物語をつなぐ舞台装置2024年02月02日 10:21

デザインで飛躍を企むみなさまこんにちは^^

前回は大きな物語と小さな物語について、その接続を担うデザインの重要さについてお話しました。

あらためて「大きな物語」と「小さな物語」の対比をあげて整理して見ます。

【大きな物語】
範囲:大きな物語は、国家、企業、宗教、コミュニティなどの大きな集団によって共有される物語です。これらの物語は、その集団の歴史、文化、価値観、目標などを反映しています。
機能:大きな物語は、集団のアイデンティティや目的を明示し、そのメンバーに共通の理解をもたらす役割を果たします。
影響:これらの物語は、その集団の行動規範や方針を形成し、外部の人々にもその集団を理解する手段を提供します。

【小さな物語】
範囲:小さな物語は、個々の人々が持つ、個人的な経験や感情、夢、価値観に基づく物語です。
機能:これらの物語は、個人のアイデンティティを形成し、自己理解や自己表現の手段となります。
影響:個人の物語は、その人の行動や決定、人生の方向性に影響を及ぼします。また、個人の物語は他者との関係性を深めることもあります。

両方の物語は、個人と社会の相互作用を通じて形成され、影響を与え合います。大きな物語が個人に影響を及ぼす一方で、個々の小さな物語も集団の大きな物語に影響を与えることがあります。
2024年現在、大谷翔平という一人の野球選手が、米国文化権での日本人像と日本国内での自己像をどんどんアップデートしているのを目の当たりにすることは、私たちが歴史の目撃者になったような感覚がありますよね。これは個人的な物語が集団の物語に影響を及ぼす好例といえるでしょう。

物語の主人公は人であり集団です。デザインはその物語の舞台装置として考えることが「物語を繋ぐ」ことにとってとても重要です。

物語を超える・交差する2024年02月05日 18:57

デザインで飛躍を企むみなさまこんにちは^^

先週までは「意味の世界」と「物語」についてお話しました。デザインにおいて物語が大切と言われ続けている事を追認したお話でした。
蛇足ついでに^^; デザインの行為としてみた場合の、大きな物語と小さな物語それぞれの価値を列挙します。

大きな物語:社会的共鳴・ブランドと文化を形成する
[デザインの役割]
デザインは、企業やブランドの大きな物語を視覚的に伝える手段です。たとえば、企業ロゴや製品デザインはその企業の価値観や歴史を象徴し、消費者に認識されます。
[文化的意味]
デザインはまた、文化や社会のトレンドを反映し、それを形成する力も持っています。例えば、環境に優しいデザインは、持続可能性への社会的関心を反映しています。
[ブランドストーリーの伝達]
効果的なデザインは、企業のミッションやビジョンを明確に伝え、消費者との共鳴を生み出すことができます。

小さな物語:個々の物語・経験を映す
[デザインのパーソナライゼーション]
デザインは個人の好み、ニーズ、身分を反映します。カスタマイズ可能な製品や、個人のアイデンティティを強調するデザインがそれに該当します。
[個人への影響]
デザインは、個人の小さな物語に影響を与え、その人の生活様式や価値観に深く関連します。たとえば、特定のデザインの服を選ぶことは、その人のファッションに対する態度や自己表現を示します。
[個人的な意味の生成]
個人は、自分にとって特別な意味を持つデザインに惹かれます。これは、感情的な絆や特定の記憶を呼び起こすデザインの選択を通じて表れます。

物語を超える・交差する
デザインの最後の仕上げのお話です。
使う人の本当の物語はデザイナーや企業の中にはありません。全魂全霊をこめて想像し創作にこめても、それはやはり作り手の物語です。使う人に込めた思いが通じる事もありますがまったく違う物語を想起する事もあります。
私は以前、opunaという自助具(福祉用具)をデザインしました。手に何らかの事情がありうまく握れなくなった方向けのスプーン/フォークです。これが、乳児向けに受け入れられました。手づかみ食べの時期の子どもにぴったりだと。

opuna

デザインをしているとこういうことは時々起こります。opunaの場合は「自助具」を超えた楽しさ、嬉しさをデザインの前面に出しました。それは自助具への失望感を伺っていたからです。その点では自助具の物語の範囲なのですが、その物語を超えて、デザイン自体の魅力を感じ取り、ご自身の物語のピースとして受け取って下さる方が出現したのです。
この「ご自身の物語のピースとして受け取ってもらえる」には、背景の物語を超えて、モノ自身が魅力を放たないといけません。物語は大切ですが、それだけでは超えて行かないのです。モノの魅力を突き詰めること。デザインにとっては物語以上に大事な事なのです。あらためて。

