デザインは贈り物。アートは?2024年12月09日 18:39

みなさまこんにちは^^

デザインとアートは関係が深いです。私が学生の頃は対比してその相違点や優劣が語られたりしました。その中には職業的なデザインがアートと比べて歴史が浅いために「アートを凌駕する価値があると言いたい」というポジショントークだったかな、と今となっては思う論もありました。本当にデザインの歴史が浅いかどうかは後日の話題としまして、今日は「アート*」を俯瞰して見ようと思います。

デザインの時と同じように、「アート」と聞いて思い浮かべるものを列挙してもらいまして、ざっくり、以下の5つが並びました。

絵画・彫刻

音楽・ダンス

建築・工業製品

風景・自然現象・生物

工場・廃虚・路地裏


「絵画・彫刻」は、あらゆる芸術作品全般をまとめて表しました。物理的な作品ならほとんどあてはまります。

「音楽・ダンス」は、身体表現にかかわるもの全般をまとめたものです。ライブパフォーマンスの類いは「観客」と「それを包む文化」も一体となっていますので、その全体を指す場合はここにあてはまります。

「建築・工業製品」は、何か目的を持って作られたものに感じる美です。デザインの多くはここにあてはまるでしょう。美的な意図を全く持たなくてもアートを感じさせるものも沢山あります。

「風景・自然現象・生物」は、人工かどうかは別として、人知を超えたものに感じる美、圧倒される美です。

「工場・廃虚・路地裏」は、美しさとは距離を置いた人工物に生じる美です。人工物を自然の一部として捉える感覚を刺激する美でもあります。

映画などの「総合芸術」と呼ばれるものには、どこかひとつに収まりきらないものもあるでしょうが、上の5つを大きくはみ出すものはないと思います。(ですので、よしとします。)

美・感動を感じる=アート

上の2つは人がアートとして表現したものですが、3つめはアートの意図の有無は混在し、下の2つはアートとして人が表現したものではありません。
ここから導き出せるのは「美・感動を感じれば、意図は関係なくそれはアートだ」ということです。

「感じればアート」というのは「アートは結果論」だといえます。これはとても重要なところです。何故かといいますと、「デザインは意図」だからで、ここに本質的な違いがあります。

(つづく

*)アートはartの日本語読みですが、ここでは原語の厳密な意味としての正しいartではなく、一般的に私たちが「アート」と言っているものをさしています。

「デザインがいらないと思うものほどデザインが必要」な本当のわけ2024年12月06日 18:27

みなさまこんにちは^^

先日、「心が動くものか、どうしても必要なものは売れるけど、ただ良いというだけのものは売れない」という話題がありまして、そこでは「良いものだから売れるという判断は怖いよね」、というところに着地しました。

良いものだから売れるとは限らない

この話題、デザインの現場ではずっと議論されていますけれど、そもそもの「良いもの」の定義で結構変わりますので、ここでは「品質が高く機能性能に優れ、価格も合理的な製品」としておきましょう。
これをマーケティング的にみれば「市場のニーズ、ウォンツに合致しているか」とか「ターゲットユーザーにリーチしているか」とかが大事になってきます。その点で充分なら売れる、となりますが、実際は苦戦していることも多いです。

たとえば、専門機器などのニッチな分野では、市場のニーズをがっちりと掴むことが出来、ユーザーにもしっかりリーチすることが出来ます。それでも成績にブレが出る。何故でしょう。

これ、ある職人さんの声として伝え聞いた「これダサくて使いにくいんだよ。だから売れねーえんだよ。」が正鵠を射ていると思ったことがあります。

人の意思決定システムには二系等ある

人の脳には直感的に判断を下すXシステムと、良く考えて判断を下すCシステムがあることが知られています。このXシステムは感情的かつCシステムより速い判断で、人の意思決定の主役です。Cシステムは冷静になって理性的な思考から意思決定して行く補佐役です。一度XシステムでNoが出されてしまうと、Cシステムで覆すには相当な情報が必要になります。

お悩み中

「良いものなのに売れないもの」には、Cシステムでは合格を得られても、Xシステムで拒否される要素を持っている可能性があります。
まさにここがデザインのしどころに他なりません。

