デジタル庁のプロンプト集が評判2024年07月12日 10:13

AIを活用されてらっしゃるみなさまこんにちは^^

5月に発表されたデジタル庁のプロンプト集の評判が良くあちこちで紹介されています。検索すると記事やブログの方が先に出てしまうので、こちらにメモしておきます。

「投稿プロンプト一覧」(これが評判になっているサンプルで、クリックするとCSVデータがダウンロードされます。)


デジタル庁が上記を紹介したブログ

20240510_resources_ai_prompts

話とびますが、最近は動画にも文字が増えてるように感じまして、(結局文字に回帰するのかな)と思うようになりました。文字情報を自身で咀嚼して受け取る方が好みの方にとっては、動画がまどろっこしいという感覚があるようです。(1.75倍速で視聴、というのはタイパとは別に、このような嗜好もありそうです。)
AIが参照する文字情報が自己回帰してあふれ出すのは嫌ですが、文字情報とのつきあいは今後も大切で、そのためのAI使用技術は必須になるのでしょうね。

野毛の「ぷーさん」2024年07月10日 10:48

ユニバーサルデザインについてお考えの皆さまこんにちは

先週、排除の意図のあるベンチのニュースから、その意図を感じない今の普通と、その背景にありそうな自認についてお話しました。そのことで思い出したことがありました。

昭和50年代のことです。私の住む横浜市で、中学生が浮浪者を面白半分に殺した事件が起きました。やや世代がズレますが、私の身近に起きたとてもセンセーショナルな事件だったと記憶しています。
ある時期、「排除アート」と呼ばれる、浮浪者を寄せ付けないための工夫やオブジェが目につきはじめたときも、その事件を思い出したのでした。

その事件より以前は、浮浪者を「ぷーさん」などと呼称して、物理的にも心理的にも今よりずっと身近な存在だったと記憶しています。
仲良くしたとか心の中で応援したとかではないのですが、広場や通路で見かける彼らとの距離感は大事な感覚でした。失礼ですけど、野良犬や裏社会の人たちとの感覚もそこには含まれていました。

この身近さは、「自分たちの人生の延長線上に彼らがいる」ということを大人は知っていて、それを子供なりに感じていたからだと、今なら思います。
街=大人が浮浪者を積極的に排除し始めたことによって、子供たちにとっても「浮浪者は自分の人生に関係のないものに変質した」ということかもしれません。

ところで、「想像の及ぶ範囲を広げていくこと」がユニバーサルデザインの重要な点です。その点で、「自分の人生に関係のないもの」を「自分の人生の延長線上」と捉え直すことが出来るデザインこそ、ユニバーサルデザインと私は呼びたいと思います。
(件のベンチはですからユニバーサルではない、となりますね。)

ベンチを置く2024年07月08日 16:15

排除アートが気になる皆さまこんにちは

前回、福岡で設置された浮浪者を排除するベンチが設置されているが、その排除の意図を感じず、逆にユニバーサルの文脈で歓迎する向きもあり意見が割れている、というニュースをご紹介しました。
デザイン的な視点で、形が人に行為を促すように機能する(アフォーダンスがある)あり方として、「悪意*」をまるっと感じない人が相当数いらっしゃる事に驚いたのでした。(*悪意=排除の意図)

一般に、人は悪意の方に敏感です。なので、何故それを見落とす事が出来るのか、ここを深堀することは意義がありそうです。

仮説1:悪意は感じるが、自分に向けられた悪意ではないので過小評価している説。

仮説2:悪意は感じるが、そこに共感しているので内心は支援している説。

仮説3:悪意は感じるが、表面上の善意(手すりに擬態)が悪意を押しとどめている説。

しかしそもそも、排除の意図を感じないのが普通なのかもしれません。
上のような邪推は、当たっている方がいたとしてもそれほど多くはないでしょう。

むしろ、「ベンチは座るもので寝たりしない」という了解が共有されて、それはとても強固なのではないか、と思います。

これ、無意識に「自分は浮浪者ではないし今後も浮浪者にはならない」「自分は病人ではないし今後病人にはならない」「自分は赤ん坊や老人ではないし今後それらの世話もしない」という自認があるから、、と見えてしまいます。これはちょっと気が重い話ですね。。

