25期を迎えました! ― 2024年07月01日 10:10
本日から弊社は25期に入ります。
この期替わりのタイミングは、何かと忙しく感慨に浸る間がないものですが、ここ数年は半自動的にダイジェストの映像が脳内に再生されることが増えました。ちょっと便利(笑
毀誉褒貶のある世界ではありますが、振り返ってみまして、力及ばず残念なことはあったにせよ憎々しい思いは一度もなく、あのときは助けられた、あの時はこんな幸運があった、あの時は素晴らしい仕事ができた、と良いことばかりが浮かんできます。これは本当に恵まれたことだと、日々感謝をつのらせております。
これからもどんどんデザインして行くつもりで、新たな一年をスタートいたしました。あらためまして、今後ともご愛顧のほどよろしくお願い申し上げます。
MICHI-KUSA at 長野県立美術館 ― 2024年07月03日 10:02
NHKニュース「排除?「仕切りのあるベンチ」を考える」20240627 ― 2024年07月05日 10:56
ダメマシンクリニックのファンの皆さまこんにちは!
先日NHKのニュースで、仕切りのあるベンチについてのレポートがありました。以下要約です。
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福岡市の公共ベンチには、ホームレスの排除を目的とする仕切りが設置されています。この仕切りは、特許庁の記録によると、30年前に登録された実用新案であり、ベッド代わりに使用できないように設計されています。
市民の意見はさまざまです。一部の市民は、仕切りがホームレスの利用を防ぐ意図があるとして批判的ですが、他の市民は高齢者が立ち上がりやすくなると支持しています。また、福岡市はこれが高齢者や障がい者のためであり、ホームレス排除のためではないと説明しています。この問題は引き続き議論が必要とされています。
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ベンチを置く ― 2024年07月08日 16:15
排除アートが気になる皆さまこんにちは
前回、福岡で設置された浮浪者を排除するベンチが設置されているが、その排除の意図を感じず、逆にユニバーサルの文脈で歓迎する向きもあり意見が割れている、というニュースをご紹介しました。
デザイン的な視点で、形が人に行為を促すように機能する(アフォーダンスがある)あり方として、「悪意*」をまるっと感じない人が相当数いらっしゃる事に驚いたのでした。(*悪意=排除の意図)
一般に、人は悪意の方に敏感です。なので、何故それを見落とす事が出来るのか、ここを深堀することは意義がありそうです。
仮説1:悪意は感じるが、自分に向けられた悪意ではないので過小評価している説。
仮説2:悪意は感じるが、そこに共感しているので内心は支援している説。
仮説3:悪意は感じるが、表面上の善意(手すりに擬態)が悪意を押しとどめている説。
しかしそもそも、排除の意図を感じないのが普通なのかもしれません。
上のような邪推は、当たっている方がいたとしてもそれほど多くはないでしょう。
むしろ、「ベンチは座るもので寝たりしない」という了解が共有されて、それはとても強固なのではないか、と思います。
これ、無意識に「自分は浮浪者ではないし今後も浮浪者にはならない」「自分は病人ではないし今後病人にはならない」「自分は赤ん坊や老人ではないし今後それらの世話もしない」という自認があるから、、と見えてしまいます。これはちょっと気が重い話ですね。。
福岡では意見が割れている、ということなので今後の推移に注目したいと思います。
ところで話が飛びますが、20年ほど前のことです。自宅の前にベンチを設置したことがあります。最初は母が近所の知人と座って過ごすためでしたけれど、母がいなくなったあともドラマが沢山ありました。
徘徊老人も行倒れも不審者もそのベンチに座り、横になり、一時を過ごし、家族を待ち、救急車を呼び、去っていきました。
仕切りのあるベンチ、私にはブロイラーのケージのように見えてしまうベンチ。そこにはどんなドラマがあるのでしょう。
