「新しい」とは2025年03月19日 18:44

みなさまこんにちは^^

デザインとは、というお話しを少し前に書きまして、そのことを切っ掛けに「そもそも新しいって何?」という話題が広がったことがありました。この話は面白かったので何回かにわけて書いて行きます。

まず、私がデザインにおける「新しさ」について意識したのは、大学時代にある教授がご自身の活動を「創新」と名付けたのが初めでした。
もちろん、デザインの現場では常に「Something New」を求められますし、知的財産権においても「新規性」は重要な項目ですから、新しさは前提となっていて、無邪気に「新しくないことは無価値」とさえ思っていました。

ところがある年末、売れ残ったカレンダーの一つに大判の盆栽写真があり、その美しさに目を奪われました。何一つ新しいものはないのに新鮮な感動のある不思議。パラダイムシフトのような感覚がありました。
調べてみると盆栽の世界では古い方が価値があり、「古色」という美しさの表現があります。若葉を愛でる事ももちろんあるので、新しさや若さも価値の一つです。それでも「古さ」の価値の絶対性には太刀打ち出来ないのでした。

話戻りまして、デザインの「新しさ」とは何でしょう?

それは既にあることをもう一度見つけ出すこと。
「再発見」---これがデザインの新しさだと私は考えています。
(つづく

幸せのパラドックス2025年03月10日 18:50

みなさまこんにちは^^

気になる論文「Happiness depletes me: Seeking happiness impairs limited resources and self-regulation(幸福は私を枯渇させる: 幸福を求めると、限られた資源と自己規制が損なわれる)」があったので、AI(今回はGrok3)に要約してもらいました。(文末に全文引用)

幸せを求めると自己コントロールのリソースが消耗してかえって不幸になる行動をとりやすい。かわりに、自然に幸福を受け入れる態度の方が良い、ですって。
これは幸せというものの性質をちゃんと表しているなと思いました。
努力の報酬が「幸不幸」を決すると考えると、結果が出なければ全て不幸になります。つきつめれば、人生全勝でなければ不幸になる、という考え方です。考え方というより、感じ方ですね。「成功=幸せ」というマインドセットです。

ただ、成功してる方が失敗してるより幸福を感じやすいのも事実ですから、成功を求めるのは悪くないと思います。
成功を求めて行動し、その過程で気付いた幸せを受け入れる、というエピソードはどなたも身近にみつけられるでしょう。

山本周五郎の短編「橋の下」に、

ーー怒りや悲しみや、苦しみさえも、いいものですーー

という一文があります。これが「自然に幸福を受け入れる態度」ですね。

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サイトの翻訳と要約
指定されたURL(https://iaap-journals.onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1111/aphw.70000)は、Wiley Online Libraryに掲載されている学術論文で、タイトルは「Happiness depletes me: Seeking happiness impairs limited resources and self‐regulation」(「幸福は私を消耗させる:幸福を求めることは限られた資源と自己調整を損なう」)です。著者はKimらで、2025年1月30日に公開されました。この論文は、幸福を追求することのパラドックスに焦点を当てています。
翻訳された要約(アブストラクトの一部)
人はポジティブな感情を最大限に経験し、ネガティブな感情を最小限に抑えようとすることで幸福を求めます。しかし、幸福を求めることは、より多くの幸福をもたらすどころか、幸福の減少や時間の喪失といったネガティブな結果を招くことが研究で示されています。本研究では、幸福を追求することが自己調整能力の消耗につながるかどうかを検証しました。結果として、幸福を求める傾向が高い人は自己調整能力が低下し(研究1・2)、幸福を意識的に追求する状況では自己コントロールの失敗やタスクの持続性が低下することが分かりました(研究3・4)。

端的な要約
この論文は、「幸福を追い求めると逆に不幸になりやすい」という逆説を検証し、幸福を意識的に追求することで自己コントロールや精神的なリソースが消耗し、結果的に我慢や努力が難しくなることを示しています。
分かりやすい解説
主なポイント
幸福のパラドックスとは?
人は「幸せになりたい」と強く思うほど、それを追い求める行為自体がストレスや疲れを引き起こし、逆に幸福感を減らしてしまうことがあります。これは「幸福のパラドックス」と呼ばれます。

