GREEN CANAL:美しく、安全で、人々のオアシスになる2024年03月11日 10:49

デザインで飛躍を企むみなさまこんにちは^^

前回ご紹介した「GREEN CANAL」、概要をお伝えしますね。(一回目/全三回)

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「GREEN CANAL」のイメージする未来は「美しく、安全で、人々のオアシスになる都市」での生活です。
 子供の頃、私は幹線道路のそばに住んでいまして、満員の路面電車やその間を急ぎ足で行き来する車や人々を眺めるのが好きでした。しかし、その道路は事故が多く、空気も今よりずっと汚かったので、そこに留まるのは危険なことでした。
  大人になってから、ヴェネツィアや蘇州など水路のある美しい都市を訪れ、人々が水路をいかに愛しているかを目の当たりにした時、子供の頃の思い出が蘇りました。私が大好きだった道路が、この水路のように美しく、人々の生活を支え、そばにたたずむ喜びに溢れていたら、、。そんな夢想が出発点となっています。

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具体的には、「GREEN CANAL」は5層になった道路のアイデアです。その仕組みは以下のようになっています。

1層目:柔らかく、美しく、透水性のある表面(天然芝、人工芝など)
2層目:表層に適した表土(砂混合土など)
3層目:透水性の下層土(多孔質セラミックなど)
4層目:透水性隔離スクリーン(土壌の流出と液状化を防ぐ)
5層目:保水層(保水スペースの多い瓦礫など)
インフラのバイブは管理しやすい3層目に敷設します。
この構造は、道路自体が局所的な雨水の循環を担っています。4層目のスクリーンは、粒子の移動を制限する事で、機能保全と地震の際の液状化抑制の役割があります。

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「GREEN CANAL」に期待される主な効果は以下の4つです。

1:ヒートアイランド現象の抑制
夏は表面を冷やし、冬は空気を加湿します。
2:洪水の抑制
急な豪雨でも短時間で浸透・保水します。
3:事故死の抑制
柔らかい表面が転倒事故の衝撃を和らげます。
4:液状化被害を軽減
地震による液状化を抑制し、インフラや路面への被害を最小限に抑えます。

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都市により気候が異なりますから「GREEN CANAL」の構造にはバリエーションが必要です。
ざっくりと以下のようなバリエーションが考えられます。

○地盤が軟弱
杭式地盤補強などで地盤を強化し、さらに布基礎を設けるなど。
○水が多い
保水層を拡大、水路化するなど。
○乾燥している
インフラを利用して給水システムを設置するなど。
○地表植物が生い茂る
人工芝の採用など。

次回(二回目)は東京の現状にてらしあわせたものをご紹介します。

環境への期待値:転べる道路2024年03月08日 10:47

デザインで飛躍を企むみなさまこんにちは^^

ここのところ、モノ→モノの群→環境への期待値と、モノとして扱う視点の「焦点の範囲」を広げて考える話をしています。その流れの中で前回は「家の性能をアップするとライフスタイルが変わる」という話をしました。この話は、ごく普通の常識的なことですので、驚きはないと思います。しかし、一個人がモノとして扱う視点をもったまま、その個人の意図の及ぶ範囲を超えて行こうとする思考は、今まで「前提」としていた(家の性能のような)固定的なものを考え直す機会を与えてくれるのが良いところだと思います。

神の視点と人の視点
既に確立されている「環境デザイン」「都市デザイン」にとって「大局的な視点から環境を扱うこと」は大切です。この大局的なものの見方を便宜的に「神の視点」として、一個人からの見方を「人の視点」と言い分けてみます。
神の視点発想のデザインと、人の視点発想のデザインがあり、どちらも使い分けるのが大切な事は言うまでもありません。
もしそこに、固定的なものかある場合、それは「人の視点」からは「当たり前」のこととして見えてきます。当たり前過ぎて見えなくなっていることもありますが、その「当たり前」を見つけるのはちょっとしたコツをつかめば出来るようになります。ですので、「固定的ではあっても変える必然性のあるもの」は、人の視点発想からの方が見つけやすいと私は感じています。