母の味とロングセラーの価値 - 小さな物語と大きな物語の繋がり2024年02月07日 10:03

デザインで飛躍を企むみなさまこんにちは^^

既製品の「母の味」
ーーー幼い頃、母が作ってくれた唐揚げがとても美味しかった。あの味が忘れられず、「もう一度食べたい」と何度も思っていた。そしてやっと再開できた、あの「母の味」。しかしその味は特別な母の手作りではなく、市販の唐揚げ粉だった。ーーー
少し前、インターネットで見かけたお話です。
笑いを誘うネタとして語られていましたが、見方を変えて見ますと、たとえありふれた既製品であっても、ひとりの人間の深い感情的なつながりや記憶に関わることができるという話でもあります。
私は母を10年前に亡くしましたが、母が愛用していた「ねこんぶ出汁」を、いまでも使うたびに母のことを思い出します。母の記憶が「ねこんぶ出汁」に重ねられているからですね。既製品だからなしえる「母の味」という価値に、改めて気づかされました。

こうして考えると、大きな物語と小さな物語は、私たちの生活の中で密接に結びついています。市販の唐揚げ粉やねこんぶだしといったロングセラー商品は、単なる調味料や食材を超え、私たち一人一人の人生の中に深く入り込んでいるのです。これは、ロングセラーがどのようにして私たちの価値を生み出すかを示唆してくれています。

ロングセラーの価値
ものづくりにおいて、SDGs(持続可能な開発目標)が叫ばれていますが、ロングセラー商品は、単に経済的な成功を意味するだけでなく、個人の人生の中で重要な役割を果たし、深い感情的な価値を持つことができるのです。ユーザーにとってのかけがえのない価値を提供するという点で、非常に重要な視点です。私たちの生活に根付いた小さな物語を紡ぎ出し、世代を超えて大きな物語を形作るロングセラーを育ててまいりましょう。

大量処分で見えてきた「モノの3つの価値」2024年02月09日 10:29

デザインで飛躍を企むみなさまこんにちは^^

大量処分の経験:ダムの底に見えたもの
最近、モノを大量に処分する経験をしました。「断捨離」や「スパークジョイ」も想起しましたけれど、当事者として圧倒的な物量(2人分の人生+5人分の半生)と対峙した時、私には「ダムの水を全部抜く」ように感じられました。これは自身の内面が可視化され突きつけられるような緊張感を呼びながら、ダムの底には「3つの価値」が見えてきました。
モノには資産価値とは別の、主体的な当事者としての価値があります。それが人生にどのように関わってくるかは個人によって様々だと思いますが、この3つの価値は多くの人にとっても共感出来るのではないかと思いまして、列挙したいと思います。

生活を回す
日用品や生活雑貨、趣味に関連するアイテムは、日々の生活を豊かにし、快適にするために不可欠です。これらは私たちの日常生活を支え、生活スタイルを形作っています。
たとえば、料理をするためのキッチン用品、仕事を効率的に進めるためのオフィス用品、リラックスするための音楽や読書のためのアイテム、趣味の道具たちなどがこれですね。

記憶を呼び起こす
記念品や写真、ビデオなどは、特定の瞬間や人々、経験、繋がりを思い出させてくれるものです。これらは過去と現在をつなぐ架け橋であり、個人や家族の歴史、重要な出来事や達成を象徴しています。たとえば、家族旅行の写真、特別なイベントで授与されたトロフィー、愛する人からの贈り物、いつも使っていた道具などが含まれます。