例: 「毎日笑顔でいよう」と頑張りすぎると、疲れてしまって逆にイライラが増えるような状況です。

自己調整(セルフコントロール)の消耗
自己調整とは、衝動を抑えたり、目標に向かって努力を続ける能力のこと(例: ダイエット中に甘いものを我慢する)。

研究では、幸福を強く意識すると、この自己調整に必要な精神的なエネルギーが減り、例えば難しい課題を続ける力が弱まったり、誘惑に負けやすくなることが分かりました。

実験で何が分かったか
研究1・2: 幸福を重視する性格の人は、普段の生活で自己コントロールが弱い傾向がある。

研究3・4: 「今から幸せになろう」と考えると、普通の状態や「正確にやろう」と考える場合に比べて、我慢や努力が減る。

身近な例で考える
「毎日ポジティブでいよう」と決意した人が、失敗した時に「自分はダメだ」と落ち込むことがあります。この論文は、そうやって「幸せを無理に追いかける」ことが、かえって心の余裕を奪うと説明しています。

逆に、幸福を自然に受け入れる姿勢の方が、ストレスが少なく自己コントロールも保ちやすいのかもしれません。

結論
幸福を追い求めるのは悪いことではないけれど、「頑張って幸せになろう」としすぎると、心が疲れて逆効果になる可能性があるよ、というのがこの論文のメッセージです。リラックスして自然に楽しむ方が、結果的に幸せに近づけるのかもね、という視点を提供しています。

メンタルモデルのくみあわせ 創作日中共通語2025年03月03日 10:10

みなさまこんにちは^^


中国語話者と日本語話者がともに使える言語

漢字の単語を英語の文法に混ぜて使うと、中国語話者と日本語話者がともに使える言語になる、という提案です。日中どちらの話者も、専門的な話をするほど相手言語も英語も出来ないけれど、漢字の意味は汲み取れるから英語の基本が分かれば通じるという。面白いこと考えますね!
最初から英語で話せばいいじゃないか、という話ですが、英語力はそこそこでいい、というのが味噌なんでしょう。

機器のUIデザインは、使用者の経験してイメージが出来ている操作モデル(メンタルモデル)に沿うようにデザインします。こある製品の操作が、一つのメンタルモデルだけではカバー出来なくても、いくつかのメンタルモデルをくみあわせればカバー出来そうな場合、とても有効な手段です。冒頭の投稿はのことを思いです話でした。

この時大切なのは使用者の供えているメンタルモデルを良く吟味することです。ここに成否の鍵があることは言うまでもないですね^^

「ていねいな暮らし」と聖域2025年02月24日 10:43

ミチクサの正月飾り
みなさまこんにちは^^

前回は「ていねいな暮らし」というワードに対する両極端なイメージについてお話ししました。
私はデザイナーとして、「ていねいな暮らし」の指ししめすイメージと、実感としての「ていねいに暮らす楽しさ」の両方を思い浮かべます。
前者はスタイリングパターンとして、後者は生活実践の態度として、です。

コーヒーをハンドドリップで淹れる、レコードで音楽を聴く、窓辺で本を読む。これらのシーンに「ていねいな暮らし」というワードを被せるとある一定のイメージが湧くのではないでしょうか?それが「スタイリングパターンとしてのていねいな暮らし」。

一方で、スタイリングパターンと関係なく、コーヒーや音楽を大切に楽しんでいる人も沢山いらっしゃる。これが「生活態度としてのていねいな暮らし」。

「ていねいな暮らし」に嫌悪感のある方は、イメージにも生活態度にも嫌悪感があるよう(前記事参照)です。
それでも
ですので、スタイリングパターンとしてではなく、生活態度としてていねいな暮らしを取り入れるられたらいいな、と思います。自分の生活を大事にした方が自己肯定感も自尊感情もあがりますので。

「そんな余裕はない」とおっしゃらずに、15cmの聖域から始めてみるのはいかがですか、というお話しです。

話飛びますが、片づけのプロが教えるコツとして「綺麗な場所とぐしゃぐしゃでいい場所を作って、綺麗なところはそれをキープして、片づかないものはぐしゃぐしゃの場所に移動する」というのを実効性のある対策としておすすめしていました。
これは、お子さんにおかたづけを教える方法として知られた方法です。部屋全部ではなく、決めた範囲を綺麗にすることから始めれば楽しみながら片づけられるようになる、と。
この方法、私も効果を実感しました。昨年引っ越したんですが、くつろぐ場所を決めて、そこだけは綺麗にキープするようにしたんですね。そうするとまずQOLが爆上がりします。帰ってきた時に片づいた空間があってそこで一息つくことの癒やし効果は絶大なものがあります。また、荷物などは雑然としていいところに置けばいいのでいらいらしません。
そしてその気持ちよさを知ると、ぐしゃぐしゃの場所も自然と片づいて行くようになります。大人でも効果絶大でした。