生活圏の延長としての「道」
話は飛びますが、大人になって子どもがうまれ、公園で遊ばせたりするようになると、子どもが土や草の上で転ぶのと、アスファルトやコンクリートで転ぶのとでは段違いの差がある事が改めてよくわかります。自分の子どもの頃のことを思い出して見ますと、家の周囲の砂利道で転ぶとすりむいた所に砂が入りとても痛いのですが、それよりコンクリート舗装の駐車場で転んだ方が、すりむくだけでなく全身がずきずきと痛くて嫌でした。子供心にコンクリートは怖いと思ったものでした。子育てから親の介護に携わる間に、「道の危なさ」については色々と身にしみていきまして、そもそも人が使うモノとして「道」は「人」にフィットしていないのではないか、、そんなことを感じたのでした。

転べる道路
「人の視点発想」でみますと、家の周囲の道を生活圏の延長として捉える事が出来ます。前回の「家の性能を上げる」のように、「家の周囲の道の性能を上げる」という考え方は出来るでしょうか。またそれはどういうことなのでしょうか。
まず「神の視点発想」は全体最適を目指します(目指すべきですよね)。それに対して「人の視点発想」は現場での最適(部分最適)を志向します。全体最適と部分最適はしばしば衝突します(「合成の誤謬」等が知られています。)が、ここではまず人の視点にたって見ます。
家の性能を上げる考えでは、結果的に人が安全に健やかに過ごせることが分かりました。道路の安全というと交通安全を考えてしまいがちですが、それは「道の性能」だけではなく、ルールと運用の話にもなってしまいます。ですので、道にとって「人が安全に健やかに過ごせる性能」とは、"路面の性能"が安全や健康に寄与する事と、ひとまずは言えるでしょう。
そう考えますと「柔らかく転んでもダメージの少ない路面」が良さそうです。これはデザインの前提のひとつである「人の失敗を許容する」という視点にも合致しています。
転んでもよい道なら、つかまり立ちのあかちゃんも、リハビリ中のおじいちゃんも、家の外で歩くことのハードルが下がります。そして道を歩くこと自体が楽しくなるでしょう。

GREEN CANAL
このようなことを2005年頃から考えるようになりました。人の視点発想を出発点として、神の視点発想と行き来しながら思案したアイデアを、2020年に一度まとめたものがあります。(GREEN CANALプロジェクト・英文PDF

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この「GREEN CANAL」は、都市の災害軽減とオアシスの創出を目的とした美しい道路の構想です。道路が人々の生活を支え、喜びを提供する美しい水路のようになることを願って名付けました。
この「路面」は、柔らかく水を透過する表面、適切な表土と透水性の下土、水分を保持する層、衝撃吸収と地震隔離の技術を利用して、都市のヒートアイランド効果を軽減し、洪水を減少させるなど、都市災害を軽減させることも期待しています。
一方で、車の性能を最大限に引き出せない、インフラのためのスペースが限られるなど、デメリットもあります。しかしその「GREEN CANAL」のデメリットこそが将来の革新の出発点でもある、という見方をしています。(詳細は後ほど)

環境への期待値:家の性能2024年03月06日 18:25

デザインで飛躍を企むみなさまこんにちは^^

モノを群相としてみてみると、モノが環境への期待値に寄与する、という視点に気付いたというお話しをしました。この話の「環境」は主に生活の拠点のことですので、つまり「家」ですね。

家の性能
建築家の知人によると、日本の民家は蒸し暑い夏をいかに楽に過ごすかを考え抜いた造りをしているそうです。日を遮る長いひさし、湿気を逃がす縁の下、風通し良く面積を調整できる部屋、煙が上に抜けて行く屋根裏、、夏の炎天下での生産性が生活に直結していた時代に出来上がった様式なのだ、と。なるほどと思います。
しかしこれは冬には厳しい造りです。それぞれの地域に根ざした冬装備がありますが、基本的には熱源の周囲で暮らす様式が一般的だと思います。囲炉裏やこたつ、ストーブのまわりに集まって手仕事をする姿は、リアルではしらない世代でも容易に想像出来るでしょう。
この様式が根づいていたため、近代西洋化の際にも日本の家の性能(断熱性や遮音性など)は旧来のままでした。

