる)」があったので、AI(今回はGrok3)に要約してもらいました。(文末に全文引用)
幸せを求めると自己コントロールのリソースが消耗してかえって不幸になる行動をとりやすい。かわりに、自然に幸福を受け入れる態度の方が良い、ですって。
これは幸せというものの性質をちゃんと表しているなと思いました。
努力の報酬が「幸不幸」を決すると考えると、結果が出なければ全て不幸になります。つきつめれば、人生全勝でなければ不幸になる、という考え方です。考え方というより、感じ方ですね。「成功=幸せ」というマインドセットです。
ただ、成功してる方が失敗してるより幸福を感じやすいのも事実ですから、成功を求めるのは悪くないと思います。
成功を求めて行動し、その過程で気付いた幸せを受け入れる、というエピソードはどなたも身近にみつけられるでしょう。
山本周五郎の短編「橋の下」に、
ーー怒りや悲しみや、苦しみさえも、いいものですーー
という一文があります。これが「自然に幸福を受け入れる態度」ですね。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
サイトの翻訳と要約
指定されたURL(https://iaap-journals.onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1111/aphw.70000)は、Wiley Online Libraryに掲載されている学術論文で、タイトルは「Happiness depletes me: Seeking happiness impairs limited resources and self‐regulation」(「幸福は私を消耗させる:幸福を求めることは限られた資源と自己調整を損なう」)です。著者はKimらで、2025年1月30日に公開されました。この論文は、幸福を追求することのパラドックスに焦点を当てています。
翻訳された要約(アブストラクトの一部)
人はポジティブな感情を最大限に経験し、ネガティブな感情を最小限に抑えようとすることで幸福を求めます。しかし、幸福を求めることは、より多くの幸福をもたらすどころか、幸福の減少や時間の喪失といったネガティブな結果を招くことが研究で示されています。本研究では、幸福を追求することが自己調整能力の消耗につながるかどうかを検証しました。結果として、幸福を求める傾向が高い人は自己調整能力が低下し(研究1・2)、幸福を意識的に追求する状況では自己コントロールの失敗やタスクの持続性が低下することが分かりました(研究3・4)。
端的な要約
この論文は、「幸福を追い求めると逆に不幸になりやすい」という逆説を検証し、幸福を意識的に追求することで自己コントロールや精神的なリソースが消耗し、結果的に我慢や努力が難しくなることを示しています。
分かりやすい解説
主なポイント
幸福のパラドックスとは?
人は「幸せになりたい」と強く思うほど、それを追い求める行為自体がストレスや疲れを引き起こし、逆に幸福感を減らしてしまうことがあります。これは「幸福のパラドックス」と呼ばれます。
例: 「毎日笑顔でいよう」と頑張りすぎると、疲れてしまって逆にイライラが増えるような状況です。
自己調整(セルフコントロール)の消耗
自己調整とは、衝動を抑えたり、目標に向かって努力を続ける能力のこと(例: ダイエット中に甘いものを我慢する)。
研究では、幸福を強く意識すると、この自己調整に必要な精神的なエネルギーが減り、例えば難しい課題を続ける力が弱まったり、誘惑に負けやすくなることが分かりました。
実験で何が分かったか
研究1・2: 幸福を重視する性格の人は、普段の生活で自己コントロールが弱い傾向がある。
研究3・4: 「今から幸せになろう」と考えると、普通の状態や「正確にやろう」と考える場合に比べて、我慢や努力が減る。
身近な例で考える
「毎日ポジティブでいよう」と決意した人が、失敗した時に「自分はダメだ」と落ち込むことがあります。この論文は、そうやって「幸せを無理に追いかける」ことが、かえって心の余裕を奪うと説明しています。
逆に、幸福を自然に受け入れる姿勢の方が、ストレスが少なく自己コントロールも保ちやすいのかもしれません。
結論
幸福を追い求めるのは悪いことではないけれど、「頑張って幸せになろう」としすぎると、心が疲れて逆効果になる可能性があるよ、というのがこの論文のメッセージです。リラックスして自然に楽しむ方が、結果的に幸せに近づけるのかもね、という視点を提供しています。
指定されたURL(https://iaap-journals.onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1111/aphw.70000)は、Wiley Online Libraryに掲載されている学術論文で、タイトルは「Happiness depletes me: Seeking happiness impairs limited resources and self‐regulation」(「幸福は私を消耗させる:幸福を求めることは限られた資源と自己調整を損なう」)です。著者はKimらで、2025年1月30日に公開されました。この論文は、幸福を追求することのパラドックスに焦点を当てています。
翻訳された要約(アブストラクトの一部)
人はポジティブな感情を最大限に経験し、ネガティブな感情を最小限に抑えようとすることで幸福を求めます。しかし、幸福を求めることは、より多くの幸福をもたらすどころか、幸福の減少や時間の喪失といったネガティブな結果を招くことが研究で示されています。本研究では、幸福を追求することが自己調整能力の消耗につながるかどうかを検証しました。結果として、幸福を求める傾向が高い人は自己調整能力が低下し(研究1・2)、幸福を意識的に追求する状況では自己コントロールの失敗やタスクの持続性が低下することが分かりました(研究3・4)。
端的な要約
この論文は、「幸福を追い求めると逆に不幸になりやすい」という逆説を検証し、幸福を意識的に追求することで自己コントロールや精神的なリソースが消耗し、結果的に我慢や努力が難しくなることを示しています。
分かりやすい解説
主なポイント
幸福のパラドックスとは?