これは、「聖域」とか「祭壇」とか呼ばれるものを生活に持ち込む効果そのものだと思います。

「ていねいな暮らし」の「ていねい」をもう少し細かくみますと、「手順を守る」と「心を込める」の二つがあるのがわかります。「心を込める」は「気持ちが行き届いている」とか「心を配る」とかでもあてはまります。
そこだけは趣味全開な場所を「聖域」、推しグッズを並べた場所を「祭壇」と一部で呼ぶそうですね。
心がこもった空間を持つことの喜びが、「ていねいな暮らし」の根っこなんだろうと思います。

写真は窓辺に飾った正月飾り。
引っ越しの荷物で埋まった空間を浄化してくれる感じがしました。

「ていねいな暮らし」のもやもや2025年02月19日 18:20

みなさまこんにちは^^

デザインでは人の暮らし、生活を知ることが大前提ですし、実際の現場でも「どんな暮らしぶりか」を無視した開発はありません。そこで、様々な暮らしぶりをあらわすワードが扱われるのですが、「ていねいな暮らし」は、憧れるひとつの理想像である一方、嫌悪感を隠さない方もいらして、ちょっとセンシィティブなワードです。
私自身、どちらの気持ちも分かるような気がしますし、同時に両者の和解は難しそう、、とも感じていました。この私が感じたことを基に、AIたちにサーチしてまとめてもらいました。*

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要点まとめ:「丁寧な暮らし」イメージ調査と嫌悪心理構造

1)「丁寧な暮らし」とは

時間をかけ、手作り、自然、シンプルさ、五感、持続可能性、健康、精神的豊かさを重視するライフスタイル。

2)3つの視点からの評価とイメージ

・ポジティブ評価: 
理想的なライフスタイル、自己肯定感向上、ストレス軽減、創造性発揮、社会貢献、洗練されたイメージ。実践者は豊かで充実した人生を目指す。
・どちらでもない評価: 
ライフスタイルの一つとして捉え、関心はあるが実践は難しい。流行やイメージ先行も指摘。部分的に取り入れる人も。
・ネガティブ評価:
偽善的、押し付けがましい、特権階級の贅沢、手間がかかる、自己満足・承認欲求、ストイックすぎる、情報過多で疲れる、田舎暮らし礼賛など。反発・嫌悪感を抱く人も。

3)「丁寧な暮らしが好きな人」を嫌う心理構造(主な要因)

・妬み・嫉妬: 持っていないものを持っている人への感情。SNSでのキラキラした発信で増幅されやすい。
・劣等感・脅威: できていないことを突きつけられる感覚、自身のライフスタイル否定への脅威。
・反発心・抵抗: 押し付けがましい、道徳的優位性への反発。啓蒙されているように感じる場合に強まる。
・自己防衛: 自身のライフスタイル正当化。「丁寧な暮らし」否定で心の平穏を保つ。
・情報過多による疲弊: 情報過多、理想と現実のギャップ、画一的な価値観への嫌気。
・完璧主義への嫌悪: 完璧さを求めすぎる姿勢への息苦しさ、人間味の欠如への嫌悪感。

4)結論

「丁寧な暮らし」への評価は多岐にわたる。嫌悪心理は、理想と現実のギャップ、価値観の多様性、情報過多社会の疲弊、完璧主義への反感など、現代社会の課題を反映している。

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「ていねいな暮らし」に象徴される理想像としての暮らしは、ひとつの理想像にすぎないと言えますが、それを理想とすることへの嫌悪が際立っている(上記3)のが特徴といえそうです。
アメリカに端を発する反DEI**(Diversity, Equity, and Inclusion:多様性・公平性・包括性)の雰囲気(いわく「逆差別」や「特定の価値観の強制」など)にちょっと似ているな、と感じたりもします。ふむ。

アメリカ大統領は就任に際して聖書に宣誓しますけれども、大国のエゴイズムをむき出しにする新帝国主義による「黄金時代」に進み始めました。キリスト教的な善悪規範、美意識(大罪とか真善美とか)の形骸化がどんどん可視化されてきていますね。
日本も日本的な美意識は依然としてありますが、形骸化している例も目立つようになりました。(「忖度」ってもともとは言い意味だったはず、、とか)

(つづく

*)ChatGPT 4oとGemini 2.0 Flash Thinking Experimentalの2者の推論を再度Gemini 2.0 Flash Thinking Experimentalにまとめてもらいました。

