「答えのない問い」がらしさをつくる ― 2024年02月26日 17:16
デザインで飛躍を企むみなさまこんにちは^^
問題意識と「らしさ」
先日、「答えのない問題を問い続ける問題意識がその人の作家性である」という話を聞きました。これは、私にとってとてもしっくりする表現です。私自身、「らしさ」というものを直接求める活動には答えがなく、目の前の課題に真摯に挑戦した時に自ずと現れてしまう内面性こそがその人の「らしさ」であり、作品であれば作家性だという風に感じてきたからです。
私自身は、以下のような問いの自覚があります。
1)モノと人との関わりは、どんなかたちが幸せなのだろうか。
2)大量生産・大量消費という社会の中で、「一つのモノを大事にしていくこと」と「沢山のモノを消費していくこと」の折り合いはつくのだろうか。
3)モノと人の関わりを時間軸で見た時、どのような「モノの終わり」もしくは「繰り返し」が良いのだろうか。
3)モノと人の関わりを時間軸で見た時、どのような「モノの終わり」もしくは「繰り返し」が良いのだろうか。
※3は1に含まれる問題意識ですが、1は人の生活に入って行くあり方、3は出て行くあり方についてです。
私(河野)自身の仕事を俯瞰しますと、UIとプロダクトを同時に見る事が出来たのは1の「モノと人との関わりにおいて、どんなかたちが幸せなのだろうか」という意識が常にあったからだ、と改めて感じました。
2については、ロングセラー志向に現れていると感じます。数年で切り替わるデザインにおいても、表面的な新しさとは別のレイヤーで、使用者の感じるものに一貫性を持たせたいと考える方です。
3については、具体的にこれだというものがまだありません。今後の自分に期待(?)しています。
意識的に「らしさ」をつくる
デザイナーの重要な仕事に意識的に「らしさ」を図ることがあります。メーカーやブランドのアイデンティティ−を創造したり、そのアイデンティティ−に沿ったデザインをするからですね。その場合にも「問い続けているテーマ」をしっかり捉えられれば大丈夫です。
もし、貴社のデザインにおいてうまく「らしさ」が表現出来ていないとお感じならば、「問い続けているテーマ」があるかを確認して見て下さい。もしそこに不安があるようでしたら、貴社が提案するものの背景にある問題意識を言語化してみてください。しっかり捉えられれば、「らしさ」への過剰な意識から離れる事が出来ます。これは朗報だと思います。
モノを群として捉える:環境デザインとしてのプロダクト ― 2024年02月28日 11:44
デザインで飛躍を企むみなさまこんにちは^^
前回は「答えのない問いがらしさを作る」というお話をしました。持ち続ける問い=問題意識が、その人の作るものに一定の個性を与えるということですね。
モノの「群相」
最近、私の問題意識が枝分かれし、新たな問いが芽生えました。
それは、モノを個々の存在としてではなく「群相」として捉えた場合、「環境としてのモノと人の幸せなあり方とは」という問いです。この視点は、空間デザインや都市計画の分野に属するかもしれません。
私がデザインしたものを含め、生活の中に溢れるモノたちを俯瞰して考えるとき、それらは単なる個別の存在ではなく、「群」として環境的な効果、役割を担うというのは自然な考えだと思います。
私はまだ完全には言語化できていないのですが、モノと人との関わりを考えていく中で浮かび上がってきた問いです。これは、最近経験した大量処分の影響を受けていると自覚しています。
私はまだ完全には言語化できていないのですが、モノと人との関わりを考えていく中で浮かび上がってきた問いです。これは、最近経験した大量処分の影響を受けていると自覚しています。
環境をモノとしてデザインする
この問いは最近になって認識しましたが、私は過去に何度か環境をデザインすることに夢中になった事があります。その時は、プロダクトデザイナーとしての立場から少し離れたテーマであるため、興味深いと感じつつも、自分にとっての必然性をあまり感じていませんでした。
しかし、先に述べた問題意識が徐々に明確になってきたことで、これまで考えてきた環境のデザインについて、再度整理してみようと思っています。
環境デザインの初心者ではありますが、「モノとしての環境・環境としてのモノ」という視点で「人とモノとの関わり」の地続きの課題である「環境」を考えて見たいと思います。
最近のコメント