「はじめての人類学」"差違"から"共通"への転換を ― 2024年11月11日 11:11
みなさまこんにちは^^
先日の記事で人類学者ティム・インゴルドの「徒歩旅行/輸送」について触れました。
ある部族の狩が2部隊制で、先発隊が獲物を狩り、後発隊がその獲物を回収するシステムになっている、と。インゴルドは先発隊の移動を「徒歩旅行」、後発隊の移動を「輸送」と区別しました。徒歩旅行は環境との相互作用(獲物がいつ何がどこで現れるかは行って見ないと分からない)が大きいが、輸送は環境との相互作用は小さい、という。
この視点はUI・UX文脈でも有用で、機器とのインタラクションで思いもよらない体験をうむ(=徒歩旅行)のか、効率的にゴールに導く(=輸送)のかを意識する場面は多々あります。
正解主義とタイパが前面化していると感じる今は、徒歩旅行の価値、つまり不確定要素を楽しむマインドは減少しているのでしょう。
さらに、アルゴリズムが支配的なネット空間では、ユーザーには徒歩旅行も選べる自由を錯覚させつつ、プラットフォーム側の意図する輸送となっていることが多い、と言えましょう。余談。
さて、本日の主題、奥野克巳著「はじめての人類学」です。
著名な4人の人類学者を通して、人類学の成立してきた時代背景とその変遷を分かりやすく紹介されています。人類学は大航海時代に西洋が「発見」する他の民族を理解し、取り込む(利用する)ことから始まっていること。また、ある集団にとって「外部」の存在が人類学の刺激になっていることが分かります。そしてグローバリズムの過渡期にある現代では、人類学が相互理解のために発展すべきという望みを感じさせて終わります。
あらゆる場面で「分断」が言われるようになりました。それを一旦受け入れたとして、それらを俯瞰出来た方が良いでしょう。「差違」を「共通」に変換して行く作業が必要ですね。
ちなみにティム・インゴルドが4番手として登場しますので、ご興味がありましたらぜひ。
家に帰ろう・流星ワゴン ― 2014年01月07日 15:43
年末年始の読書はこの2冊でした。
「流星ワゴン」は人生に失敗した父親がステップワゴンに乗った幽霊父子との交流を通じて人生に希望を見いだすまでのファンタジーで、評判通り面白かったです。
「家に帰ろう」は終末期を家で過ごした方々の実話集で、いずれも希望に満ちていて家族中が涙しました。
たまたまの組み合わせでしたが、ともに生死と家族の結びつきについて感じさせるものでした。
また(これは個人的な経験を通して感じていたことでもありましたが)死そのものが悲劇ではないということもまた少し理解出来たように思います。
ところで「家に帰ろう」で紹介されたように、社会的入院を止めて自宅(または終末医療施設)で最後を迎えることは確実にトレンドになるでしょうね。デザインすべき事は山積みです。
「流星ワゴン」は人生に失敗した父親がステップワゴンに乗った幽霊父子との交流を通じて人生に希望を見いだすまでのファンタジーで、評判通り面白かったです。
「家に帰ろう」は終末期を家で過ごした方々の実話集で、いずれも希望に満ちていて家族中が涙しました。
たまたまの組み合わせでしたが、ともに生死と家族の結びつきについて感じさせるものでした。
また(これは個人的な経験を通して感じていたことでもありましたが)死そのものが悲劇ではないということもまた少し理解出来たように思います。
ところで「家に帰ろう」で紹介されたように、社会的入院を止めて自宅(または終末医療施設)で最後を迎えることは確実にトレンドになるでしょうね。デザインすべき事は山積みです。
「100歳の美しい脳」 ― 2013年10月01日 23:56
原題の「Aging with Grace.」輝かしく老いる、という意味でしょうか。図書館で借りて読み、そのあと、中古を探して買いました。
大勢の修道女を長期間にわたって調査したスノウドン医師の有名な「ナン・スタディ」について書かれた本です。長期間同じような生活をしたシスターたちの健康状態を追跡し、アルツハイマー病の治療と予防に役立てようと言う研究です。