一般的にデザインはあまり必要がないと思われているものほど「デザインが効く」のです。「モノはいいのに売れないな・・」と思ったら思い出してくださいね。

デザインは「フォロー」 社会との接点をつくる2024年12月02日 10:22

みなさまこんにちは^^

デザインは相違を埋めるフォローである。
デザインは(何かに使える?)という根源的な仕組みから出てきたもの。
作り出したものとそれを社会的に利用するのは別のことだ。
みたいな話を続けてきました。

石器の喩えを続けますと、、

・割れた石そのまま     ・・・ 無用もしくは危険
・手で持てるよう柄を付ける ・・・ 役に立つ

柄を付けることはデザインそのものです。
つけた人はもしかしたら色々なものを切る遊び道具として楽しんだかもしれませんけれど、役に立つ道具として受け入れられたことでしょう。

この「受け入れられる」に着目すると、これは人間社会との接点を作った、と言えます。
この視点は、人を活かす、という考え方に通じます。

デザインには結果的に進歩的な側面が生じますが、その前段階には「相違を埋める」があります。
まずは、社会との接点を上手く作る、というのは人にもモノにも無理なく効果的なアプローチです。

デザインの根源「何かに使える?」2024年11月29日 10:29

みなさまこんにちは^^

デザインの問題解決は「相違を埋めること」であり人間が本来的に持っている性質、というお話をしました。

「人間本来」と大きく出ましたので、石器時代に遡ります。

石器は打製石器(石を割って作る)から磨製石器(磨いて作る)とあります。出土の時代性から、最初は割れた石をそのまま用い、つぎに柄を付けて用い、やがて割ったり磨いたして目当ての形を得るようになる、、。
これ、デザインそのものでしょう?

それで、大切なのは割れた石は切れるという「発見」と、それを記憶しておいて「概念化」し、他の場面で用いる「流用」という、それぞれ別の作用が働いているということです。
他にも、「火の近くで干からびた肉は腐らない」を発見し、「腐らない肉」という概念を知り、火の近くで干す以外の様々な保存方法を展開して行く、などなど。
発見を概念化して組み合わせて流用する、これは学問的に「設計の原型」だそうです。設計って日本語でデザインですよね。

この(これって使えるかも?)と思って、経験やものを取っておく行為は、現代の子供たちを観察してもみられます。この性質を強く持ち続けた人が「ブリコルール」になるのでしょう。私自身がこのタイプでした。

この性質は「遊び」の延長です。
人は遊びの中に有用物に至る思考と行動の回路を持っているのです。
(遊びから学ぶのは動物にも見られますね。)

遊びの延長で生まれたものが集団を変え、それを利用して社会的に利用する人が現れる。
これがデザインと進歩の関係性と言えるでしょう。

デザインは遊び。
デザインは楽しい。
お忘れなく^^

進歩と相違 デザインはフォロー2024年11月27日 16:35

みなさまこんにちは^^

デザインは「問題解決」ではあるけれど、「社会・人類の再定義」ではないというお話を書きました。

「社会・人類の再定義」の背景には、現在の社会はまだまだ発展途上だから、進歩してよりよい社会を作るのだ、という思想があります。
この思想を「進歩主義」といいます。進歩主義は政治思想のひとつですから、起業家が「社会を良くするために政治に干渉して行く」のは自然のことですね。

進歩主義というワードがさす内容は時代や国によって違うのですが、ヨーロッパの啓蒙思想が源流で、文明と非文明を対比し、非文明的社会を「劣っている」と見なしたことが始まりです。

これ、無理解による差別、と今なら言われそうですよね。
実際に、非文明的社会は単なる相違に過ぎず優劣はない、という考え方とそれに基づく学問も盛んで、人類学や大きな影響力を持った「構造主義」はその流れから生まれました。
(以後詳細は専門書を各自でお調べくださいませm(^^)m)

