「心身共に圧倒的に支配される程の痛み」とデザイン2024年08月02日 17:04

みなさまこんにちは^^

入院した経験と「痛みの感性価値」から、「病院体験を良くするデザイン」の可能性に触れてきました。医療側から見た緊急度ではなく、患者側から見た体験価値を良くする、という視点です。これは余地がまだまだありそうですので、ぜひお声掛けください。

ところで「痛み」は延々と続くこともありますし、感情や気分のように変化することもあります。少なくとも「ピーク」や「渦中」にあるのか、それとも「減衰期」にあるのかでもわけて考えた方が良いかもしれません。
例えば、渦中では感受性が極端に減衰していると思いますが、減衰器では逆に敏感になっていそうです。また強い障害を経験した後は共感性が上がりますし、価値観が変わることもしばしばあります。
「心身共に圧倒的に支配される程の痛み」の中では、個人の内面に強く作用するインタラクションが発生する可能性がある、というのは充分な配慮を求める側面だと思います。

ここでもういちどChatGPT4oにたずねてみましょう。

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Q:「心身共に圧倒的に支配される程の痛み」についての感性価値を考察して下さい

A:圧倒的な痛みの感性価値についての考察

デザインにおける感性価値は、ユーザーが製品やサービスを通じて経験する感情的および心理的な価値を指します。「心身共に圧倒的に支配される程の痛み」という極限状態における感性価値を考察することで、デザインの新たな視点や可能性を見出すことができます。

1. 圧倒的な痛みの種類とその特性

圧倒的な痛みは、身体的および精神的な極限状態における痛みであり、以下の特性を持ちます。

 ・身体的な極限痛:強烈な肉体的苦痛であり、通常の機能を完全に奪うほどの痛み。例としては、重度の外傷や手術後の痛みなどが挙げられます。
 ・精神的な極限痛:深刻な心理的苦痛であり、絶望感や恐怖、極度のストレスを伴う痛み。例としては、トラウマや深い悲しみ、精神疾患による苦痛が挙げられます。

2. 圧倒的な痛みがもたらす感性価値

圧倒的な痛みがもたらす感性価値は、通常の快楽や満足とは異なる次元のものであり、以下のような側面を持ちます。

 ・感情の深化:圧倒的な痛みは、感情の深さを増し、普段は経験しないような強烈な感情を引き起こします。これにより、個人の感受性や共感能力が高まる可能性があります。
 ・存在の確認:極限の痛みを経験することで、自分自身の存在や生きることの意味を強く意識することができます。痛みは、自己の存在を再認識させる強力な手段となります。
 ・変革の契機:圧倒的な痛みは、人生の転機となり得ます。痛みを乗り越える過程で、個人は成長し、新たな視点や価値観を獲得することができます。

3. デザインにおける圧倒的な痛みの活用

デザインにおいて、圧倒的な痛みをどのように取り扱うかは慎重に検討する必要がありますが、以下のようなアプローチが考えられます。

 ・医療デザイン:圧倒的な痛みを軽減し、管理するためのデザイン。例えば、痛み管理のためのデバイスや、快適な治療環境の設計が挙げられます。痛みを軽減することで、患者の生活の質を向上させることができます。
 ・感情教育ツール:痛みを擬似的に体験することで、共感や理解を深めるデザイン。例えば、VR技術を用いて痛みを体験することで、医療従事者が患者の痛みを理解し、より良いケアを提供するためのトレーニングツールが考えられます。
 ・アートとエンターテイメント:痛みの経験を通じて深い感情を喚起する作品の創作。例えば、映画や演劇、文学において、圧倒的な痛みをテーマにすることで、観客に強烈な感情体験を提供し、深い共感や洞察を促すことができます。

