「好き」の力 ― 2024年10月16日 10:28
みなさまこんにちは^^
先日「夢はかなう」と言っていいというお話の中で、「好き・やって見たい」ということに躊躇無く取りかかり続けると、自分の「好き」の中から「向いてる/向いてない」が見えてくるようになる、ということを紹介しました。
最終的に好きなことを仕事にするのを諦めるとしても、「好き」を理由にやるのって大事なんです。といいますか、仕事にするしないはまた別の話ですよねそもそも。
「好き」を自分の人生の真ん中に置くと、生活をどうするのか、という課題が出てきます。ひとつの解は「好き=仕事」になること。もうひとつは「好き」と「仕事」を別々に成立させること。
今回の話は、「好き」を仕事にするためにも、「好き」と「仕事」別々に成立させるためにも、「好き」を突き詰める過程は有用ですよ、です。
まず、「好き」は解像度を高めます。
昔ポルシェのライトが「涙目」(英語圏では卵焼き)になって、ポルシェファンの反発を招き元に戻した、ということがありました。ポルシェが好きであればあるほど僅かな差違が気になったのですね。
たとえばアイドルグループ、興味がなく口の悪い人からは「みんな同じ」と言われたりしますが、ファンからしたら全然違いますよね。
誰でも好きなものの解像度は高くなるのです。
それから「好き」は共感が深いです。
好きなものをもっと知りたいと思い、様々な情報を集めるのは自然な流れです。その過程でより共感を深めて行きます。
聞いたことのない二軍選手が一軍の試合に出てヒットを打つ。ありふれた光景ですが、その選手が子供の頃から知っている野球少年で、そのバックグラウンドや苦労を良く知っていたら、涙なくして見られないでしょう。
「好き」は理解と共感の原動力人になります。
そして、「好き」は全てのことが「自分ごと」になるのです。
今抱えてらっしゃる仕事は自分が好きなことですか?それとも会社都合でたまたま回ってきた仕事ですか?どうしたって好きな方が頑張れますよね。もちろん、職業意識から手を抜かない方がほとんどだと思いますが、一線を超えるかどうかというシビアな時には、のるかそるかを分ける要素だと思います。
特にクリエイティブ系の仕事の場合、自分の限界を何度も超えて行かなければなりませんが、この限界を超えて行く原動力は「好き」がもっとも普遍的で誰でも持っている力だとおもいます。(他にも色々ありますがここでは割愛)
限界まで頑張らなくても、「好きだけど向いてないな」とか、「自分が好きなポイントはそれをすることじゃなくて見ることだったんだな」とか、「むしろ少し俯瞰的に立場で補助の方が力量発揮出来るな」とか、「単に細々としたことを延々とするのが好きなんだな」とか、色々と自分の中の解像度が上がって行きます。
そう、「好き」を続けて行くと、対象物に対比して「自分への解像度、共感」があがり、自分を「自分ごと」として捉える力がついてくるのです。
安心して「好き」を続けてください。
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