**)巨大テック企業が反DEIに舵を切りましたけれど、大多数の企業が追従には慎重、もしくはDEI推進派です。

概念を組み合わせる=創造する2025年02月12日 18:08

みなさまこんにちは^^

石器とデザインの始まりと工夫の組み合わせ、そこから人の知的能力の特徴「概念の共有」についてお話ししています。

「概念の共有」という能力は、様々な飛躍を生んだと想像されます。
石器の発展を例にとって見ますと、、

概念の組み合わせ

「切れる石」と「持てる棒」をそのまま組み合わせても悪くないのですが、「切れるもの(という概念)」と「持てるもの(という概念)」を組み合わせると、「切れて持てるもの」という新しい「刃物*」という概念が現れてきます。この新しい概念がさらに組み合わされて加速して行った、、イメージ沸きますね。

(つづく

*)実際のところ、「刃物」と命名したかどうかは不明ですが、何がしかの呼称を持つようになったと思います。「概念と言語」の関係も興味深いところですね。

概念の共有2025年02月10日 10:22

みなさまこんにちは^^

デザインの始まりというお話をしていまして、その初期から「アイデアは組み合わせ」という行いが見られました。個別の発見や経験をくみあわせて、新しいものを作って行く行為で、とても知的な営みです。

ここで一旦、人間の頭の良さについて。
どこかで、動物に出来ないと思われていたものが実は出来る事が分かってきた、というお話しを見聞きされたことがあると思います。「道具を使う」「言葉を持つ」「共同作業をする」「遊ぶ」などは、身近な動物でもイメージ出来ることありますよね。

良く知られた例として、カラスは人間の幼児よりも問題解決能力が高いといわれます。
固いクルミを地面に置き、車に轢かせて食べるとか、複雑な解錠手順を視覚から学習して再現するとか、です。鳥類一般に、愛情は深く知能も高い傾向があり、文法を持つ言語コミュニケーションも観察されています。
群れで狩りをする動物は多いですし、野生動物の遊びも観察されています。

人の知性を決定的に特徴づけているのは「概念の共有」です。
カラスと幼児の比較では、単独作業ではカラスの方が圧倒的に得意でも、共同作業が必要な課題は人間の幼児の方が圧倒的に得意です。
たとえば、「ひとりでは動かせない大きな箱の向こうにおもちゃがある」という状況では、人間の幼児なら目配せ一つで二人がかりの作業に取りかかれます。これが訓練なしに出来るのは今のところ人間だけだそう。
これは「箱を動かしておもちゃで遊ぶ」という目的を共有したからなのですが、その共有だけで、「箱の両端に別れる」「それぞれが箱を持つ」「同時に動かす」という複雑な行程を組んでしまうのは凄いことです。

知能比較

写真の右側はおままごとをしている子供たち、ぬいぐるみを赤ちゃんと見立てて遊んでいるところです。女の子が「このこはあかちゃんね」と一言言うだけで「ぬいぐみみ=あかちゃん」として自分の振る舞いを変えて行くのですから凄いですね。

これは、先程の「目的の共有」より抽象度の高い「概念の共有」です。概念を共有することのとてつもない力は、デザインにおいて日々感じています。この能力が私たちを「意味世界」の人たらしめているみとをしみじみと感じます。

当然、創造においてもその力強さを発揮するのですが、それはまた。

(つづく

自他ともの成功2025年01月24日 18:14

夕陽を捉えた鉄塔
みなさまこんにちは(^^)

先日クライアントに、「私の知ってるデザイナーさんは自分語りの好きな人ばかりなのにあなたは違う。お客様のためにデザインしてますね。」と言われまして。
そう、デザインは自分以外の誰かのためにする創意工夫ですから、そのようにお感じ頂けて嬉しいです、とお答えしました。

私への評価はとても有難く感じた一方で、他のデザイナーは本当に自分語りしかしていなかったのか、とも。ご期待にそえなければ、その提案は「自分語り」に終わってしまうことを、あらためて自戒しました。

もちろん、自身の造形や思想を前面化している方はいらっしゃいます。デザイナーを職業として成立させるために、戦略的な振る舞いとしてそれを選択されていることもあるでしょう。

それはそれとして、やはり、デザイナーの本分は利他的なものです。
でもこれは、決して自己犠牲ではありません。デザインは利他でありながら同時に自己の利益も両立させなければなりません。