4. 倫理的考慮

圧倒的な痛みをデザインに取り入れる際には、倫理的な側面を慎重に考慮する必要があります。

 ・ユーザーの保護:痛みの経験がユーザーにとってトラウマとなる可能性を最小限に抑えるため、慎重な設計と適切な使用条件を設定することが重要です。
 ・インフォームド・コンセント:ユーザーが痛みの経験について十分に理解し、自発的に同意することが必要です。ユーザーに対して、どのような痛みを経験するのか、どのような影響が予想されるのかを明示することが求められます。

結論

「心身共に圧倒的に支配される程の痛み」は、デザインにおいて非常に特殊かつデリケートな要素ですが、適切に取り扱うことで深い感性価値を生み出すことができます。このような痛みを経験することで得られる感情の深化、存在の確認、変革の契機は、デザインに新たな視点や可能性をもたらします。しかし、ユーザーの保護と倫理的な配慮を忘れずに、慎重に取り扱うことが重要です。

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結論は「積極的に取り入れる」前提の回答であり常識的な注意喚起に留まっていますので、あまり意味がないかもしれませんが、存在確認や倫理についての言及までありましたので、切り口のご参考に。

「104」の終わりに2024年08月05日 18:37

みなさまこんにちは^^

先月、NTTが電話番号案内サービスの「104」を再来年の3月に終了する、というニュースがありました。今の30代以下の方はほとんど、「104」自体を知らないらしい、という話も付随していました。


(まだサービスされてたんだ)というのが正直な感想で、終了も再来年の3月と余裕をもった公表で、このサービスが必須だった頃の時間感覚を思い出したりもしました。

ふと、数少ない利用者さんへはどんな代替案を用意されてるのかな、と一瞬思いましたけれど、普通にインターネット検索ですか。

・・ん?あれ?インターネット検索では、個人の電話番号は難しいですよね。

そうか、104サービスの終わりとは、アナログサービスの終了なのではなく、「個人の電話番号を探す」という行為自体が終わったのだ、、と思い直しました。

そう言えば初期のカーナビは「電話番号検索」が便利だったんです。電話番号が公開情報であったこと、電話番号が住所と結びついていることが効いてたんですよね。ここにも時代を感じます。

今の連絡手段は、各種SNSで特定の個人、さらに細かく設定された「アカウント」へという時代です。そんな時代には、もしかしたら地理情報(GPS等)と結びついた特定番号が登場する(している)のかもしれない、、と思いました。

「AIアシスタント」は来るのか2024年08月07日 10:22

みなさまこんにちは^^

先日来お話のネタにしている入院体験から、最後のお話しです。
入院は3泊4日でした。その間、主治医、口腔外科医、麻酔医、手術室内の看護師看護助士の方々、当直のドクター、病室の看護師看護助士の方々、薬剤師、事務員さん清掃員さんと、直接関わった方だけでも20名あまりの方にお世話になりました。
総じて安心して過ごす事が出来、過去5回の入院体験*の中でもトップクラスの好印象でした。

今回の好印象の要因は以下の二点です。

1:情報共有がされている
2:スタッフの機嫌と雰囲気がよい

「インフォームドコンセント」というような、医療側と患者側のコミュニケーションは特段のものは感じませんでした。(これは治療の内容が明確だったからだと思います。)
一方、大勢の医療スタッフが私についての情報を共有、申し送りがなされていることが感じられました。例えば、私の状態を勤務交代した看護士さんが把握していたり、コメントが伝わっていたりしました。この点、誰かに言えばみんなに伝わる、という信頼感は、心身が弱っている時には特に、大きな安心として感じられました。

また、機嫌がよくスタッフ間の会話に明るい雰囲気があることが、少しでも不安を和らげる装置として効果があったと思います。

これらは組織的努力があってのことでしょう。
看護士さんはパソコンと医療具の乗ったワゴンを押していまして、バイタルの数値入力と経緯の確認などなさっていました。逐次申し送りやドクターの指示をそこでも確認出来るのかもしれません。
また詳細なアンケートが有りました。現場の空気をどうしたいのか、ということを共有、確認しているのだと拝しました。