人は「幸せになりたい」と強く思うほど、それを追い求める行為自体がストレスや疲れを引き起こし、逆に幸福感を減らしてしまうことがあります。これは「幸福のパラドックス」と呼ばれます。
例: 「毎日笑顔でいよう」と頑張りすぎると、疲れてしまって逆にイライラが増えるような状況です。
自己調整(セルフコントロール)の消耗
自己調整とは、衝動を抑えたり、目標に向かって努力を続ける能力のこと(例: ダイエット中に甘いものを我慢する)。
研究では、幸福を強く意識すると、この自己調整に必要な精神的なエネルギーが減り、例えば難しい課題を続ける力が弱まったり、誘惑に負けやすくなることが分かりました。
実験で何が分かったか
研究1・2: 幸福を重視する性格の人は、普段の生活で自己コントロールが弱い傾向がある。
研究3・4: 「今から幸せになろう」と考えると、普通の状態や「正確にやろう」と考える場合に比べて、我慢や努力が減る。
身近な例で考える
「毎日ポジティブでいよう」と決意した人が、失敗した時に「自分はダメだ」と落ち込むことがあります。この論文は、そうやって「幸せを無理に追いかける」ことが、かえって心の余裕を奪うと説明しています。
逆に、幸福を自然に受け入れる姿勢の方が、ストレスが少なく自己コントロールも保ちやすいのかもしれません。
結論
幸福を追い求めるのは悪いことではないけれど、「頑張って幸せになろう」としすぎると、心が疲れて逆効果になる可能性があるよ、というのがこの論文のメッセージです。リラックスして自然に楽しむ方が、結果的に幸せに近づけるのかもね、という視点を提供しています。
家事ロボット ― 2025年03月07日 18:09
みなさまこんにちは^^
ノルウェーのロボット会社「1X」、家事も行う汎用人型ロボット「NEO Gamma」を発表。
これ、私たち(特に日本人)がイメージするロボットに一番近い感じがしませんか。お掃除ロボが出てきた時に(確かにロボットだけどそうじゃないんだよ)と思った方は多いと思います。
いまこのタイミングで汎用人型ロボットを売り出すのは、人間とのリアルな生活を通してしか得られない知見から今後もっと良いものを作るため、と。パートナー的な立ち位置なら感情面でもUIセオリー的にも絶対人型がいいです。ですから、これが(もしくはこのタイプが)ビジネス的にも上手くいってほしいところ。
生活支援ロボットが介護や看護といったところまで踏み込んだ場合、ルンバ的な機能に最適な形態のものか、汎用の人型になるのかは、サービスを受ける側の満足度より、提供者側の経済性が優先されると思いますので。注目です。
2025トレンドカラー 3色 ― 2025年03月05日 18:59
みなさまこんにちは^^
デザイントレンドは恣意的なものや希望的なものも含めて色様々なところが発信していまして、極く浅くですが、定期的に追いかけていますと(あ、これはそうかも)とか(こういう方向性でビジネスしたいのね)とか、、色々と思うことがあるので興味深く拝見しています。
さて、トレンドを「流行」と言い換えますと、ファッション業界が仕掛ける恣意的なそれが「流行」そのものの元祖といえます。
大量の繊維を用意することを考えますと、毎年「今年の色は〜〜」と業界あげて言えるのは「そのように準備する」のが合理的です。ですから、流行色は繊維業界をウォッチするのが基本と教わりました。
業態が複雑化してスピードが上がった現代では、どこまで影響力あるでしょうね。
さてさて、今年2025年の流行色予測3つをチェックしてみましょう。
業界に長いパントーンとJAFCAはともにくすみ系カラー、SNSのピンテレストは強めの選定。面白いです。年末の振り返りを楽しみにしましょう。
メンタルモデルのくみあわせ 創作日中共通語 ― 2025年03月03日 10:10
みなさまこんにちは^^
先日ネットで、中国語話者と日本語話者の意思疎通が出来る創作言語を作った猛者を発見。
漢字の単語を英語の文法に混ぜて使うと、中国語話者と日本語話者がともに使える言語になる、という提案です。日中どちらの話者も、専門的な話をするほど相手言語も英語も出来ないけれど、漢字の意味は汲み取れるから英語の基本が分かれば通じるという。面白いこと考えますね!