さて、デザインにおいての「問題解決」です。
これは、前回記事の通り、進歩の文脈でも成立します。
しかし、スマホを使いやすくするとか、タクシーをすぐ呼べるとかの「進歩」は、ほとんどの場合「社会の変化によって生じた溝を埋める」ものです。
これは「進歩」というより「フォロー」です。

そう、フォロー。

有名なAppleのMacのコピー「For the rest of us.」は、直訳しますと「私たち以外のために」となりますが、意味するところは「コンピューターに詳しくない人のために」です。これはデザインとマーケティングの目指すところを明確にしていますね。
この事象を追いかけて行くと「社会を良くする」に繋がって行くのですが、コンピューターが普及したことが社会を変えたのは事実だとしても、それが「良くなった」と呼べるかどうかはまだ分かりません。
鎌倉時代の後に戦国の世が来たように、ローマが席巻した後に長く中世が続いたように、改革のあとに「乱世」がくることもあります。

デザインの問題解決は相違を埋めること。
これは、依拠する思想とは関係なく、人間が本来的に持っている性質なのです。

(つづく

デザインは問題解決、ですけれど・・・2024年11月25日 11:35

みなさまこんにちは^^

デザインについてつらつらと書いております。

デザインは、「デザイン思考」でもおなじみですが、「問題解決」を志向するものです。
この「問題解決」は、「社会を良くする」というマインドと相性が良いです。ですので、「新技術やサービスで社会を良くする企業」にとってはデザインは必須になります。ビジネスとしてのデザインはこの点で価値を発揮できるかどうかが常に問われています。有り体に言いますと、売れるかどうか、ですね。

「売れる」ためには、製品やサービスのデザインだけでは不十分で、マーケティングが主軸になります。ひとつひとつの製品やサービスは、一人の人間、もしくはその人々が集まった集団のためのものですが、マーケティングでは、その人や集団のパターンを増やし、その周囲に響かせる必要があります。

さらに「社会を良くする」には売れるだけでは不十分です。市場でトップに立ち、法規制や既存の習慣を超えて行く「社会実装」が必要になります。ここは政治ですね。
現在、国よりも大きな影響力を持つと思われる企業は、社会や人類を「再定義」するというようなことを発信していますよね。この再定義を「デザイン」と捉える向きもあります。

さて。
デザイナーは「社会や人類を再定義する」、、そんな仕事をするのでしょうか。
これは起業家の仕事であってデザイナーの仕事ではありません。

デザインは「問題解決」ではあるけれど、「社会・人類の再定義」ではないのです。
この違いは、いまそこにいる人を尊重しているかどうか、です。

「自分以外の誰かを喜ばせる」
この視点をデザイナーは失ってはならないのです。

(つづく

やる気は「押しがけ」一択2024年11月15日 18:13

みなさまこんにちは^^

今日の雑談の中でモチベーションの話が出たんですね。やらなくてはならないのにやる気が出ない時どうするか、という。
私は「心のスイッチを切って、(立ち机なので)机の前に立ち、とりあえず手を付ける」ことで作業に入ります。みなさんも概ね作業を始めるルーティンをお持ちでした。

ちょっと前に「やる気スイッチ」というワードが流行りましたけれど、これをすればやる気が出る、というものは発見されてないそうです。一つはっきりしているのは「作業興奮」という仕組み。作業をすることで身体的な刺激がうまれ、その刺激が脳の興奮を促すという。私のルーティンはまさにこの「作業興奮」を利用したものでした。

ところでみなさんはバイクの「押しがけ」ってご存知ですか?
バイクのエンジンをかけるにはセルモーターを回す、またはキック(足で蹴ってエンジンを回転させる装置)するんでずけれど、それで上手くかからない時は、ギアを入れてクラッチを握ったまま(エンジンとタイヤは繋がっていない状態で)バイクを押して動かし、勢いがついたところでクラッチを放す(エンジンとタイヤが繋がる)と、車体の勢いで強制的にエンジンを回し、結果的に燃焼が継続する(=エンジンがかかる)という。
これって作業興奮と同じですよね。