さて、私はそんなことを感じながらも、いずれそうなると言われている「AIアシスタント」ははたして「来る」のだろうか、、と考えていました。

結論で言いますと、来るかどうかは別にして、「あり」だな、と思いました。
現在のワゴン上のパソコンがAIに置き変わるのは自然なことと思います。
情報共有と確認の負担が減れば減るほど、スタッフは「人間としての振るまい」に集中出来ます。
そして、反応に迷う場面でもサジェスチョンをヒントによりよい選択肢を(少なくとも最悪ではない選択肢を)選べる可能性が高まります。これは「あり」だと思います。

その先の「ロボット」も、経済合理性の中から出現する可能性も高いです。ここは「人間的振るまい」が、感受性の高まった患者に受け入れられるかどうかがポイントです。
多くのSF映画がその可能性を示していますので、そんな現場もいずれ出現するのでしょうね。

※全身麻酔の手術入院が4回、コロナ入院が1回

面白くない芸人さんの話2024年08月09日 17:39

みなさまこんにちは^^

先月、家族が遊園地の一角でイベントブースを出す機会がありました。
その初日、隣で芸人さんの無料ライブがあったそうです。で、横にいるので聞こえてきて、それが面白くなかったのだ、と。

ありふれた場面として聞いていましたが、家族は「なんでもっと練習しないんだろう。なんでうまい人に教わろうとしないんだろう。」と、やや感情移入して残念がっていました。暑い中でのイベントで大変だったのでそんな気持ちになったのかもしれません。

お笑い好きな方に聞いたのですが、師匠につかず養成学校やストリートから芸人を目指すのが主流となっていて、それで大成している先輩がたくさんいるそうです。師匠につかないと練習を強制されないので、頑張らない人はずっと下手なままなんだろう、と。

話し飛びますが、昔「ケイコとマナブ」という、資格の勉強や習い事の情報誌がありました。かつては普通に聞かれた「花嫁修業」、習い事に精を出すのは武家文化の名残だそうですが、その時代には、比較的近くに、それなりに修業した人から習う、ということが普通でした。

でも今は動画をちゃちゃっと見ておしまい、が大半ですよね。
インスタライブで生徒さん集客して教えてる方も多数いらっしゃいますが、教える方も素人で教わる方も一見さん、というのも多いとか。

この、非権威的な開かれた雰囲気は歓迎しますが、開かれているからこそ、どの筋をたどるのかがすごく大事だな、と思います。

簡単に言いますと、ちゃんとうまい人に習うのが早いですよ、という話。
運よく教えるのが上手な人の門弟になれば上達も速いです。

先の芸人さん、もちろん師匠なんていないでしょうから、せめて憧れている方の動画を徹底して真似てみたらいいのに、、なんて余計なお世話ですよね。失礼しました。

「型」の有用さ2024年08月12日 10:08

みなさまこんにちは^^

面白くない芸人さんのエピソードから、人に習ったり真似したりしたら早い、というお話をしました。これは「型」を学ぶ有用性についての話です。

劇作家の三谷幸喜さんは、若いころにヒッチコックのカット割り集を手に入れ、それをそのまま再現したらちゃんと怖かったそうです。(テレビでお話しされていました。)
課題で名作をトレースする授業を受けたことがあるデザイナーもいるのではないでしょうか?(今は流行らなさそうですが)
同じようなエピソードはほかにもあるでしょうね。

「型」を学ぶ有用性についてChatGPT4oにまとめてもらいました。

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「型」を学ぶ有用性は、多くの分野で重要な役割を果たします。以下にその主要な理由と利点を挙げます。

1. 基礎を固める
 ・理解の土台: 型を学ぶことで、基礎的な概念や手法をしっかりと理解することができます。これにより、より複雑な問題や状況に直面したときに、基本に立ち返って考えることができます。