最初から英語で話せばいいじゃないか、という話ですが、英語力はそこそこでいい、というのが味噌なんでしょう。
機器のUIデザインは、使用者の経験してイメージが出来ている操作モデル(メンタルモデル)に沿うようにデザインします。こある製品の操作が、一つのメンタルモデルだけではカバー出来なくても、いくつかのメンタルモデルをくみあわせればカバー出来そうな場合、とても有効な手段です。冒頭の投稿はのことを思いです話でした。
この時大切なのは使用者の供えているメンタルモデルを良く吟味することです。ここに成否の鍵があることは言うまでもないですね^^
機械彫刻用標準書体 ― 2025年02月26日 18:15
みなさまこんにちは^^
「機械彫刻用標準書体」がデジタル化され、しかもフリー書体として配布されていると聞きまして、早速ダウンロード。関係者の皆さま、ありがとうございます。
これは嬉しい。
実家が印刷工場で、そこに並ぶ印刷機の注意書きや指示書書きはほとんどが彫刻機で彫られたものに墨入れしたものでした。
かつて沢山の媒体で使われていた「ナール*」という書体がありますが、ナールを初めて見た時に(似てるな)と思いしまた。
似てる要素は、太さが均一で角と端が丸いこと。これは彫刻機で彫ることで生まれる特徴そのものです。
比較してみるとこんな感じです。
とこかで使う日を楽しみにしましょう。
*)ナールもデジタル版がリリースされています。こちらは有料です。
「ていねいな暮らし」と聖域 ― 2025年02月24日 10:43
みなさまこんにちは^^
前回は「ていねいな暮らし」というワードに対する両極端なイメージについてお話ししました。
私はデザイナーとして、「ていねいな暮らし」の指ししめすイメージと、実感としての「ていねいに暮らす楽しさ」の両方を思い浮かべます。
前者はスタイリングパターンとして、後者は生活実践の態度として、です。
コーヒーをハンドドリップで淹れる、レコードで音楽を聴く、窓辺で本を読む。これらのシーンに「ていねいな暮らし」というワードを被せるとある一定のイメージが湧くのではないでしょうか?それが「スタイリングパターンとしてのていねいな暮らし」。
一方で、スタイリングパターンと関係なく、コーヒーや音楽を大切に楽しんでいる人も沢山いらっしゃる。これが「生活態度としてのていねいな暮らし」。
「ていねいな暮らし」に嫌悪感のある方は、イメージにも生活態度にも嫌悪感があるよう(前記事参照)です。
それでも
ですので、スタイリングパターンとしてではなく、生活態度としてていねいな暮らしを取り入れるられたらいいな、と思います。自分の生活を大事にした方が自己肯定感も自尊感情もあがりますので。
「そんな余裕はない」とおっしゃらずに、15cmの聖域から始めてみるのはいかがですか、というお話しです。
話飛びますが、片づけのプロが教えるコツとして「綺麗な場所とぐしゃぐしゃでいい場所を作って、綺麗なところはそれをキープして、片づかないものはぐしゃぐしゃの場所に移動する」というのを実効性のある対策としておすすめしていました。
これは、お子さんにおかたづけを教える方法として知られた方法です。部屋全部ではなく、決めた範囲を綺麗にすることから始めれば楽しみながら片づけられるようになる、と。
この方法、私も効果を実感しました。昨年引っ越したんですが、くつろぐ場所を決めて、そこだけは綺麗にキープするようにしたんですね。そうするとまずQOLが爆上がりします。帰ってきた時に片づいた空間があってそこで一息つくことの癒やし効果は絶大なものがあります。また、荷物などは雑然としていいところに置けばいいのでいらいらしません。
そしてその気持ちよさを知ると、ぐしゃぐしゃの場所も自然と片づいて行くようになります。大人でも効果絶大でした。
これは、「聖域」とか「祭壇」とか呼ばれるものを生活に持ち込む効果そのものだと思います。
「ていねいな暮らし」の「ていねい」をもう少し細かくみますと、「手順を守る」と「心を込める」の二つがあるのがわかります。「心を込める」は「気持ちが行き届いている」とか「心を配る」とかでもあてはまります。
