デザインは「フォロー」 社会との接点をつくる ― 2024年12月02日 10:22
みなさまこんにちは^^
デザインは相違を埋めるフォローである。
デザインは(何かに使える?)という根源的な仕組みから出てきたもの。
作り出したものとそれを社会的に利用するのは別のことだ。
みたいな話を続けてきました。
石器の喩えを続けますと、、
・割れた石そのまま ・・・ 無用もしくは危険
・手で持てるよう柄を付ける ・・・ 役に立つ
柄を付けることはデザインそのものです。
つけた人はもしかしたら色々なものを切る遊び道具として楽しんだかもしれませんけれど、役に立つ道具として受け入れられたことでしょう。
この「受け入れられる」に着目すると、これは人間社会との接点を作った、と言えます。
この視点は、人を活かす、という考え方に通じます。
デザインには結果的に進歩的な側面が生じますが、その前段階には「相違を埋める」があります。
まずは、社会との接点を上手く作る、というのは人にもモノにも無理なく効果的なアプローチです。
ダメマシンクリニック87【かわいいフォロー】 ― 2024年12月04日 10:10
ダメマシンクリニックファンのみなさまこんにちは!
先日「デザインはフォロー」というお話をしました。今日はダメマシンのかわいいフォローを紹介します。
座った目線で見たところ。
トイレリモコンあるあるなんですが、壁にお店の雰囲気にあったかわいいアイコンが描かれていて、わかりやすいです。
上から覗き込んだところ。
使おうとしてよってみると、テプラで文字が追加されていて、誘導もばっちりです。
機能だけなら壁にテプラを貼ることで賄えますが、このようにアイコンを描くことで、お店のおしゃれさや優しさがぐっと伝わってきます。
特にトイレはディシジョンスペース(意思決定空間)と呼ばれるほど、顧客を冷静にさせるところです。そこでこのデザイン。効いてますよね。
操作バネルのデザインなども、こういう視点が本当に大切です。お忘れなく!
「デザインがいらないと思うものほどデザインが必要」な本当のわけ ― 2024年12月06日 18:27
みなさまこんにちは^^
先日、「心が動くものか、どうしても必要なものは売れるけど、ただ良いというだけのものは売れない」という話題がありまして、そこでは「良いものだから売れるという判断は怖いよね」、というところに着地しました。
良いものだから売れるとは限らない
この話題、デザインの現場ではずっと議論されていますけれど、そもそもの「良いもの」の定義で結構変わりますので、ここでは「品質が高く機能性能に優れ、価格も合理的な製品」としておきましょう。
これをマーケティング的にみれば「市場のニーズ、ウォンツに合致しているか」とか「ターゲットユーザーにリーチしているか」とかが大事になってきます。その点で充分なら売れる、となりますが、実際は苦戦していることも多いです。
たとえば、専門機器などのニッチな分野では、市場のニーズをがっちりと掴むことが出来、ユーザーにもしっかりリーチすることが出来ます。それでも成績にブレが出る。何故でしょう。
これ、ある職人さんの声として伝え聞いた「これダサくて使いにくいんだよ。だから売れねーえんだよ。」が正鵠を射ていると思ったことがあります。
人の意思決定システムには二系等ある
人の脳には直感的に判断を下すXシステムと、良く考えて判断を下すCシステムがあることが知られています。このXシステムは感情的かつCシステムより速い判断で、人の意思決定の主役です。Cシステムは冷静になって理性的な思考から意思決定して行く補佐役です。一度XシステムでNoが出されてしまうと、Cシステムで覆すには相当な情報が必要になります。
「良いものなのに売れないもの」には、Cシステムでは合格を得られても、Xシステムで拒否される要素を持っている可能性があります。
まさにここがデザインのしどころに他なりません。
一般的にデザインはあまり必要がないと思われているものほど「デザインが効く」のです。「モノはいいのに売れないな・・」と思ったら思い出してくださいね。
デザインは贈り物。アートは? ― 2024年12月09日 18:39
みなさまこんにちは^^
デザインとアートは関係が深いです。私が学生の頃は対比してその相違点や優劣が語られたりしました。その中には職業的なデザインがアートと比べて歴史が浅いために「アートを凌駕する価値があると言いたい」というポジショントークだったかな、と今となっては思う論もありました。本当にデザインの歴史が浅いかどうかは後日の話題としまして、今日は「アート*」を俯瞰して見ようと思います。
デザインの時と同じように、「アート」と聞いて思い浮かべるものを列挙してもらいまして、ざっくり、以下の5つが並びました。
絵画・彫刻
音楽・ダンス
建築・工業製品
風景・自然現象・生物
工場・廃虚・路地裏
音楽・ダンス
建築・工業製品
風景・自然現象・生物
工場・廃虚・路地裏
「絵画・彫刻」は、あらゆる芸術作品全般をまとめて表しました。物理的な作品ならほとんどあてはまります。
「音楽・ダンス」は、身体表現にかかわるもの全般をまとめたものです。ライブパフォーマンスの類いは「観客」と「それを包む文化」も一体となっていますので、その全体を指す場合はここにあてはまります。
「建築・工業製品」は、何か目的を持って作られたものに感じる美です。デザインの多くはここにあてはまるでしょう。美的な意図を全く持たなくてもアートを感じさせるものも沢山あります。
「風景・自然現象・生物」は、人工かどうかは別として、人知を超えたものに感じる美、圧倒される美です。
「工場・廃虚・路地裏」は、美しさとは距離を置いた人工物に生じる美です。人工物を自然の一部として捉える感覚を刺激する美でもあります。