2. 効率的な学習
 ・体系的なアプローチ: 型を学ぶことで、学習が体系的に進みます。これは新しい知識や技術を効率的に習得するのに役立ちます。
 ・反復練習: 型を繰り返し練習することで、スキルや技術が自然に身につきます。

3. 創造性の土台
 ・応用と創造: 型を身につけることで、その基礎を応用して新しいアイデアや手法を生み出すことができます。創造的な活動は、確かな基礎の上に築かれることが多いです。
 ・イノベーション: 型を超えて新しいアプローチを見つける際に、既存の型を理解していることが助けとなります。

4. 共通の言語
 ・コミュニケーションの効率化: 型を共有することで、同じ領域の人々が共通の基盤を持ってコミュニケーションを取ることができます。これにより、協力やコラボレーションがスムーズになります。

5. 自己改善
 ・自己評価: 型を使って自己評価を行うことで、自分のスキルや知識の現状を把握しやすくなります。これにより、どの部分を改善すべきかが明確になります。
 ・目標設定: 明確な型があることで、達成すべき具体的な目標を設定しやすくなります。

6. 自信の向上
 ・成功体験の積み重ね: 型を正しく習得し、実践することで成功体験を積み重ねることができ、自信がつきます。

 ・スポーツ: 武道やヨガでは、基本的な型(カタやアーサナ)を学ぶことが、技術の向上や精神的な成長に重要です。
 ・音楽: 楽器の演奏や歌唱では、基本的なスケールやリズムパターンを学ぶことが、複雑な演奏技術を習得する基盤となります。
 ・プログラミング**: プログラミング言語の基本的な構文や設計パターンを学ぶことが、効率的なコード作成や問題解決に役立ちます。

結論
「型」を学ぶことは、基礎的な理解の強化、効率的な学習、創造性の発揮、コミュニケーションの向上、自己改善の手助け、自信の向上といった多くの利点があります。これらの利点を活用することで、さまざまな分野での成功や成長が促進されます。

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「型」に近いものとして「テンプレ」があります。
しかしテンプレ界隈には(キャンバのテンプレ使ったのにうまくできない・・)みたいな会話、あふれてますよね。
これは「そのテンプレと欲しいものの内容がマッチしないため」が多いと思います。(相談に乗ってきたものの体感として)
そのうちAIがそのミスマッチを乗り越えるかもしれませんが、今のところテンプレを使いこなすためには、基礎を学ぶのが早いと思います。急がば回れ、ですね。

余談。
知識の取り入れにも「型」は有用と考えます。
本を知識、型を本棚に例えますと、本棚がないまま本が増えますと、どざとさと積み上げた状態になります。最初(少ないとき)はそれでいいかもしれませんが、ある段階から本棚があるほうが、所蔵全体を見渡せ、アクセスも良く、新しい本の居場所を用意しやすいでしょう。
また、本棚自体のアップデートもしやすいです。
つまり知識を体系化しやすく、その体系自体も陳腐化を免れやすいのです。

「型」と「文化」もしくは「カルチャー」2024年08月14日 17:07

みなさまこんにちは^^

芸人さんの話から「型」を学ぶ有用さについてお話ししました。ここで芸人、芸能に話を戻しましょう。

私の趣味のひとつに「高校演劇」があります。年に一度程度の観劇ペースですので、ほぼ全員知らない方たち*が作っています。そうしますと、舞台の上での出来事を予断なく観ることができます。つまり、芝居、脚本、大道具、音響などなど、それぞれの良しあしが見えやすいのです。そういう状態で観ても、完成度が高くなくても惹きつけられる、という経験を何度もしました。