野毛の「ぷーさん」 ― 2024年07月10日 10:48
ユニバーサルデザインについてお考えの皆さまこんにちは
先週、排除の意図のあるベンチのニュースから、その意図を感じない今の普通と、その背景にありそうな自認についてお話しました。そのことで思い出したことがありました。
昭和50年代のことです。私の住む横浜市で、中学生が浮浪者を面白半分に殺した事件が起きました。やや世代がズレますが、私の身近に起きたとてもセンセーショナルな事件だったと記憶しています。
ある時期、「排除アート」と呼ばれる、浮浪者を寄せ付けないための工夫やオブジェが目につきはじめたときも、その事件を思い出したのでした。
その事件より以前は、浮浪者を「ぷーさん」などと呼称して、物理的にも心理的にも今よりずっと身近な存在だったと記憶しています。
仲良くしたとか心の中で応援したとかではないのですが、広場や通路で見かける彼らとの距離感は大事な感覚でした。失礼ですけど、野良犬や裏社会の人たちとの感覚もそこには含まれていました。
この身近さは、「自分たちの人生の延長線上に彼らがいる」ということを大人は知っていて、それを子供なりに感じていたからだと、今なら思います。
街=大人が浮浪者を積極的に排除し始めたことによって、子供たちにとっても「浮浪者は自分の人生に関係のないものに変質した」ということかもしれません。
ところで、「想像の及ぶ範囲を広げていくこと」がユニバーサルデザインの重要な点です。その点で、「自分の人生に関係のないもの」を「自分の人生の延長線上」と捉え直すことが出来るデザインこそ、ユニバーサルデザインと私は呼びたいと思います。
(件のベンチはですからユニバーサルではない、となりますね。)
デジタル庁のプロンプト集が評判 ― 2024年07月12日 10:13
AIを活用されてらっしゃるみなさまこんにちは^^
5月に発表されたデジタル庁のプロンプト集の評判が良くあちこちで紹介されています。検索すると記事やブログの方が先に出てしまうので、こちらにメモしておきます。
「投稿プロンプト一覧」(これが評判になっているサンプルで、クリックするとCSVデータがダウンロードされます。)
デジタル庁が上記を紹介したブログ
話とびますが、最近は動画にも文字が増えてるように感じまして、(結局文字に回帰するのかな)と思うようになりました。文字情報を自身で咀嚼して受け取る方が好みの方にとっては、動画がまどろっこしいという感覚があるようです。(1.75倍速で視聴、というのはタイパとは別に、このような嗜好もありそうです。)
AIが参照する文字情報が自己回帰してあふれ出すのは嫌ですが、文字情報とのつきあいは今後も大切で、そのためのAI使用技術は必須になるのでしょうね。
感性とデザイン ― 2024年07月15日 10:11
デザインがお好きな皆さまこんにちは^^
先日、欧州でも活躍されるデザインディレクターが「デザインはもう感性の領域まで来ている」とおっしゃっていました。ミラノサローネの企業展示が個々のプロダクトのショーケースを超えて、企業の感性を表現する場となっている、というような文脈だったと思います。
私はこのコメントを伺って、40年前を思い出していました。
「感性工学」という切り口が1980年代に流行りまして、その時は統計的な手法でデザインを構築する、というようなものだったと記憶しています。(スタディで実践したこともあります。)
その後、修業したデザイン会社でも感性を工学的に捉えるアプローチをたびたび試しました。私は当時、デザインコンセプターという肩書きでしたので、あちこちの手法、ツールをかき集めました。「デザイン思考」という言葉の前にも、デザインプロセスをメソッド化してチームで行うことはそこかしこでされていたと思います。
その過程で、アートとデザインと感性のら旋状の関係に興味を持つようになりました。実務的に言いますと、「アーティストが注目している事象は、それを引き受ける感性を通じてデザインに翻訳される」ということです。この個人的な発見(思い込み)は、とても有用なものとして今でも大切にしています。
感性、アート、デザイン ― 2024年07月17日 12:48