そこだけは趣味全開な場所を「聖域」、推しグッズを並べた場所を「祭壇」と一部で呼ぶそうですね。
心がこもった空間を持つことの喜びが、「ていねいな暮らし」の根っこなんだろうと思います。
写真は窓辺に飾った正月飾り。
引っ越しの荷物で埋まった空間を浄化してくれる感じがしました。
前回は「ていねいな暮らし」というワードに対する両極端なイメージについてお話ししました。
私はデザイナーとして、「ていねいな暮らし」の指ししめすイメージと、実感としての「ていねいに暮らす楽しさ」の両方を思い浮かべます。
前者はスタイリングパターンとして、後者は生活実践の態度として、です。
コーヒーをハンドドリップで淹れる、レコードで音楽を聴く、窓辺で本を読む。これらのシーンに「ていねいな暮らし」というワードを被せるとある一定のイメージが湧くのではないでしょうか?それが「スタイリングパターンとしてのていねいな暮らし」。
一方で、スタイリングパターンと関係なく、コーヒーや音楽を大切に楽しんでいる人も沢山いらっしゃる。これが「生活態度としてのていねいな暮らし」。
「ていねいな暮らし」に嫌悪感のある方は、イメージにも生活態度にも嫌悪感があるよう(前記事参照)です。
それでも
ですので、スタイリングパターンとしてではなく、生活態度としてていねいな暮らしを取り入れるられたらいいな、と思います。自分の生活を大事にした方が自己肯定感も自尊感情もあがりますので。
「そんな余裕はない」とおっしゃらずに、15cmの聖域から始めてみるのはいかがですか、というお話しです。
話飛びますが、片づけのプロが教えるコツとして「綺麗な場所とぐしゃぐしゃでいい場所を作って、綺麗なところはそれをキープして、片づかないものはぐしゃぐしゃの場所に移動する」というのを実効性のある対策としておすすめしていました。
これは、お子さんにおかたづけを教える方法として知られた方法です。部屋全部ではなく、決めた範囲を綺麗にすることから始めれば楽しみながら片づけられるようになる、と。
この方法、私も効果を実感しました。昨年引っ越したんですが、くつろぐ場所を決めて、そこだけは綺麗にキープするようにしたんですね。そうするとまずQOLが爆上がりします。帰ってきた時に片づいた空間があってそこで一息つくことの癒やし効果は絶大なものがあります。また、荷物などは雑然としていいところに置けばいいのでいらいらしません。
そしてその気持ちよさを知ると、ぐしゃぐしゃの場所も自然と片づいて行くようになります。大人でも効果絶大でした。
これは、「聖域」とか「祭壇」とか呼ばれるものを生活に持ち込む効果そのものだと思います。
「ていねいな暮らし」の「ていねい」をもう少し細かくみますと、「手順を守る」と「心を込める」の二つがあるのがわかります。「心を込める」は「気持ちが行き届いている」とか「心を配る」とかでもあてはまります。
そこだけは趣味全開な場所を「聖域」、推しグッズを並べた場所を「祭壇」と一部で呼ぶそうですね。
心がこもった空間を持つことの喜びが、「ていねいな暮らし」の根っこなんだろうと思います。
写真は窓辺に飾った正月飾り。
引っ越しの荷物で埋まった空間を浄化してくれる感じがしました。
【速報】Opunaが第10回医美同源デザインアワード「入院生活を豊かにするデザイン」優秀賞作品に選定 ― 2025年02月21日 10:58
みなさまこんにちは^^
Opunaは2015年に発売されたものです。医と美は源を同じくするという視点からの受賞、しかも10年越しで。とても嬉しく光栄に思います。
これはまちがいなくご愛用くださった皆さまのおかげです。心より御礼申し上げます。ありがとうございます。
Opunaは本当に不思議で、デザインした時も、製品化した時も、そして今回の受賞も、私がデザインしたのは間違いないのですが、Opuna自身が主体者であるという感覚がずっとあります。「Opunaがそう望んでこうなった」という、私は重要ではあるけれど代行者かもしれない、という感覚。
ですので(Opuna、良かったね)という気持ちでおります。^^ゞ
優秀賞の中から部門賞、大賞が選ばれる予定です。
もし「次」がありましたら、またお伝えいたします!
最近のコメント