日本語タイトルにある「100歳の美しい脳」とは、死後解剖で100歳にして全く病変のなかったシスターの例についてです。その他、脳には明らかな病変があるにも関わらず発症しなかった例など興味深いエピソードが書かれています。
調査から浮かび上がるのはアルツハイマーの様々な要因や仮説に対する示唆と、長寿で健やかな老いと若い頃の精神活動とは深い相関関係を示す事です。
特に、20歳頃に書かれた自伝を分析すると、アルツハイマーの発症をある程度予測出来る(自伝の文章と発症率に相関関係がある)ということ。「意味密度の高い」「複雑な」文章を書いているほど発症率が低かったそうです。
また、感情表現が豊か(ポジティブな方が良いかどうかはまだ不明)な方が長命である事も判りました。
ここから著者は子供に対する読み聞かせを推奨しています。これは子供に関わる人には特に示唆に富む内容でしょう。
葉酸やリコピンなど可能性のある栄養素についても言及していますが、それは「葉酸さえ摂取すれば病気にならない」といった単純な話ではないようです。
また、研究者らしい懐疑的な態度は崩さずに、ここでも「最晩年の生きる希望」について書かれていました。
心豊かに前向きに生きるということは、そのまま魂の強さなのでしょうね。
大勢の修道女を長期間にわたって調査したスノウドン医師の有名な「ナン・スタディ」について書かれた本です。長期間同じような生活をしたシスターたちの健康状態を追跡し、アルツハイマー病の治療と予防に役立てようと言う研究です。
日本語タイトルにある「100歳の美しい脳」とは、死後解剖で100歳にして全く病変のなかったシスターの例についてです。その他、脳には明らかな病変があるにも関わらず発症しなかった例など興味深いエピソードが書かれています。
調査から浮かび上がるのはアルツハイマーの様々な要因や仮説に対する示唆と、長寿で健やかな老いと若い頃の精神活動とは深い相関関係を示す事です。
特に、20歳頃に書かれた自伝を分析すると、アルツハイマーの発症をある程度予測出来る(自伝の文章と発症率に相関関係がある)ということ。「意味密度の高い」「複雑な」文章を書いているほど発症率が低かったそうです。
また、感情表現が豊か(ポジティブな方が良いかどうかはまだ不明)な方が長命である事も判りました。
ここから著者は子供に対する読み聞かせを推奨しています。これは子供に関わる人には特に示唆に富む内容でしょう。
葉酸やリコピンなど可能性のある栄養素についても言及していますが、それは「葉酸さえ摂取すれば病気にならない」といった単純な話ではないようです。
また、研究者らしい懐疑的な態度は崩さずに、ここでも「最晩年の生きる希望」について書かれていました。
心豊かに前向きに生きるということは、そのまま魂の強さなのでしょうね。
鎌倉の花 ― 2013年09月11日 23:17
Kさんから「鎌倉広町緑地 花図鑑」を頂戴しました。
鎌倉広町緑地は江ノ島の北東の宅地造成を免れた緑地帯で、そこに自生または植えられた草木が集められた図鑑です。季節と色で探せるようになっていますので、散策しながら名前を知るには便利ですね。
中に「植物の名前を知る事は、大事にする事に通じます」と書かれていますが、ほんとうにそう。名前を知る力って大きいんですよね。
秋の鎌倉、美味しいものもいいですが、野原を歩くのもいいですねぇ。
メメント・モリ「安心して自宅で死ぬための5つの準備」 ― 2013年08月26日 14:43
国立の医師、新田國男さんの「安心して自宅で死ぬための5つの準備」を読みました。
国立市で在宅医として1000人以上看取ってこられた新田医師と三上看護師のインタビューです。聞き手の安藤明さんには在宅医療をされている寝たきりの母親がいらっしゃいます。
秋山先生の調査から示されたこの「自立度の変化パターン」図、とても印象に残っています。
実はこちらの本、私にとっては相当のインパクトがありました。それはショックではなく、これまで何となく思っていた事をすっきりとさせ、ひとつの方向性を示してくれたように感じております。(それは近い将来、デザインのコンセプトとしてまとめて、皆さまにご披露したいと考えています。)