アートとデザインがお好きな皆さまこんにちは^^
先日、感性とデザインの話から「アーティストが注目している事象は、それを引き受ける感性を通じてデザインに翻訳される」というお話をしました。
メディアアートがその後のUI・UXデザインに引き継がれたり、実験的な彫刻がプロダクトデザインに影響を与えたり、といったことも実例に当たると思います。
ここであらためて「感性とアートとデザイン」について、AI(Gemini1.5 Flash)にレポートしてもらいました。
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Q:感性とアートとデザインについてレポートして下さい
A:感性、アート、デザイン:三位一体の創造
感性、アート、デザインは互いに密接に関連し、三位一体を成す概念です。それぞれが独立して存在しながらも、相互作用し、人間の創造力を豊かにし、世界をより豊かに彩ります。本レポートでは、この三位一体の関係について、それぞれの概念を深く掘り下げながら探求していきます。
1. 感性:創造の源泉
感性は、人間の五感を通して得られる感覚や感情、直感、思考などを包括的に表す言葉です。それは、私たちが世界を理解し、反応するための基礎であり、アートやデザインの創作において重要な役割を果たします。
美的感性: 美しいもの、醜いもの、心地よいもの、不快なものなどに対する主観的な判断や感情。アート作品の鑑賞やデザインの評価に大きく影響します。
1. 感性:創造の源泉
感性は、人間の五感を通して得られる感覚や感情、直感、思考などを包括的に表す言葉です。それは、私たちが世界を理解し、反応するための基礎であり、アートやデザインの創作において重要な役割を果たします。
美的感性: 美しいもの、醜いもの、心地よいもの、不快なものなどに対する主観的な判断や感情。アート作品の鑑賞やデザインの評価に大きく影響します。
創造的感性: 新しいアイデアを生み出す力や、既存のものを組み合わせる力。芸術家やデザイナーは、この感性を駆使して独自の表現を生み出します。
共感: 他者の感情を理解し、共有する力。アートやデザインを通じて、感情を伝える、または他者の感情を呼び起こすことができます。
2. アート:感性の表現
アートは、人間の感性を表現するための多様な手段であり、絵画、彫刻、音楽、文学、演劇など、その形態は多岐にわたります。アートは、鑑賞者の感性に語りかけ、思考や感情を揺さぶる力を持っています。
表現: 芸術家は自身の感情や思想、社会に対する批評などを作品を通して表現します。
コミュニケーション: アートは、言葉を超えた形で、人々の間で感情や思想を共有するための手段となります。
アートは、人間の感性を表現するための多様な手段であり、絵画、彫刻、音楽、文学、演劇など、その形態は多岐にわたります。アートは、鑑賞者の感性に語りかけ、思考や感情を揺さぶる力を持っています。
表現: 芸術家は自身の感情や思想、社会に対する批評などを作品を通して表現します。
コミュニケーション: アートは、言葉を超えた形で、人々の間で感情や思想を共有するための手段となります。
美的体験: アートは、美的感性を刺激し、鑑賞者に深い感動や美的体験を与えます。
3. デザイン:感性の形
デザインは、機能性と美的感覚を融合させ、人々の生活をより良くするための創造活動です。デザインは、アートの要素を取り入れながらも、実用性を重視し、人々のニーズに応えることを目指します。
機能性: デザインは、使いやすく、安全で、効率的な製品やサービスを生み出すことを目指します。
デザインは、機能性と美的感覚を融合させ、人々の生活をより良くするための創造活動です。デザインは、アートの要素を取り入れながらも、実用性を重視し、人々のニーズに応えることを目指します。
機能性: デザインは、使いやすく、安全で、効率的な製品やサービスを生み出すことを目指します。
美しさ: デザインは、美的感性を刺激し、人々の心を魅了する美的要素を重視します。
コミュニケーション: デザインは、視覚言語を用いて、情報伝達やブランドイメージの構築を行います。
