知の手触り2024年09月11日 07:58

みさなまさんにちは^^

先日はAIが身体性を獲得する未来、、そんなことをイメージしてみて、なんとなく絵面も浮かんだりもしました。しかし、私の中の言語と既存イメージの組み合わせ以上ではない範囲のことだとも思いました。
それは「手触り」が無いからなんですね。私にとって「空想」であっても、そこに手触りがあるかどうかが大事です。

読むだけの学習と書く学習とでは、書いた方が記憶の定着率が高いそうです。身体の運動を伴う行為の方が脳に定着するという説ですね。「マルチモーダル」という言葉もあります。

大切にしながら何度も開いた専門書の厚い頁、辞書の薄い紙、紙一枚残して切るスチレンボード、良く研いだのみで削るシナノキ、発泡材が削れていくやすりの深さ、シンナーが飛ぶ前に重ねるマーカーの芯、ホワイトボードを消しとるイレイサーの手応え、、そんなものがデザインを学んだ手応えとして残っています。

UIでもそのアナログな手法は使いますが、最後はコンピューターの中で作ります。この時、プログラム的なこともする訳ですが、その途中の手応えのなさが私には恐怖で(笑
この恐怖は、学んで行けばなくなって行くのは知っていますが(実際かなりなくなりました)、デザイナーとして忘れてはいけないことなのです。UIに限らずデザインにとって、この手応えの断絶は、使う人を拒絶する要素になってしまうからです。

加速度的にますます知的になって行く機械たち、それらとの橋渡しはデザイナーの大切仕事なのです。

「AIアシスタント」は来るのか2024年08月07日 10:22

みなさまこんにちは^^

先日来お話のネタにしている入院体験から、最後のお話しです。
入院は3泊4日でした。その間、主治医、口腔外科医、麻酔医、手術室内の看護師看護助士の方々、当直のドクター、病室の看護師看護助士の方々、薬剤師、事務員さん清掃員さんと、直接関わった方だけでも20名あまりの方にお世話になりました。
総じて安心して過ごす事が出来、過去5回の入院体験*の中でもトップクラスの好印象でした。

今回の好印象の要因は以下の二点です。

1:情報共有がされている
2:スタッフの機嫌と雰囲気がよい

「インフォームドコンセント」というような、医療側と患者側のコミュニケーションは特段のものは感じませんでした。(これは治療の内容が明確だったからだと思います。)
一方、大勢の医療スタッフが私についての情報を共有、申し送りがなされていることが感じられました。例えば、私の状態を勤務交代した看護士さんが把握していたり、コメントが伝わっていたりしました。この点、誰かに言えばみんなに伝わる、という信頼感は、心身が弱っている時には特に、大きな安心として感じられました。

また、機嫌がよくスタッフ間の会話に明るい雰囲気があることが、少しでも不安を和らげる装置として効果があったと思います。

これらは組織的努力があってのことでしょう。
看護士さんはパソコンと医療具の乗ったワゴンを押していまして、バイタルの数値入力と経緯の確認などなさっていました。逐次申し送りやドクターの指示をそこでも確認出来るのかもしれません。
また詳細なアンケートが有りました。現場の空気をどうしたいのか、ということを共有、確認しているのだと拝しました。

さて、私はそんなことを感じながらも、いずれそうなると言われている「AIアシスタント」ははたして「来る」のだろうか、、と考えていました。

結論で言いますと、来るかどうかは別にして、「あり」だな、と思いました。
現在のワゴン上のパソコンがAIに置き変わるのは自然なことと思います。
情報共有と確認の負担が減れば減るほど、スタッフは「人間としての振るまい」に集中出来ます。
そして、反応に迷う場面でもサジェスチョンをヒントによりよい選択肢を(少なくとも最悪ではない選択肢を)選べる可能性が高まります。これは「あり」だと思います。

その先の「ロボット」も、経済合理性の中から出現する可能性も高いです。ここは「人間的振るまい」が、感受性の高まった患者に受け入れられるかどうかがポイントです。
多くのSF映画がその可能性を示していますので、そんな現場もいずれ出現するのでしょうね。