さて、、この本を一言でお伝えするのはとても難しい事なのですが、死を扱っていながらそこに暗さは感じません。むしろ希望があります。
流行りの「終活」でももちろんなく、「最後まで自分を生きる」ための手引きで、手続についても簡単にまとめたものが付記してあります。
大切なのは「いかに死ぬか」ではなく、「いかに生きるか」です。当たり前と言えば当たり前ですが、終活やエンディングノートに感じていた「さっさと死んで行く」雰囲気は微塵もありません。
かといって最後の最後まで治療を続けて玉砕して行くような死に方はしたくない、治療より生活を大切にする価値観に寄り添ったあり方を、精神論ではなく、具体的な対処として語っています。(もちろん、専門書ではないので、実際にそれを望む場合は専門家や窓口に個別に相談する必要があります。)
私は「病ではない、老いである」ということを受け入れることは大変勇気ある事と思うのですが、その覚悟こそ人生の最終盤を飾って行くのかな、、そんなことを思いました。
後半、「メメント・モリ(死を想え)」というラテン語が紹介されますが、これは死を忘れず生きよ、ということですね。
いつか死ぬ、だからよりよく生きる。そのために出来る事をする。これなのですよね。
「カメのきた道」 ― 2013年05月21日 23:41
特に亀を専門とされる化石爬虫類学者、平山廉氏の著書「カメのきた道」です。
帯の「甲羅というシェルターとスローな生き方という第三の戦略を選んだカメたち」というコピーに惹かれて読みました。
第一の戦略とは爬虫類の「大型化と効率化」、第二の戦略はほ乳類の「小型化と連続エネルギー補給による活発化」のことで、カメの戦略は「非大型化と効率化」だそうです。
捕食以外はじっとして大きく育つ爬虫類、せわしなく動き回り世代交代を重ねて行くほ乳類、代謝を抑えて少しの食料で長く生きるカメ、、といったイメージでしょうか?
現生のカメの特徴と仕組み、多様な環境に進出した適応、謎だらけの起源、海への進出、恐竜時代からほ乳類時代にかけて生き延びた事実、最悪の捕食者人間とのかかわり、、学者の説く淡々とした事実認識にいつの間にか惹きつけられて、最後まで面白かった!
興味深い事に、恐竜の大量絶滅など何度かあった地球全体の淘汰時期にも、カメは影響を受けずに生き延びているのだそうです。(もちろん種毎の根絶は他の生き物同様ありますが)
有史以来もっともカメを絶滅させたのはやはり人間なのですが、何千万年かした後のほ乳類の時代が終わった時にも、カメはその戦略によって生き残っている可能性を感じました。
読み進むにつれだんだんカメが飼いたくなってきたのですが、最後の最後で「ペットには向いていないと思う」とあります。
何故かと言いますと「飼い主より長生きするから」。なるほど!無責任に飼うことはできないですよね。(でもやはり飼ってみたいです・・)
ところで、本書では触れられていませんが「大型で活発」という第四の戦略をとった生物もかつていました。恐竜ですね。肺をもつ生物の約二倍の酸素摂取効率で巨体を高速で動かして捕食していました。(ピーター・D. ウォード著「恐竜はなぜ鳥に進化したのか」に詳しく書かれています。)
温暖化して酸素濃度が下がるとほ乳類(特に大型)は生きられなくなるそうですが、その時でも恐竜の生き残りである鳥と効率化の進んだカメは生き延びていそうです。
まさしく「鶴は千年、亀は万年」なのですね。
過去記事:「恐竜はなぜ鳥に進化したのか」
http://dmc.asablo.jp/blog/2010/09/24/
帯の「甲羅というシェルターとスローな生き方という第三の戦略を選んだカメたち」というコピーに惹かれて読みました。
第一の戦略とは爬虫類の「大型化と効率化」、第二の戦略はほ乳類の「小型化と連続エネルギー補給による活発化」のことで、カメの戦略は「非大型化と効率化」だそうです。
捕食以外はじっとして大きく育つ爬虫類、せわしなく動き回り世代交代を重ねて行くほ乳類、代謝を抑えて少しの食料で長く生きるカメ、、といったイメージでしょうか?