完成度とは別の魅力として実際に経験したのは、、

1脚本が素晴らしく、芝居がいまいちでも、最後まで面白かった。

2際立つ演者の芝居で、凡庸になりがちな話を特別なものに感じた。

3集団のエネルギーや世界観が、作品を超えた迫ってきた。

大きくは上の三つに集約されます。

1は脚本の力です。
物語、世界観、メッセージ、、いろいろとありますが、「筆の力」ってやつですね。

2は演者の力量です。
時々すごい高校生がいます。ご本人のキャラクターと脚本との相性がいいと思うことも多いです。

3は集団の持つ力ですので、もう少し複合的です。
部員数が多く迫力がある、凝った舞台装置や衣装、音響、仕掛けで商業演劇に迫る、繰り返し描いてきたテーマで練度が高い、などなどです。そして多くは、その学校が世代を超えて継承している特徴であることが多いと見受けられます。

ここで今日のテーマ「型」「文化/カルチャー」の視点で見てみますと、1、2、3にはどれも型がありそうです。しかし「文化/カルチャー」は3をさすでしょう。
当然ですけれど、「文化/カルチャー」は集団に宿るものなのです。

1、2の型は独学で高みに行けそうですが、3は集団に入らないと体感できない。**

これ、改めて面白いなと思います。

話を芸人や芸能の世界に戻します。かの方々には「師弟」というものがありますね。弟子入りとは師匠を通じたカルチャーを持つ集団への参加、とみることもできそう。
師匠を持たない芸人さんも多いですが、それでも周囲の方々とカルチャーを形成しています。

話変わりまして、最近、技術やそれを含む文化の継承の方法として、、

誰でも簡単にわかりやすくかみ砕いたものから教えていき、最後はエキスパートになるルート。オープンで近代的な方法。

最初はマスター(師匠)に付随して説明なく下働きから始めるルート。伝統的な師弟。

のふたつを対比した時、カルチャー全体の継承と発展という視点からすると「2」の方が優れているのでは、という研究がされているそうです。
私は即座に「守破離」を思い出しました。

カルチャーを体感し型を覚えた先にあるもの。短い寿命の中で高みに至る一つの王道かもしれません。

※全国大会常連校でも、同じ生徒が二年連続で舞台に立つことはごく稀です。これは予選に二年を費やすという高校演劇独特のレギュレーションによります。

※実際には、脚本にも芝居にもカルチャーを持つ集団があるので、そこを求めれば体感できます。それがその高校の演劇部にある可能性もあるでしょう。

世界モデルと身体性2024年08月30日 10:15

みなさまこんにちは^^

頻繁にAIについて話題にしております。
専門家ではないのですが、新しい技術についての興味と好奇心、それから「もしかしたらデザインに必要かもしれない・・・」という心配(?)から、理解度が浅いまま書いていることを自覚しつつ失礼いたします。

先週、AIについて2つの記事が目に止まりましたのでご紹介します。



ひとつめは、センサーのない犬型ロボットが上手く移動出来るようAIで学習させる話です。バーチャル空間で4096台のロボットを2万世代訓練して、それをリアルに転用させる技術(「異世界転生」と呼んでいます)の紹介で、ポイントはAIが身体を持たないことを補完できる、ということ。知能の身体性についての話は面白いです。

ふたつめは、会話型AIも身体を含めた物理空間(「世界モデル」と呼んでいます)を持っていないので、そこが全然だめだし、だからこそ伸び代があるという話です。

どちらも「AIと物理空間とを繋げる話」で、ここが次のトレンド、ということなのでしょう。
動画でも言及されていますが、自動運転のような高度な空間認知と運動神経を要する作業のAIは、これからが本番ということなのでしょうね。(そういえばドローンが目標物手前のビルが関知出来ず追突したニュースがつい先日もありました。)

機械が自身の身体性を認知し、物理空間で知能をアップデートするようになったらそれはもう生き物に、少なくとも外観上は生物と区別がつかなくなるかもしれませんね。
dmc.
クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
「デザインの言葉」 by Fumiaki Kono is licensed under a Creative Commons 表示 - 継承 3.0 非移植 License.