※全身麻酔の手術入院が4回、コロナ入院が1回

「104」の終わりに2024年08月05日 18:37

みなさまこんにちは^^

先月、NTTが電話番号案内サービスの「104」を再来年の3月に終了する、というニュースがありました。今の30代以下の方はほとんど、「104」自体を知らないらしい、という話も付随していました。


(まだサービスされてたんだ)というのが正直な感想で、終了も再来年の3月と余裕をもった公表で、このサービスが必須だった頃の時間感覚を思い出したりもしました。

ふと、数少ない利用者さんへはどんな代替案を用意されてるのかな、と一瞬思いましたけれど、普通にインターネット検索ですか。

・・ん?あれ?インターネット検索では、個人の電話番号は難しいですよね。

そうか、104サービスの終わりとは、アナログサービスの終了なのではなく、「個人の電話番号を探す」という行為自体が終わったのだ、、と思い直しました。

そう言えば初期のカーナビは「電話番号検索」が便利だったんです。電話番号が公開情報であったこと、電話番号が住所と結びついていることが効いてたんですよね。ここにも時代を感じます。

今の連絡手段は、各種SNSで特定の個人、さらに細かく設定された「アカウント」へという時代です。そんな時代には、もしかしたら地理情報(GPS等)と結びついた特定番号が登場する(している)のかもしれない、、と思いました。

SDG'sは感性価値で斬るべし2024年07月26日 11:32

SDG'sデザインをお考えの皆さまこんにちは^^

ここのところ体験価値、感性価値についてお話を続けています。
そのなかで思いついた仮説がありまして、ここに留めおこうと思います。

それが、「SDG'sは感性価値で斬るべし」であります。

理屈ではない感覚的驚異としての環境意識
「SDG'sは欧州のしかけたゲーム」という見方があります。たぶん半分は間違ってはいないのでしょう。私自身のキャリアでは、「ペーパーレス化」「地球に優しい」「エコ」「サスティナブル」、、と様々な環境を意識した開発にかかわって参りましたが、その後ろ側の本音の所では(環境保護は建て前であり、その建て前をいかに通すかが企業の腕の見せ所)という匂いが消えたことはありませんでした。私は「SDG's」をその延長で捉えていました。
しかし、近しい若者(10才から20才前後の男女複数)に「SDG's」についてきいて見たところ、どうやら本気で大事に感じているようなのです。上のような「本音」の一部を披露しようとすると、ほとんどの若者が卑しいものを見る目を返してきました。学校で教わる(SDG'sの授業があるそうです)だけでなく、例外なく襲ってくる異常気象と、大人たちのこれまでの「暴挙」が、彼らの中ではばっちりとリンクしてるんですね。それも感覚的に。
食文化における「鍋のまま食卓に出すのには抵抗がある」のような感覚、「文化的な文脈における感性価値」がありますが、環境意識においても「SDG'sに反する製品には抵抗感がある」という感覚が醸成されているようです。
これは私にとっては大きな気付きでした。

余談ですが、大人が環境活動かのトゥーンベリさんを批判することについて、合理的ではあっても彼らの心情には寄り添えないんだな、とあらためて思ったりもしました。

SDG'sは感性価値で斬るべし
この理屈を超えてしまった「環境破壊に通ずるものは嫌だ」という感性価値で見直す行為は、合理的な環境性能とは全く別の荒田の視点を与えてくれるでしょう。

印刷は実体2024年06月21日 18:06

印刷の未来をお考えの皆さまこんにちは^^

先日の会話の中で確認した事がありました。もう当然の事なんでしょうけれど、念のため。

・印刷物は立体である。
・印刷物は実体を持つ。
・印刷物は従って「原典性」をもつ。

印刷の原点が「聖書」の大量生産であったことは有名ですが、複製物が原点性を持つのはちょっと面白いなと思いました。
そう言えば「原本と複製」はアートの世界でたびたび題材にもなっていまして、アーティスト自ら本物と複製を混ぜて展示したり、本物を入手してその複製(制作方法から完全にコピー)をどれが本物か分からないようにして格安販売したり。余談。