現生のカメの特徴と仕組み、多様な環境に進出した適応、謎だらけの起源、海への進出、恐竜時代からほ乳類時代にかけて生き延びた事実、最悪の捕食者人間とのかかわり、、学者の説く淡々とした事実認識にいつの間にか惹きつけられて、最後まで面白かった!
興味深い事に、恐竜の大量絶滅など何度かあった地球全体の淘汰時期にも、カメは影響を受けずに生き延びているのだそうです。(もちろん種毎の根絶は他の生き物同様ありますが)
有史以来もっともカメを絶滅させたのはやはり人間なのですが、何千万年かした後のほ乳類の時代が終わった時にも、カメはその戦略によって生き残っている可能性を感じました。
読み進むにつれだんだんカメが飼いたくなってきたのですが、最後の最後で「ペットには向いていないと思う」とあります。
何故かと言いますと「飼い主より長生きするから」。なるほど!無責任に飼うことはできないですよね。(でもやはり飼ってみたいです・・)
ところで、本書では触れられていませんが「大型で活発」という第四の戦略をとった生物もかつていました。恐竜ですね。肺をもつ生物の約二倍の酸素摂取効率で巨体を高速で動かして捕食していました。(ピーター・D. ウォード著「恐竜はなぜ鳥に進化したのか」に詳しく書かれています。)
温暖化して酸素濃度が下がるとほ乳類(特に大型)は生きられなくなるそうですが、その時でも恐竜の生き残りである鳥と効率化の進んだカメは生き延びていそうです。
まさしく「鶴は千年、亀は万年」なのですね。
過去記事:「恐竜はなぜ鳥に進化したのか」
http://dmc.asablo.jp/blog/2010/09/24/
「天地明察」 ― 2013年05月10日 09:24
今更といわれそうですが、沖方丁著「天地明察」を読了していましたのでご紹介です。
今は途絶えた碁「安井家」の二世算哲として御城碁(おしろご:将軍の前で碁を披露する)を務めながら、算術と暦の研究家として観測と改暦を一生の仕事とした渋川春海の物語です。
本人は弱気ながら周囲の期待と庇護を通して成就するさまは、いかにも現代的な人物像として受け入れやすそうです。もとより史実を基にしたフィクションですので、そのような脚色は当然でしょうね。それが飄々とした雰囲気をつくり親しみやすく読みやすい印象になっています。
しかし封建制度を確立して行く時世にあって、「天文方」という新しい世襲職を将軍に作らせてしまうのは、運や身分を存分に用いたとしても凄いお方だったのでしょうね。面白かったです。
ところで今回はkindleを枕元に置き、寝る前に数頁を読み進めるという読書でした。手元灯だけでは不安な画面コントラストも、文字サイズとフロントライトの調整で補えましたので、読書の邪魔にはなりませんでした。
(もちろん、改善の要望は沢山感じておりますが、それはまた別の機会に。)
今は途絶えた碁「安井家」の二世算哲として御城碁(おしろご:将軍の前で碁を披露する)を務めながら、算術と暦の研究家として観測と改暦を一生の仕事とした渋川春海の物語です。
本人は弱気ながら周囲の期待と庇護を通して成就するさまは、いかにも現代的な人物像として受け入れやすそうです。もとより史実を基にしたフィクションですので、そのような脚色は当然でしょうね。それが飄々とした雰囲気をつくり親しみやすく読みやすい印象になっています。
しかし封建制度を確立して行く時世にあって、「天文方」という新しい世襲職を将軍に作らせてしまうのは、運や身分を存分に用いたとしても凄いお方だったのでしょうね。面白かったです。
ところで今回はkindleを枕元に置き、寝る前に数頁を読み進めるという読書でした。手元灯だけでは不安な画面コントラストも、文字サイズとフロントライトの調整で補えましたので、読書の邪魔にはなりませんでした。