コミュニケーション: デザインは、視覚言語を用いて、情報伝達やブランドイメージの構築を行います。
4. 三位一体の関係
感性、アート、デザインは、互いに密接に関連し、それぞれの概念を豊かにしています。
感性はアートの源泉となる: 芸術家は自身の感性を作品に注ぎ込み、独自の表現を生み出します。
感性、アート、デザインは、互いに密接に関連し、それぞれの概念を豊かにしています。
感性はアートの源泉となる: 芸術家は自身の感性を作品に注ぎ込み、独自の表現を生み出します。
アートは感性を刺激する: アート作品は、鑑賞者の感性に語りかけ、思考や感情を揺さぶります。
デザインは感性を形にする: デザイナーは、感性を基に、機能的で美しい製品やサービスをデザインします。
デザインはアートの要素を取り入れる: デザインは、アートの美的な要素を取り入れ、より魅力的な製品やサービスを生み出します。
5. まとめ
感性、アート、デザインは三位一体の関係にあり、互いに影響を与え合い、人間の創造力を豊かにしています。感性は創造の源泉となり、アートは感性を表現し、デザインは感性を形にすることで、私たちの生活はより豊かになります。
6. 今後の展望
現代社会において、感性、アート、デザインの重要性はますます高まっています。テクノロジーの進化や社会の複雑化に伴い、より人間中心的なデザインや、多様な感性を尊重するアートが求められています。
AIと感性: AI技術を活用することで、感性を分析し、より人の心を理解するデザインやアートを生み出すことが期待されています。
感性、アート、デザインは三位一体の関係にあり、互いに影響を与え合い、人間の創造力を豊かにしています。感性は創造の源泉となり、アートは感性を表現し、デザインは感性を形にすることで、私たちの生活はより豊かになります。
6. 今後の展望
現代社会において、感性、アート、デザインの重要性はますます高まっています。テクノロジーの進化や社会の複雑化に伴い、より人間中心的なデザインや、多様な感性を尊重するアートが求められています。
AIと感性: AI技術を活用することで、感性を分析し、より人の心を理解するデザインやアートを生み出すことが期待されています。
多様性と包容性: 異なる文化や価値観を尊重し、多様な感性を包含するデザインやアートが求められています。
持続可能性: 環境問題や社会問題に対して、感性を活かしたデザインやアートを通じて、持続可能な社会の実現を目指していくことが重要です。
感性、アート、デザインは、人間にとって重要な要素であり、今後も私たちの生活を豊かにし、より良い未来を創造する力となるでしょう。
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AI、篤く語っていますね。問いの解答としては「5.まとめ」の無難な内容ですが、今後の展望としてAIを入れてくるのはちょっと面白かったです。
先日の「感性の領域までデザインする」は、アート的な表現をデザインに取り込むのが今のトレンド、というほどの意味だと思いますし、そしてそれは時々繰り返されるものです。
しかし、文字通り「人の感性の領域を変質させる」ということを指す場合は、今後はAIをテコにしたらありうるのかな、、などと思いを巡らせました。
未知の感性領域発見の可能性はありますので、変質は起こりうるのでしょう。意図した(=デザインした)変化かどうかは分からなくとも、ですが。
体験価値・感性価値 ― 2024年07月19日 10:56
感性に刺さるデザインがお好きな皆さまこんにちは^^
感性とデザイン、アートについての話題を続けています。抽象的でもやっとした物言いになっている気がしまして、ちょっと目先を変えて市場で起こっていることをみてみます。
コロナ禍で市場が成長したものに「コーヒー」がありました。
「レギュラーコーヒー市場が拡大 「おうち時間」増加背景に豆カテゴリー急伸」2022.3.22
「国内3大ECモールのコーヒーメーカー市場規模は、昨年比133%で急速に拡大!」2023/02/14
在宅がきっかけでコーヒーにはまった方、お近くにいらっしゃいませんか?私の周囲には複数いらっしゃいます。