やる気を出すには「押しがけ」。おすすめです。

涙目のおにぎり2024年10月28日 16:48

みなさまこんにちは^^

ファミマがこんな実験を始めました。


廃棄がせまったおにぎりに「たすけてください」と訴える涙目のおにぎりのシールを貼って、どの程度の訴求ができるか試すそうです。食品ロス対策ですね。

販売の現場で、イラストや写真の顔を付けてメッセージを伝える手法はすっかり定番*ですから、これも一定の効果がありそう。結果が気になります。
(*例えば農家さんの写真わつけて「私が作りました」というのはある時流行って定着しました。)

人の認知を探る研究では、目を開けたばかりの新生児(生後一週間程度)でも、顔を認識すること、点や線などが逆三角形に並ぶと顔に見えてしまう現象(シミュラクラ現象)も赤ん坊のころから備わることが分かっています。
私たちのパターン認識能力の最上位に「顔」があるのでしょうね。

自動車も前面を「顔」と呼びますが、色々なデザインの分野で「顔」と呼ばれる対象物があります。その全てが「ユーザーの解像度が高い」ことが特徴です。(よく見られている、という意味ですね)
貴社の製品の顔はいかがですか?顔作り、デザインの腕の見せ所です。

「時間」という価値2024年10月25日 17:50

みなさまこんにちは^^


この記事は飲食店での「ファストパス」導入の広がりを取り上げたものです。特に「タイムパフォーマンス」を重視する顧客に支持されていて、インバウンドの方々の「時間を有効に使いたい」というニーズにも応えている。これは「食事の体験価値の変化」である。店舗の収益向上や顧客満足度の向上にも繋がるので、行列文化に変革をもたらすのだ、と。

「行列の体験価値の変化」という視点はユニークですね。体験価値の変化の背景には「時間の価値」といいますか、「時間の価格」がインフレを起こしているから、というのも見て取れます。色々なアウトソーシングが「時間を買う」という言葉で説明されますし、そこビジネスチャンスを汲み取る方も多いことでしょう。

一方で、時間を買うことで手放す「体験」の価値がなくなった訳ではありません。アナログレコードをかけるような、手軽に出来ることを「わざわざ行う」ことに喜びを感じる人も多いです。

あらためて、体験価値と時間価値はセットになっていると言えます。
デザインを体験価値から導くことは多いですが、今一度、体験価値とセットになった時間価値を意識するのはとても有益なことでしょう。

「好き」のありか2024年10月18日 18:07

みなさまこんにちは^^

ちっょと前、何が好きかよく分からない、という方とお話をする機会がありました。
でもそれはネガティブな悩みというより、自分ってそういう感じなんですよねぇ、という冷静な自己像でした。
それでも「熱を持ってる人に憧れる」気持ちもあるそうで、一度はそういう時期を過ごして見たいと仰ってました。

少し前、「クレーム処理が大好き」という起業家さんに会いました。もとは企業のクレーム処理の仕事をしていて、あるクレーム処理でお客さんと通じたと感じられ、またクレーム処理を通じて企業価値をこんなにも高められるのかと驚いた、と。その時「私はクレーム処理が好きなんだ」と自覚したそうです。

また、ある三代目社長さんは、引き継いだ時にはその業界に詳しくなく苦労したけれど、全て新鮮な気持ちで好きになる努力をした、と。自社と自社業界を愛しているのが伝わってくる社長さんです。

「好きなことは今目の前のものの中にある」という言い方がぴったりだと思います。

少し話がズレますが、運が良い人というのは、自分の引いたカードを正解にする人、といえる、と。
自分の意思で決めたことか、何かの都合でそうなったことかは関係なく、自分のリソースを活かすことを楽しみ、結果を出していくこと。結果が想定と違っても更なる幸運の兆しとしてカードに取り入れること。そういうスパイラルを持つことが出来た人、です。

冒頭の彼は、今の自分を冷静に見られているのであれば、やがてその中からある日ぽっと浮かんできたものを見つけられるだろうな、と思いました。

それから、自分を見つめ直す時間を日常的に持つ方がいいだろうと思っています。日記をつけたり祈ったりマインドフルネスしたり。ニュートラルな時間を持って自分を眺めて見る。おすすめです。
dmc.
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