(もちろん、改善の要望は沢山感じておりますが、それはまた別の機会に。)
知性のありか 「植物はそこまで知っている」 ― 2013年05月08日 23:40
ダニエル・チャモヴィッツ著「植物はそこまで知っている」を読みました。
人間の五感と対比させながら、植物の「感覚」を最新の科学的知見に基づいて説いています。語り口は判りやすくありながら慎重で、安易な擬人化がもたらす誤解を丁寧に避けているように感じます。
私も耳にした事がありますが、かつて「植物も人と同じように会話をし、聴き、質の良い音楽を求めている」という話しが流布された時期があります。この本はそのような擬人化された植物の感覚をきっぱりと否定しながら、あえて人間の五感を対比させたのは、「感覚」を理解するには私たちの経験を基にするのがよいということなのでしょうね。
例えば「植物は見ている」の章では、植物には「目」と「脳」がないので、私たちのように網膜で結像したものを中枢神経で処理をすることはないけれど、私たちの目や身体の中にある「光受容体」は持っていて、そこから様々な外界の情報を得て活用している事が示されます。
また、青い光を受容する「クリプトクロム」は植物にも人間にもあり、ともに体内時計を調整する働きを担っているのだそうです。太陽の青い光が体表面のクリプトクロムに届くことで「今は昼間」ということを関知しているのです。
驚いた事にこのクリプトクロム(由来のシステム)は原始の単細胞生物にも見られるそうです。
・・ここまで語られることで、私たちの「見る」と、植物のそれでは異なりながらも「視覚」が進化の過程で枝分かれした同じ根っこを持つものである、というイメージが伝わりました。
同様に嗅覚、触覚、聴覚、固有感覚(位置感覚)、記憶が、植物の進化の結果獲得した固有のものとして語られます。これが面白かった!
そして最後に、「知っている」ということの先にある知能、知性についても、五感同様に安易な擬人化を避けながら、一貫して慎重に可能性をにおわせて終わっています。
「知」にも生物ごとの必要に基づく多様性があるのだ、という思いが余韻として続いています。
人間の五感と対比させながら、植物の「感覚」を最新の科学的知見に基づいて説いています。語り口は判りやすくありながら慎重で、安易な擬人化がもたらす誤解を丁寧に避けているように感じます。
私も耳にした事がありますが、かつて「植物も人と同じように会話をし、聴き、質の良い音楽を求めている」という話しが流布された時期があります。この本はそのような擬人化された植物の感覚をきっぱりと否定しながら、あえて人間の五感を対比させたのは、「感覚」を理解するには私たちの経験を基にするのがよいということなのでしょうね。
例えば「植物は見ている」の章では、植物には「目」と「脳」がないので、私たちのように網膜で結像したものを中枢神経で処理をすることはないけれど、私たちの目や身体の中にある「光受容体」は持っていて、そこから様々な外界の情報を得て活用している事が示されます。
また、青い光を受容する「クリプトクロム」は植物にも人間にもあり、ともに体内時計を調整する働きを担っているのだそうです。太陽の青い光が体表面のクリプトクロムに届くことで「今は昼間」ということを関知しているのです。
驚いた事にこのクリプトクロム(由来のシステム)は原始の単細胞生物にも見られるそうです。
・・ここまで語られることで、私たちの「見る」と、植物のそれでは異なりながらも「視覚」が進化の過程で枝分かれした同じ根っこを持つものである、というイメージが伝わりました。
同様に嗅覚、触覚、聴覚、固有感覚(位置感覚)、記憶が、植物の進化の結果獲得した固有のものとして語られます。これが面白かった!