興味深いのはみなさん、自分で淹れるハンドドリップの道具を揃えられたことでした。そのうちの1人はエスプレッソマシンもあつらえました。簡単に美味しくできるコーヒーメーカーではなく、手間がかかる方に魅力を感じられたのですね。
私もコーヒーが好きですが、忙しいとインスタントコーヒーを飲むこともあります。しかし、強制的にブレイクした方が良いなと思った時はハンドドリップで淹れます。手と感覚を使って淹れる行為が、脳や身体をリフレッシュしてくれるのですね。
体験価値・感性価値
商品開発において、便利であることよりも優先するものがある、というのはとても大事な視点です。コーヒーの場合、「コーヒーを淹れる」という体験価値、また「コーヒーを淹れる時に使われる視覚、聴覚、嗅覚」という感性価値が、便益(便利さの価値)を上回る場合がしばしばある、ということだと思います。
先日の、「デザインはもう感性の領域まで来ている」というコメントは、この点を指しているのかもしれません。便利にするだけのデザインが市場では戦えなくなっていて、体験価値、感性価値を高めて行く必要がある、と読み解くと腑に落ちます。
ちなみに「わざわざ行うことの良さ」を「不便益(ふべんえき)」と言うそうです。それはまた後日に。
不便益 不便さが良さになる仕組み ― 2024年07月22日 10:29
便利にするだけでは物足りないとお考えの皆さまこんにちは^^
先日、コーヒーをわざわざ淹れる方が支持される事象から「不便益(ふべんえき)」に触れました。
コーヒーと共に盛り上がったキャンプもそうかもしれませんが、「わざわざ○○をするのがいいんだよ」という、便利さよりも上回る価値を感じる場面は、どこかで皆さまにもあるのではないでしょうか。
不便益については専門家がいらっしゃいます。
京都先端科学大学 川上浩司教授「人とモノの関係をデザインする「不便益」のすすめ」
このインタビュー記事で川上教授は、「不便益」を「便利な暮らしが、これまでの工程をブラックボックス化させたとも言えます。そのブラックボックス化されてしまった行為が元々は与えてくれていたはずの効用に目を付けたのが不便益」と紹介されています。
「意図的に不便さを取り入れることで得られる予期しない利益や深い価値を強調する考え方」(要約)を社会システムに組み込むことを目指されてるそうです。
※不便益の詳細についてはこちらをご参照ください。
不便益のコンセプトは明快で共感します。しかし、実際の商品開発ではそのまま「不便にする」という発想では見えないものもありそうです。(実際にスタディでアイデア展開したことがありますが、その時はアイデアとしては面白くてもニーズがなさそうなものばかりになりました。)
そこで有用なのが、前回もご紹介した「体験価値」「感性価値」という視点です。
たとえば、調理した鍋でそのまま食べる、という行為を考えて見ましょう。
まず、これはとても効率的で、アウトドアでは普通に見かける行為です。
しかし、家の中では「貧しい」「寂しい」「味気ない」といったネガティブな感覚が想起される方も多いでしょう。そこまで明示的(自覚的)に忌避しなくても、好きなお皿に盛って食べる方が美味しい、というのは文化的に受け継いできた感覚としては自然なことと思います。
一方で、韓国ドラマのラーメン鍋や、取っ手のとれる鍋でそのまま食卓にだされることが受け入れられてもいます。「一人ぐらしが長いと食器を使わなくなる」という話も聞きます。
これは、調理から食事、洗い物までを含めた一連の行為で、どこの体験価値、感性価値を重視しているのか、という見方をすると分かりやすいかもしれません。
美味しく食べたい、というところに重きを置けば、食卓を調えたくなります。
一方、家事の手間を減らしたいと思えば、そのまま出すのをいとわなくなります。
また、手間を減らしつつ食卓も調えたい、と思えば「取っ手のとれる鍋」は選択肢に入るでしょう。
商品開発において、便利さに限界を感じたら、一度不便な時代に戻って、その体験価値、感性価値を見直すことをおすすめします。
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