もうひとつ、これはあとから思った事なのですが、「印刷物は平面」ということです。これは「情報の入れ物として平面は優れている」ということを多層的に物語っている、と改めて思いました。

この「平面性」も印刷物の大事なところですよね。

コンピュテーショナルフォトの時代の印刷物2024年06月19日 18:53

印刷の未来を思い描いてらっしゃる皆さまこんにちは^^

先日、ある印刷会社の社長さまとやり取りする事がありまして、「印刷会社に不満があれば教えてください」となりました。

私、実家が印刷工場でしたから、不満というよりも「印刷物の課題」としてつらつらと考えていたことをコメントさせて頂きました。以下その抜粋です。

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【印刷屋さんの仕事】
昔は、手書きの原稿から版を起こして印刷物にするのが仕事でした。
今は、データにしたものを印刷物にしてくださいます。

【印刷物への期待値】
手書き原稿の時代の成果物は「原稿とは似て非なる、かつ原稿より素晴らしいもの」でありました。
データ時代の成果物は「イメージ通りが理想で、元データに忠実なもの」であります。
したがって、印刷屋さんにはコストと忠実さを求めます。しばしばコストの制約により忠実さを犠牲にします。

【「忠実」とは?】
データへの忠実度とは、コスト優先の工場では文字通り「データのまんま」のことです。そして出力マシンの性能の範囲内でそれが守られます。
品質向上への努力を惜しまない工場では、「デザイナーの意図」のこととして捉えてくださっています。その意図を汲んで出力マシンを調整する技量を発揮されます。

【「デザイナーの意図」とは?】
さて、デザイナーの意図とはどこまでクリアなのか、という問題提起をしたいと思います。デザイナーは脳内にビジョンを描き、それをビジュアライズします。そしてそれを実物(模型など)として出現させ、それを検証してフィードバックします。これをプロトタイピングと呼んだりしますが、それはグラフィックもプロダクトでもサービスでも、同じ工程を踏むのが基本です。
この過程において「デザイナーの意図」というものは、"本当は"それほど絶対的なものではありません。プロトタイプとして出てきたものがいいか悪いか、です。

【プリクラとコンピュテーショナルフォト】
ここで、世の中の「イメージしたものと実際にできたものの比較」の身近な体験として「スマホの写真」を見てみます。スマホの写真は、すでにAIで描画された「コンピュテーショナルフォト」になっています。その写真では、撮像素子のデータは元データとして参照されますが、出力されるデータはかなりの割合で作成されています。この技術はプリクラからありました。そしてそれは巧妙化とともに支持され続けてきました。スマホの写真は「現実を理想化する技術」の集大成ともいえます。
そして、プリクラやアプリでは「加工」は明示されますし、そのように認識しますが、スマホカメラの写真は「未加工」という扱いになっています。この点が、今の世の中の「イメージしたものと実際にできたものの比較」のデファクトスタンダードになっていると思われます。「現実を理想化したもの」を自然(きれいに撮れてる)と感じる、という認知です。

【印刷物】
印刷物を仮に「イメージたものを現実化したもの」と言い換えますと、「イメージしたもの」は曖昧であり、さらに「現実化したもの」は理想形に加工されたものになります。
これは、曖昧な原稿から素晴らしいものを作る、という昔のスタイルに似ています。(はるかに高度なレベルのことですが)
ここで、印刷屋さんにお願いする立場からすると、、
・プロトタイプで検証するサイクルを、低コストで高速に回せると嬉しい
・作った原稿をもっと素晴らしく仕上げてくれると嬉しい
のふたつが、まずは想起されました。どちらもすでに業務としてなさっている範囲かと思いますが、依頼から仕上がりまでのユーザー体験が、すっきりと整理された形で提供されるといいなと思います。

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このあと、具体的なサービスのイメージなども意見交換して刺激的な一時となりました。詳しいご案内が出来る日が来たらまたあらためて。

