モノの環境化:環境への期待値に寄与する2024年03月04日 11:25

デザインで飛躍を企むみなさまこんにちは^^

モノを群相として捉える話を続けています。
語彙を上手く使い分けられているのかちょっと心もとないので一度整理して見ます。

「環境をモノとして扱う」ことと「モノが環境化する」こと
「環境をモノとして扱う」ことと「モノが環境化する」ことは、言葉が似ていますが全く違うことをさしています。以下の意味で使っています。

【環境をモノとして扱う】
環境を意図をもって改変すること。人のモノへの態度をさす。
【モノが環境化する】
モノが配置される場所によって目的性を強化したり失ったり変質したりすること。モノの変質をさす。

環境を意図で満たすことは難しい
まず、前者の「環境をモノとして扱う」の究極は、身の回りのものすべてが意図に沿ってモノで満たす事でしょう。しかし、すべての空間を自分の意図や目的に応じて整理し、生活空間を完璧に構成するのは難しいことのように感じます。知識も経験も必要ですし、気持ちは移ろうものなのでそれを内包させるのはプロの仕事でしょう。
普通の人々は、欲しいと思うものや憧れるもの、いつか試してみたいものを手に入れ、使い、並べ、少しずつ改変していくことで、生活空間が出来て行きます。これが自然な成り行きですし、その過程は楽しいものです。
私自身は、整然とすべてに意図が行き届いた空間には大いに畏敬と美を感じる一方で、雑然としながらもその人の手の届く範囲に全てがあるような空間に強く惹かれます。

モノが環境化する
話は飛びますが、引っ越し先のがらんとした部屋に荷物が沢山入ってきたとたん暖かくなった、ということを経験しました。物理的に空気の流れがかわり、熱容量も変化するからだそうです。(余談。避難所で寒い時には荷物で空気のたまり場をつくる事が有効ですって。)
家具の配置で動線も変わりますから、部屋の環境としての質は、モノの配置や量に影響を受ける、と言えるでしょう。
しまわれたり飾られたりしているモノのいわば「出番がない時」には、大きさや素材や収納性(積んだり倒したりしても壊れずしまいやすい事)が、本来の目的とは別の所で効いてくるんですね。

環境への期待値に寄与する
また、娘たちが小さい時はお菓子の道具が沢山ありました。「○○がつくりたい!」と言った時にその道具や材料がすぐ揃う事が、娘たちにとっては驚きであり私たちにとっては喜びでした。のちに娘の一人が「このキッチンでは何でも作れそうな気がしていた」と言いっていました。これは娘の経験が「環境への期待値」を高めたのでしょう。これをモノの側から見ますと、「しまわれたモノたちが環境への期待値に応えた」とも言えそうです。この「環境への期待値に寄与する」は、モノの捉え方の一つとして大事かもしれません。

一つの物をデザインする際には、全ての空間の意図を考慮することは不可能ですが、その物を手に取る人が何に魅力を感じ、どのように生活の中に取り入れ、また不要になった時にどのように扱われるかを想像することは楽しく、また必要な作業だと思います。この思考過程で、モノを群として、環境として捉えるという視点は大切だと改めて感じています。
ちなみに、生活環境を整えるチャンス、具体的には家を買ったりリフォームするタイミングでは、プロの知見を活用して、目的のある空間と無目的な空間を上手くミックスし、自分たちに馴染んでいく過程を楽しんでいただければと思います。

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