そして最後に、「知っている」ということの先にある知能、知性についても、五感同様に安易な擬人化を避けながら、一貫して慎重に可能性をにおわせて終わっています。
「知」にも生物ごとの必要に基づく多様性があるのだ、という思いが余韻として続いています。
洗練の極み「Natural Fashion」 ― 2013年04月15日 08:13
いやぁ、久しぶりに鮮烈な写真集に出会いました。
ハンス・シルベスター(Hans Silvester)氏の「Natural Fashion Tribal Decoration from Africa」です。2008年発刊です
この写真に目が釘付けになりました。
エチオピアのSurma族とMursi族の部族ファッションだそうですが、表紙から強烈な個性があふれ出ています。
乗せたりくわえたり編んだりと、花の扱いがとても自由で、現代のトップフラワーデザイナーのようです。
一見雑に見えるように収めるのって技術的にも難しいはずで、細かいアクセサリーとあわせて繊細さと大胆さと、、なんて講釈は野暮ですね。
鶏!
自由!
何世代か前に天才が現れたのでしょうか、それとも部族間で華美を競ったのでしょうか、、この写真集自体はハンスさんがきちんと演出して撮ったものと推察しますが、このような文化風俗をかいま見る事が出来て心躍りました。
もちろん彼らも私たちと同じ「今」を暮らしている訳でして、グローバル化、といいますか西欧化も進んでいると思いますし、地域の政情に大きく影響を受けるでしょう。その結果このファッションがその伝統的な系譜からは失われる事もあるかもしれません。
しかし、たとえそうなったとしてもこの美意識はどこかで受け継がれて行くだけの洗練を持っている、、そう感じました。
映画「草原の椅子」 ― 2013年03月19日 23:16
普通の人の普通だけど奇跡のような、清らかな物語りです。
事件らしい事(殺人とか逃亡とか)はほとんど何も起きないのですが、長めのカット割りと抑えた芝居で、登場人物のそばに寄り添っていられるので、心の動きがしっかりと伝わって来ました。
最後の桃源郷と呼ばれるフンザでの初の本格的なロケもあくまで舞台としての撮り方で、声高な「メッセージ」はなく(いや、正確には強烈にあるのですが表現はかなり控え目です)、予感と余韻だけを残して静かに終わるという映画でした。
いかにも、作るのも売るのも大変そうですが、だからこそ関わった方たちは、きっととても誇らしかったことだろうと拝察します。
その中で一際印象に残ったのが小池栄子さん。主人公たちを際立たせる「普通に見かける人々の気持ち悪さ」を見事に演じておられて、特に目の気持ち悪さが素晴らしかったです。
また、キーパーソンであるはずの子供の存在感が、本編を通して一貫して薄く感じられ、少し物足りないかとも思いました。しかし、エンドロールの最後の最後、一枚の写真が映し出され、この子はこれから生き続けるんだ、という「韻」を残して行きました。凄い演出だなぁ。
もうすぐ終演だそうですが、是非。お勧めです!
映画「草原の椅子」公式サイト
http://www.sougennoisu.jp/
事件らしい事(殺人とか逃亡とか)はほとんど何も起きないのですが、長めのカット割りと抑えた芝居で、登場人物のそばに寄り添っていられるので、心の動きがしっかりと伝わって来ました。
最後の桃源郷と呼ばれるフンザでの初の本格的なロケもあくまで舞台としての撮り方で、声高な「メッセージ」はなく(いや、正確には強烈にあるのですが表現はかなり控え目です)、予感と余韻だけを残して静かに終わるという映画でした。
いかにも、作るのも売るのも大変そうですが、だからこそ関わった方たちは、きっととても誇らしかったことだろうと拝察します。
その中で一際印象に残ったのが小池栄子さん。主人公たちを際立たせる「普通に見かける人々の気持ち悪さ」を見事に演じておられて、特に目の気持ち悪さが素晴らしかったです。
また、キーパーソンであるはずの子供の存在感が、本編を通して一貫して薄く感じられ、少し物足りないかとも思いました。しかし、エンドロールの最後の最後、一枚の写真が映し出され、この子はこれから生き続けるんだ、という「韻」を残して行きました。凄い演出だなぁ。
もうすぐ終演だそうですが、是非。お勧めです!
映画「草原の椅子」公式サイト
http://www.sougennoisu.jp/
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