「工場・廃虚・路地裏」は、美しさとは距離を置いた人工物に生じる美です。人工物を自然の一部として捉える感覚を刺激する美でもあります。
映画などの「総合芸術」と呼ばれるものには、どこかひとつに収まりきらないものもあるでしょうが、上の5つを大きくはみ出すものはないと思います。(ですので、よしとします。)
美・感動を感じる=アート
上の2つは人がアートとして表現したものですが、3つめはアートの意図の有無は混在し、下の2つはアートとして人が表現したものではありません。
ここから導き出せるのは「美・感動を感じれば、意図は関係なくそれはアートだ」ということです。
「感じればアート」というのは「アートは結果論」だといえます。これはとても重要なところです。何故かといいますと、「デザインは意図」だからで、ここに本質的な違いがあります。
(つづく
*)アートはartの日本語読みですが、ここでは原語の厳密な意味としての正しいartではなく、一般的に私たちが「アート」と言っているものをさしています。
「捨てない」クリエイテイブ ― 2024年12月11日 18:33
みなさまこんにちは^^
以前、いわゆる「ゴミ屋敷」の片づけを手伝ったことがありまして、その時に(あれ、私も捨てたくない方だけどほっとくとゴミ屋敷になるのかな)とちょっと怖くなったんです。
ありものを工夫して必要なものを作る人(ブリコルール)はデザイナーの資質がある、というお話を以前しましたけれど、そういう人は概ね(何かに使えるんじゃ・・?)とものを捨てない傾向も合わせもっています。私もです。
うーん、困ったな。。
で、ちょっと調べたんです。「捨てられない」は嗜癖(アディクション)であり、「捨てる、捨てないことをコントロールできなくなった状態」だと。
これならすこし分かります。捨てないにしても「ちゃんと取っておく事が出来るか」ではかることが出来ます。
私事ですが、昨年末から今年の初めにかけて資材を大量に処分する機会がありましたが、その際に「捨てられない」という嗜癖はないということもわかりました。良かったです^^
同時に、取って置く状態への関心が低かったことも反省しました。使うためにとって置くんですから、そこもクリエイトしたら楽しいんじゃない?と。何に使えるか、使う場合どのぐらいの頻度か、代替は既にあるのではないか、どこにどのように置いておけれか、、。この観点で取捨選択するようになると、使い勝手の良いものだけが残って行く、、それを感じ始めています。
「捨てない」クリエイティブ。楽しいです。
「質より量」と「非線形」いう話 ― 2024年12月13日 10:15
みなさまこんにちは^^
タイパの時代ですが、MLBの大谷選手が睡眠について「質より量」と言っていて流石だなと思っていました。(もうちょっと古い話ですけれど)
先日は同じMLBで活躍している菊地投手が子供たちとの会話で、「少しずつうまくなるんじゃなくて一気にうまくなるんですよ。一気にうまくなるコツをつかむために練習するんですね。コツコツ練習することは絶対大事だけど、きっかけをつかむためコツコツ練習するんです」」答えていました。
コツコツ練習することの大切さと目的意識をつなげた、解像度の高い回答でこでも流石だな、と思いました。
私は「量が質に転化する」ということを知識としてだけではなく体感的にも知っています。量を詰まないと質が上がって行かないんですね。そして上がる時は短期間で上がるんです。この時期につかみ取るものを「コツ」といいます。
「コツ」
これは伝授可能な知識的な側面もありますが、本質は量です。量がない人にコツを与えても活かせません。余談。
ある時期短期間で上がる、というのは努力と成果が比例しない「非線形」であるということ。S字カーブだったり、階段状だったり、一旦落ち込む谷間が合ったりしますけれど、最終的には上がります。(昔1万時間が流行りましたけれどそこでもこのような話がありました)
「非線形」の報われ無さに耐える資質が重要です。
今の表層的な時代感とは一見かい離して見えますけれど、もしろそのことが共有されたので「無駄な時間を惜しむ」が強くなってきたと言えるでしょう。
アートの起源と表現欲求 ― 2024年12月16日 10:30
みなさまこんにちは^^
先週、「美・感動を感じれば、意図は関係なくそれはアートだ」というお話をしました。これは対象物を美しいと思えばアートと呼べる、というお話です。この仕組みに焦点を当てますと、「何かを美しいと思う心の作用がある」と言えます。
考古学によれば、6万5千年前には洞窟壁画*が作られていました。壁画を作らせた衝動の内面や文化的力学は分かりませんが、少なくとも「何かを表現したい」という欲動が存在したことは確かです。この表現欲求はホモ・サピエンスの遺伝子が固まる1万年前には確実に、私たちに備わっていました。
こちらはアルゼンチンの9,000年以上前とされる「クエバ・デ・ラス・マノス壁画」です。この壁画は、顔料を吹きつけるパイプのような道具と共に発見されました。
顔料を吹きつけて手の形を写す人々。活き活きとした日常の光景、それとも厳かな儀式的な行為、もしくは特別な祝祭の芸能、、さまざまな可能性が感じられます。
美しいものを求めていたかどうかは分かりませんけれど、これらの表現に「美・感動」を感じていた当事者は多かったはずです。表現したものの中に「美しいと思う心」が刺激され、表現の技巧の探求が進んでいく、、その瑞々しい現場を目撃しているような気持ちになりました。
美しいと思う「心の作用」に、「表現」という行為が重なって行く。それこそがアートですね。
(つづく
*)スペイン ティト・ブスティーリョ洞窟・推定65,000年前・ネアンデルタール人
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