まあこれは商売の基本なので、デザイナーだからという話でもないですけれど、デザイナーが何を見られているか、ということを、あらためて思ったのでした。

写真はその帰り道、夕陽をいち早くとらえた鉄塔です。すっと抜けた気持ちよさがありました。

最近の一冊2024年12月20日 10:33

みなさまこんにちは^^
今年も大詰め、毎年イルミネーションや流れてくるクリスマスソングに年末を気づかされております。

今年は読書と同じくらいオーディブルで聴書(というのでしょうか)しました。調べたり考えたりする本と好きな作家さんの小説は読書、知らない作家さんの小説は聴書という棲み分けが今年は鮮明でした。
お気に入りで何度も読んだ一冊が聴書だと入ってこなかったり、聴書で感じたリズムが読書だと全然違ったりするのも面白いです。これは使ってる感覚器官が違うからだと思いますが、そのうち私の脳内で統合されて行くだろう、とも予想しますので、その変化も楽しみにしましょう。

さて、今年の読んだり聴いたりした中で印象に残った一冊をご紹介します。

ダグラス・ラシュコフ著「デジタル生存競争

原題は「Survival of the richest」です。「the richest」はイーロン・マスクやジェフ・ベゾスを筆頭にしたアメリカのテック産業の勝者たちのことで、彼らが繰り広げる生存競争を、彼らの思考様式(マインド・セット)を切り口に語り、批判しています。
これは"あえて"だとあとで思ったのですが、ちょっと歯切れが悪いのでちょっと解りにくいところがあります。分かりやすく「誰か(もしくは何か)を悪ものにしてそれをなくせば速やかにこの世は救われる」という語り口は、彼らの「マインドセット」そのものだからだ、と思いました。

昨年(2023年)に話題になった本なので読まれた方もいらっしゃるでしょう。私は今年の後半に積読(つんどく)の中から引っ張り出して読みました。日米で大きな選挙があり、兵庫県知事選では"SNSがマスメディアをひっくりかえす"結果が出た頃で、内容とリンクしてとても興味深く読みました。

SNSはそのアルゴリズムによって、私たちを「労働力と見なして富を収集させている」という視点は正鵠を射ていると思わせる説得力がありました。そして過度のフィードバックがハウリングを起こしているという比喩も。

SNSは利用者集団に、恣意的にハウリングを起こすことができ、SNSの主に都合の良い状況(混とんとし解決策が必要になりそれがSNSで見つかること)を作るという。
「解決策」は最初は売りたい商品でした。しかしその仕組みは「解決策」から「救世主」に、簡単に置き換えることが出来ます。(陰謀論じみてきますね)

私たちは「物理世界」と「意味世界」を同時に生きています。「意味世界」は人間が獲得した能力と仮定すると、SNSの起こすハウリングを御する思想はどのように立ち現れてくるのか、、そんなことを思いました。

UIデザインは物理世界と意味世界を繋ぐフロントエンドです。しかもデザインは「意図」そのものです。日々のワークの中でここまで考えるお題はないかもしれませんが、デザイナー自身は自覚的でありたい、と思います。

ここでお知らせです。
弊社は12月29日から1月5日までお休みを頂きます。
今年のブログは今日までとさせて頂き、1月6日に再開の予定です。
みなさま、本年も大変にありがとうございました。
素晴らしい新年をお迎えください。

表現の「発見」2024年12月18日 18:19

みなさまこんにちは^^

洞窟壁画から、美しいと思う「心の作用」に、「表現」という行為が重なって行くのがアートだというお話をしました。
「心の作用」は所与(もともともっている)だとして、「表現」はどうでしょうか?

新生児の行動観察から、人はその発達の途中で、表現を「発見」するように出来ている事が分かっています。例えば地面にしゃがみ込んで、初めはやみくもに動かした手の残した軌跡が顔に見える*と、次第にその顔を描こうとするようになります。「手の軌跡が何かに見える」、もう少し抽象的に言いますと、「自分が作りだした形に意味を見つける」、これが表現の発見です。

そして重要なことは、この行為(表現)ははじめは楽しさや喜びを伴い、行為が進むともどかしさや不満(上手くいかないとうこと)が生じるということです。沢山の複雑な感情と繋がっているということですね。

余談ですが、ピアノにしてもサッカーにしても、最初に師事する先生が「楽しさを教えるタイプ」の方が、生徒の継続性や成長性が高いそうです。

そして、美しいと思う「心の作用」は受手の中にありますので、たとえ自分が行った表現であっても、その意図が伝わるとは限りません。このもどかしさ。アートの道の険しさですね。

(つづく
dmc.
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