思想信条を表す
アート作品、書籍、書道作品、また信仰や憧憬の対象物は、個人の価値観、信念、またはアイデンティティを表現する手段として機能します。これらは見たりふれたりするたびに文化的な価値を持ち、迷った際に方向性とインスピレーションを提供したり、深い感動や思考を促します。これらは個人の嗜好や志向を反映しているため、その人の内面的な世界を外部に表すモノになります。ライフワークと呼べる活動にかかわるモノはここにあたるでしょう。

これら3つの価値は、モノが私たちの生活に与える意味の多様性と深さを示しています。また、これらの価値は相互に重なり合うことがあり、特定のアイテムが複数の価値を同時に持つこともあり得ます。
何かをデザインする時、そのモノと使う人との共有する時間を俯瞰して、入り口と出口まで含めた、価値のありようを考慮に入れたほうがより長く愛されるデザインになるだろうと思います。

修理可能性と「生活を回すもの」の終わり2024年02月12日 10:22

デザインで飛躍を企むみなさまこんにちは^^

モノの3つの価値
前回は私の気付いたモノの3つの価値についてのお話をしました。ひとつのモノは3つの価値(生活を回す・記憶を呼び起こす・思想信条を表す)で見る事が出来ます、という話です。一つの側面しかないモノもありますが、3つの価値を合わせ持つモノもあります。
たとえば、私が日常的に使っている揃いの浅い茶わん。この茶わんは母が生前最後に自分で求めたものでしたので、折りに触れて母や家族との思い出を感じさせます。いくつかは割れたりかけたりしましたが、金継ぎをかけて鑑賞に堪える見栄えを持つようになりました。この茶わんは私にとっては生活を回すものであり、記憶を呼び起こすものであり、思想信条をあらわすものであります。

価値が増える
同じように揃いで求めた思い出もある茶わんやティーカップでも、欠けたり割れたりして処分したものもあります。私の中で、この違いがなぜ生じるのか不思議で興味深いこととなりました。捨てておわるモノと直して使い続けるモノはとこがどう違うのでしょう。
上の茶わんはある窯元の定番品で、高級品ではありませんが母も私も気に入っていました。直したことで姿がより魅力的になりました。母の最後のお買い物というエピソードもあります。
やはり、
・良いものである
・直せる
・エピソードがある
が揃っていたから使い続けようと思ったのでした。
(残した茶わんより高額な品でも、愛着が薄かったり直せなかったりしたものは処分しました。処分は売ったり差し上げたり捨てたりしました。)

「生活を回すモノ」の終わり
生活を回すモノが壊れたり不要になった時、つまり「生活を回す」価値が失われた時に、そのモノの終わり方を考えることはとても大切テーマだと感じます。
生活を回すモノが壊れたり不要になった時に私たちは、そのモノに込められた記憶や個人の思想、心情を保持するにはどうしたらいいかを突きつけられるからです。このプロセスはちょっとしんどいことですけれど、モノとの関係性を深め、大袈裟に言えば物質的な文化における個人の位置づけを再考させる機会となります。

修理可能性
ここで持続可能な消費と生産の観点からみたとき、「修理可能性」が極めて重要なことに気付きます。
SDGs(持続可能な開発目標)の中の目標12「つくる責任、つかう責任」に関連させて考えますと、資源の有効利用、廃棄物の削減、環境への負担軽減など、持続可能な社会を目指す上で「修理」は欠かせません。修理を通じてモノの寿命を延ばすことは、廃棄物を減らし、新たな資源の消費を抑えることに直結します。
見回しますと、地域社会の経済や職人技術の保持にも寄与し、多面的な価値を生み出す可能性をもつものとして修理文化の復活が語られてもいますよね。

モノの修理可能性に注目することは、単に経済的、環境的側面だけでなく、社会的、文化的側面からも重要な意味を持っている事が分かります。
デザインが「良いもの」を志向するのは当然の事として、その中に修理可能性を内包させる事は大きな意味を持つでしょう。

余談:モノによっては修理できない、もしくはさせないという意図も成立すると思いますがそれはまた。
dmc.
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