エモい自己像2024年06月14日 10:07

鏡を見るのが怖くなってきた皆さまこんにちは^^

自己イメージと鏡に映る姿のギャップというのは一生慣れないものなのでせうか(笑
若い時は目鼻のつき方とか髪の毛とか、パーツのどこかしらが気に入らなかった記憶があります。
歳を取ってからはだいぶ客観視、といいますか諦観が覆うようになり、まあこんなものか、と思うのですけれど、それを受け入れて(いいね!)という感じにはもう少し何かが足りません。
最近は、(あれ、こんなに加齢感あったっけ?)と思う日も増えました。

サプリとかエステとか運動機器とかの広告は、ここを狙い撃ちしてきます。そして実際、ちょっと手を入れると効果を感じられたりして、それはそれで嬉しかったりするのです。

なぜこんな事をあらためて思ったかと申しますと、若い世代に「コンピュテーショナルフォトグラフィ、つまりAI生成を含む写真を標準と感じる」ことに気がつきまして、それでは鏡を見た時にどう思うのか、と思ったからです。

鏡を見ている人に問う前に、まずは自身の感覚を確認して見ました。
そこであらためて気がついたのは「脳内の自己像が常に先にある」「自己像とのギャップが様々なアクションの動機付けとなる」ことです。
ざっくりと言いますと、無感情で鏡を見る事が難しい、ということですね。もちろん「慣れ」て無感情に近づく事は出来ると思いますけれど、何かを見つけてしまったら(鼻毛が出てるとか)やはり動かざるを得ないでしょう。

コンピュテーショナルフォトグラフィによるセルフィーは、この「理想の自己イメージ」に近づくための凄まじいテクノロジーとも言えますよね。「理想=
虚像」を観ると安心はするでしょうが、感情は動きにくくなっていくはずです。
若い世代が古いデジカメをエモく感じるのは、「修正がきかない写真」(今風に言えば「修正がきかない世界線」)に、鏡を見た時のようなざわつきを覚えるからかも、、なんて思いました。

なお、「鏡」が心や行動に与える影響については、様々な信仰や哲学の実践の中に見つける事が出来ます。私は全然網羅していませんが、面白いテーマだと思っています。

「平成みたい」と令和2024年06月12日 18:21

ジェネレーションギャップにお悩みの皆さまこんにちは^^

先日、「ちょっと古いデジカメがエモい」ということでノキアで写真を撮ったりしました。これをブログに書いた後にコメントを下さる方がいて、(ほぉ、これをこんなふうに思うのか)という発見がありました。こういう実験はいつも面白いです。

貰ったコメントの中でひとつ、私の三女(1999年生)のものを紹介します。

「でも正直、ぱぱとままから送られてくる○○(犬)の画質、いつもちょっと平成みたいだなと思っていた」

これはノキアの写真がいつもの私たちの写真と同じ感じがする、という文脈です。私たちは普段エクスペリアのSO-54C(2022年発売)を使っています。
えー、令和の機材使っても平成って言われちゃうんだ、、と思いました(苦笑

その後、よくよく聞いてみると、だいたい以下のような事だと分かりました。

・エクスペリアの弱点である暗所での写真(室内の料理、夜、黒い犬など)にそれを感じる。
・エクスペリアでなくても暗くて補正してない感じが平成っぽく感じる。
・最近のiPhoneやGoogle Pixelのような、AIで補正以上の生成を行っているコンピュテーショナルフォトグラフィの、明るくて綺麗な画像が普通と思っている。
・ちなみに、もっとあからさまに古いのが昭和。

これは「AI生成を含む写真を標準と感じる」ということですよね。これが「令和っぽさ」なのでしょう。
これは、、大袈裟に言うと、パラダイムシフトが起きているのかもしれません。今後に注目です。

過密コミュニケーションの時代で2024年06月10日 10:34

スマホ疲れの皆さまこんにちは^^

私は仕事をきっかけにスマホどっぷりな生活が長く、デジタルデトックスの必要性もそれほど感じていない方なのですが、それでも「スマホ疲れ」は年々と大きくなっています。ですので、立ち机にしたり(スマホネック対策)、SNSアプリを制限したり(時間泥棒対策)しています。