ちょっと検索して見ますと、日本の家の断熱性能が世界でもダントツに悪く資産価値も低くなる、という話がでてきます。(参考1,2,3
エネルギー政策的に規制を強化して行く流れもありますす。(2025年4月より省エネ基準適合の義務化PDF

規制強化の流れは、省エネと資産価値の文脈だけでなく、断熱性能が上がった家での暮らしがどう変わるのかにも触れられていますね。
その視点、暮らしがどうなるかというところを「環境への期待値」としてイメージしてみましょう。

性能アップがライフスタイルを変える
断熱性能の上がった家では、、
・家の中の多くがここちよい場所となるため、くつろいだり何かをつくったり楽しんだりする場所の可能性が広がる
・温度変化を気にせず室内を移動出来るので服装の自由度が広がる
・疲れたり体調が悪くなった時も家のどこでも過ごせるのでストレスが少ない
・居場所が固定されにくいのでコミュニケーションのかたちが広がる
ちょっと考えただけでもライフスタイルを変えて行く事が想像出来ます。

おまけ:政策提案
さらに、断熱性能と有病率の相関を示す論文がありました。PDF 断熱性能が高い家に引っ越すとがくっと病気になりにくくなるんです。凄い。
エネルギーと安全保障だけじゃなくて医療費とか労働力とか、かなりの底上げになるんじゃないでしょうか。
そこで、以下の政策を提案しておきます。(財源試算も効果の見積もりもついていませんので、政策というよりコンセプト案ですね。あしからず。)
・全ての建築物の断熱性能を等級6(2022年設定)以上義務化
・窓などの建材の断熱性能を世界最高水準に義務化
・全ての既存住宅の断熱性能改善を等級5以上への改修の義務化
・既存住宅の改善は補助金と金利優遇措置

モノを群相で捉えた時に見えてくる「環境への期待値」と言う視点は、環境そのものの本質に迫れるという話でした。

モノの環境化:環境への期待値に寄与する2024年03月04日 11:25

デザインで飛躍を企むみなさまこんにちは^^

モノを群相として捉える話を続けています。
語彙を上手く使い分けられているのかちょっと心もとないので一度整理して見ます。

「環境をモノとして扱う」ことと「モノが環境化する」こと
「環境をモノとして扱う」ことと「モノが環境化する」ことは、言葉が似ていますが全く違うことをさしています。以下の意味で使っています。

【環境をモノとして扱う】
環境を意図をもって改変すること。人のモノへの態度をさす。
【モノが環境化する】
モノが配置される場所によって目的性を強化したり失ったり変質したりすること。モノの変質をさす。

環境を意図で満たすことは難しい
まず、前者の「環境をモノとして扱う」の究極は、身の回りのものすべてが意図に沿ってモノで満たす事でしょう。しかし、すべての空間を自分の意図や目的に応じて整理し、生活空間を完璧に構成するのは難しいことのように感じます。知識も経験も必要ですし、気持ちは移ろうものなのでそれを内包させるのはプロの仕事でしょう。
普通の人々は、欲しいと思うものや憧れるもの、いつか試してみたいものを手に入れ、使い、並べ、少しずつ改変していくことで、生活空間が出来て行きます。これが自然な成り行きですし、その過程は楽しいものです。
私自身は、整然とすべてに意図が行き届いた空間には大いに畏敬と美を感じる一方で、雑然としながらもその人の手の届く範囲に全てがあるような空間に強く惹かれます。

