写真の散歩2013年05月07日 23:25

ゴールデンウィークに予定がなかった私に素敵なお誘いがありまして、知人の主催する「趣味の写塾」の、江ノ島で散歩しながら撮影するイベントに参加してきました。

江ノ島 写真散歩
江ノ電の踏み切りを蟻の目線から。

江ノ島 写真散歩
この低いくぐり抜けがゲートの様な効果を感じさせます。

江ノ島 写真散歩
素敵なお二人。

江ノ島 写真散歩
丁寧な仕事ぶりに敬礼。

江ノ島 写真散歩
初めて登った展望台から春霞に浮かぶ相模原が見えました。

江ノ島 写真散歩
ある瞬間、二人だけの空間ができました。

江ノ島 写真散歩
奥の岩場まで電気を届ける電柱は木製でした。

江ノ島 写真散歩
磯溜まりの中から。

いわゆる撮影会は参加した事がないのですが、休日をカメラ片手に散歩するのは楽しいですね。この日はわざと慣れない50mmレンズ(それとスマートフォン)を使いましたけれど、返ってイメージが広がりました。(なお腕の方は一向に、ですが(笑)

知性のありか 「植物はそこまで知っている」2013年05月08日 23:40

「植物はそこまで知っている」
ダニエル・チャモヴィッツ著「植物はそこまで知っている」を読みました。

人間の五感と対比させながら、植物の「感覚」を最新の科学的知見に基づいて説いています。語り口は判りやすくありながら慎重で、安易な擬人化がもたらす誤解を丁寧に避けているように感じます。

私も耳にした事がありますが、かつて「植物も人と同じように会話をし、聴き、質の良い音楽を求めている」という話しが流布された時期があります。この本はそのような擬人化された植物の感覚をきっぱりと否定しながら、あえて人間の五感を対比させたのは、「感覚」を理解するには私たちの経験を基にするのがよいということなのでしょうね。

例えば「植物は見ている」の章では、植物には「目」と「脳」がないので、私たちのように網膜で結像したものを中枢神経で処理をすることはないけれど、私たちの目や身体の中にある「光受容体」は持っていて、そこから様々な外界の情報を得て活用している事が示されます。

また、青い光を受容する「クリプトクロム」は植物にも人間にもあり、ともに体内時計を調整する働きを担っているのだそうです。太陽の青い光が体表面のクリプトクロムに届くことで「今は昼間」ということを関知しているのです。
驚いた事にこのクリプトクロム(由来のシステム)は原始の単細胞生物にも見られるそうです。
・・ここまで語られることで、私たちの「見る」と、植物のそれでは異なりながらも「視覚」が進化の過程で枝分かれした同じ根っこを持つものである、というイメージが伝わりました。

同様に嗅覚、触覚、聴覚、固有感覚(位置感覚)、記憶が、植物の進化の結果獲得した固有のものとして語られます。これが面白かった!

そして最後に、「知っている」ということの先にある知能、知性についても、五感同様に安易な擬人化を避けながら、一貫して慎重に可能性をにおわせて終わっています。

「知」にも生物ごとの必要に基づく多様性があるのだ、という思いが余韻として続いています。

「何でもいい」は返事のくず2013年05月09日 23:06

岳母の言葉なのですが、名言だなぁと思っております。

「夜ご飯何にする?」「今日どこ行く?」「何が欲しい?」
・・そんな質問に答える時、相手を思いやっていそうで一番がっかりさせてしまう回答が「何でもいい」ですよね?

ところで、他言語圏では具体的に要望しない事は明確にダメだと教わるそうですが、私たちは「何でも良い」が相手を思い計る気持ちを含んでいる事も感じられますよね。こうした相互依存的なコミュニケーションは固定化した関係性が続く社会だったからだ、という説明はもっともらしく聞こえます。

固定化した社会では、仕手(する側)が受手(される側)より未成熟な状況は確かに生まれやすいでしょう。
役者や噺家には「お客さんに育てられる」という関係が残っていますし、「寿司屋のおまかせ」なども客が職人を評価している部分が少なからずあります。
そういう関係の中では「何でもいい」には、「思うようにやって見なさい」という懐がある、といえるかも知れません。

しかしこの「やってみなさい」にただ反応するだけではやっぱりダメなのでしょうね。「考えのない回答」は期待を裏切ってしいます。
成熟した受け手の「何でもいい」は、仕手に取って恐い言葉なのです。

ふり返って「何でもいい」を未成熟な受け手が使うのは、やはり様々な思索を奪うでしょう。

岳母はこれを禁じ手にしました。ただし不可能な回答も許されません。そうして子供たちは「自分の要望を実現可能性を計りながら主張する」ように仕向けられたのです。凄いなぁ。

「天地明察」2013年05月10日 09:24

天地明察
今更といわれそうですが、沖方丁著「天地明察」を読了していましたのでご紹介です。

今は途絶えた碁「安井家」の二世算哲として御城碁(おしろご:将軍の前で碁を披露する)を務めながら、算術と暦の研究家として観測と改暦を一生の仕事とした渋川春海の物語です。

本人は弱気ながら周囲の期待と庇護を通して成就するさまは、いかにも現代的な人物像として受け入れやすそうです。もとより史実を基にしたフィクションですので、そのような脚色は当然でしょうね。それが飄々とした雰囲気をつくり親しみやすく読みやすい印象になっています。

しかし封建制度を確立して行く時世にあって、「天文方」という新しい世襲職を将軍に作らせてしまうのは、運や身分を存分に用いたとしても凄いお方だったのでしょうね。面白かったです。

ところで今回はkindleを枕元に置き、寝る前に数頁を読み進めるという読書でした。手元灯だけでは不安な画面コントラストも、文字サイズとフロントライトの調整で補えましたので、読書の邪魔にはなりませんでした。
(もちろん、改善の要望は沢山感じておりますが、それはまた別の機会に。)

エプロンのファクトリーショップ「napron」2013年05月13日 23:11

先日ある方からご紹介頂いた岡山のファクトリーショップ「napron」。
早速ひとつ購入しました。

napron
小振りのカットで、ポケットにものを入れても足に当たりにくい感じです。

napron
ブランドタグ。

napron
胸当てを兼ねた革のポケット。鋲留めは嬉しい仕様です。

napron
丸いポケットのステッチ。
小さいネジや先端の尖ったものなどが引っ掛かりにくい配慮ですね。

「オレンジ」とありましたが、ヴィンテージを意識させる渋めの色になっています。
こういう男の人が使える色のものって少ないんですよね。探してもカフェ風だったりして悪くないのですが、「工作」にはちょっと繊細過ぎたりしました。これはそこがデザインされてますね。気に入りました。

「日本の手仕事」をことさら気負う感じはなくても、身の回りのものにこだわり、丁寧にデザインしたものには、やはり力があるなぁと思いました。お勧めです。

napron
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