ガラケー、ガラホが人気、というニュースは少し前から耳に入るようになりました。直近ではこんなニュースが。


「Dumb Phone(ダムフォン)」は"頭の良くない(アホ)電話"程の意味です。スペック的にはガラケーで、それ以外は今にフィット(通信網やUIの操作感・スピード感など)したものです。

自動車もファッションもそうですけれど、成熟市場ではしばしば「レトロブーム」が起こります。いずれもレトロなのはテイストだけで、スペックは今風にアップデートされる、というのが定石でした。
しかしガラケー、ガラホ人気はそこが少し異なっていて、テイストもスペックも今風で用途のみ制限する、というところです。
これはレトロブームとはちょっと違うかもしれません。

スマートフォンが生活インフラと呼ばれるようになった現代は、「スマートフォンにライフスタイルが強制されている」と感じる方も増えているでしょう。そのことへの違和感や不信感も醸成されているはずです。
スマートフォンで出来る事を制限することによって、望ましいライフスタイルを確立したい、、それが形になったと捉えて良いかもしれません。

これは先々、コミュニティを形作る大きな因子となるでしょう。ということは政治的な振る舞いも含むでしょう。今後に注目して行きたいと思います。

GREEN CANAL:デメリットが育む未来2024年03月15日 10:08

デザインで飛躍を企むみなさまこんにちは^^

「GREEN CANAL」のデメリット、そしてそのデメリットが育む未来についてです。(三回目/全三回)

前回までに「GREEN CANAL」のアイデアと期待出来る変化のお話をしました。
今回は、デメリットを考えて見たいと思います。

GreenCanalProject_2020dmc-7
「GREEN CANAL」は、美しくて柔らかいということと雨水の循環に寄与するという性能を最優先したものです。その点から考えられるデメリットを上げて見ます。

GREEN CANAL のデメリット
1:車の性能を引き出せない
自動車に最適化されたアスファルトと比して、圧倒的にスピードが出せず、止まりにくい路面でしょう。

2:インフラに使用するパイプのスペースが限られる
比較的不安定で浅い層に狭められるインフラのパイプは、容量は限られジョイント構造の構築も難しそうです。

3:表面の植物の管理が複雑
天然(もしくは人工的に作出された植物)は、枯れやすい、繁茂しやすい、害虫の温床になるなど、脆弱で管理の難しいものになる。

GreenCanalProject_2020dmc-8
これらのデメリットは、強固に構築された現代のシステムの基盤に関わります。それらの基盤をまるごとワンアイデアで置き換えるのはやっぱり乱暴な話ですね。

しかしここは夢想を優先しまして、別々に進化してきた都市、道路、クルマの歴史をざっくりと振り返りますと、いずれも百数十年のことでもあります。
百数十年。同じ時間を未来に見ようとしますと、この「基盤の強固さ」はそれほどでもないかも、、という気がしなくも有りません。
「GREEN CANAL」のデメリットは、「未来に必要なイノベーションの出発点になる」と見立てる事も悪くはないと考えます。
その視点から見た未来、2020年の時点では以下のようなものでした。

道は街を癒し、人々は道路を愛するようになる。
1:より優しく
クルマは全方位に優しく、低負荷になる。
2:オフグリッド
建築はオフグリッドに移行し、インフラへの依存を減らす。(独立性を増す。)
3:代替手段
自動車以外のパーソナルモビリティが都市に登場する。
4:知の集約
都市の植物を育て、維持するための知識が集約され、さまざまな方法で利用されるようになる。

アフターコロナでSDG'sの共有が広がりつつある現在、都市の道路のあり方を真剣に見つめ直す動きが目立つようになってきました。たとえば、オーバーツーリズムの問題では都市に流入する車両を大幅に制限したり、小車両(自転車やキックボードなど)優先の道路を再構築したり、ドローンを実用化したり、、と。
「生活圏の延長としての都市」という見方、、まだまだ色々と考えられそうです。

※おことわり※
これまでのさまざまなアイデアや構想の実現性とその効果については、実験もコンピューターシミュレーションもしていません。全て思考の産物に留まっています。念のため。
dmc.
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