モノが環境化する
話は飛びますが、引っ越し先のがらんとした部屋に荷物が沢山入ってきたとたん暖かくなった、ということを経験しました。物理的に空気の流れがかわり、熱容量も変化するからだそうです。(余談。避難所で寒い時には荷物で空気のたまり場をつくる事が有効ですって。)
家具の配置で動線も変わりますから、部屋の環境としての質は、モノの配置や量に影響を受ける、と言えるでしょう。
しまわれたり飾られたりしているモノのいわば「出番がない時」には、大きさや素材や収納性(積んだり倒したりしても壊れずしまいやすい事)が、本来の目的とは別の所で効いてくるんですね。

環境への期待値に寄与する
また、娘たちが小さい時はお菓子の道具が沢山ありました。「○○がつくりたい!」と言った時にその道具や材料がすぐ揃う事が、娘たちにとっては驚きであり私たちにとっては喜びでした。のちに娘の一人が「このキッチンでは何でも作れそうな気がしていた」と言いっていました。これは娘の経験が「環境への期待値」を高めたのでしょう。これをモノの側から見ますと、「しまわれたモノたちが環境への期待値に応えた」とも言えそうです。この「環境への期待値に寄与する」は、モノの捉え方の一つとして大事かもしれません。

一つの物をデザインする際には、全ての空間の意図を考慮することは不可能ですが、その物を手に取る人が何に魅力を感じ、どのように生活の中に取り入れ、また不要になった時にどのように扱われるかを想像することは楽しく、また必要な作業だと思います。この思考過程で、モノを群として、環境として捉えるという視点は大切だと改めて感じています。
ちなみに、生活環境を整えるチャンス、具体的には家を買ったりリフォームするタイミングでは、プロの知見を活用して、目的のある空間と無目的な空間を上手くミックスし、自分たちに馴染んでいく過程を楽しんでいただければと思います。

環境としてのモノ:レイアウトの重要性2024年03月01日 16:01

デザインで飛躍を企むみなさまこんにちは^^

生活環境でモノを見渡す
「モノの群相を環境として捉える」という考え方をもう少し具体的にかみ砕いて見たいと思います。
人とモノの関わり合いを、1対1ではなく、一人の人の生活空間から俯瞰して見ましょう。
まずモノですが、時計を見る、音楽を聞く、ポットを使う、リモコンを操作するなど、さまざまな形や距離感で人の生活に関与しています。それぞれのモノは、何らかの目的を持って選ばれたり受け継がれたりしてそこにあるものです。(その使用を通じて目的が変化することもありますが)一定の目的性を持つことが重要な特徴です。
また、モノには要不要があり、不要になった際には人はそれを捨てたり片付けたりすることができます。つまり、物の生殺与奪は人が握っており、これをモノの「負の絶対性」と呼ぶことができるでしょう。

環境の絶対性
これに対して、環境は与えられたもの、または与える側が意図したものとして捉えられます。本来の意味の環境には負の絶対性は有りません。環境の側に絶対性があり、私たちはただ甘受するしかありません。
しかし、私たちは生活環境を目的に応じて、または要不要によって選択し、変化させていこうとします。住む場所を選んだり、エアコンや家具などを換えたりしますが、これは「環境をモノとして扱う態度の表れ」と捉えることができます。

レイアウトの重要性
さて、モノには一つ一つに目的や必要性がありますが、群として見た時、配置によってその目的性が強化されることがあります。例えば、キッチンで道具が使いやすく並んでいる場合などがこれに当たります。モノが並ぶことでその目的性が相互に強化しあうのですね。
しかし、収納の中に収まっている場合は、モノの目的性も必要性も低くなります。また、飾り棚に飾られている場合は、目的性よりもその人の個性を表現する側面が強くなります。
モノを群として捉えた場合、レイアウト(どこに置くか)が非常に重要であることがわかります。「レイアウトによってその意味や重要性が変わる」というのは、ユーザーインターフェースデザインの基本です。そのUIの基本が、現実の生活空間でも同様の作用を持つというのは非常に興味深いことです。

UIの見方から環境を見渡す、、面白くなってきました。
続きはまた。
dmc.
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