福岡では意見が割れている、ということなので今後の推移に注目したいと思います。

ところで話が飛びますが、20年ほど前のことです。自宅の前にベンチを設置したことがあります。最初は母が近所の知人と座って過ごすためでしたけれど、母がいなくなったあともドラマが沢山ありました。
徘徊老人も行倒れも不審者もそのベンチに座り、横になり、一時を過ごし、家族を待ち、救急車を呼び、去っていきました。

仕切りのあるベンチ、私にはブロイラーのケージのように見えてしまうベンチ。そこにはどんなドラマがあるのでしょう。

NHKニュース「排除?「仕切りのあるベンチ」を考える」202406272024年07月05日 10:56

ダメマシンクリニックのファンの皆さまこんにちは!

先日NHKのニュースで、仕切りのあるベンチについてのレポートがありました。以下要約です。

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WEBニュース「排除?「仕切りのあるベンチ」を考える」
2024年6月27日 18時40分 NHK 福岡
NHK「排除?「仕切りのあるベンチ」を考える」

福岡市の公共ベンチには、ホームレスの排除を目的とする仕切りが設置されています。この仕切りは、特許庁の記録によると、30年前に登録された実用新案であり、ベッド代わりに使用できないように設計されています。
市民の意見はさまざまです。一部の市民は、仕切りがホームレスの利用を防ぐ意図があるとして批判的ですが、他の市民は高齢者が立ち上がりやすくなると支持しています。また、福岡市はこれが高齢者や障がい者のためであり、ホームレス排除のためではないと説明しています。この問題は引き続き議論が必要とされています。
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今回、興味深く感じたのは、多くの方がこのベンチの意図を知らない、気付かないということです。もともと排除の意図をもって「横にはなれない姿」となったのにも関わらず、この「悪意」をすっぽり見落とす事が出来る。これは公共空間のデザインについて、前提を見直さなければならないかもしれない、、。そんな事を感じたニュースでした。

MICHI-KUSA at 長野県立美術館2024年07月03日 10:02

MICHI-KUSAを見つけるとわが事のように喜び、報告して下さるかたがいます。あり難いです!

以前から「置いてましたよ」と聞いていました長野県立美術館に行く事が出来ました。丁寧なディスプレイでとても嬉しく思いました。ありがとうございます!

長野県立美術館 ミチクサ MICHI-KUSA

美術館は、地元のスター東山魁夷の常設館を核に、地縁のある作家を主軸として展示が、美術館全体の土地との親和性とシンクロして、とても心地良かったです。
庭の「霧の展示」と噴水は山々とあいまってそれも素晴らしかったです。
お近くにいらした際はぜひ。

25期を迎えました!2024年07月01日 10:10

本日から弊社は25期に入ります。

この期替わりのタイミングは、何かと忙しく感慨に浸る間がないものですが、ここ数年は半自動的にダイジェストの映像が脳内に再生されることが増えました。ちょっと便利(笑

毀誉褒貶のある世界ではありますが、振り返ってみまして、力及ばず残念なことはあったにせよ憎々しい思いは一度もなく、あのときは助けられた、あの時はこんな幸運があった、あの時は素晴らしい仕事ができた、と良いことばかりが浮かんできます。これは本当に恵まれたことだと、日々感謝をつのらせております。

これからもどんどんデザインして行くつもりで、新たな一年をスタートいたしました。あらためまして、今後ともご愛顧のほどよろしくお願い申し上げます。

身体感覚優位なUI 筋肉の記憶2024年06月28日 10:01

UIデザインで飛躍を企む皆さまこんにちは^^

前回は「視覚優位なUI」の話題を掘り下げましたので、今回は「身体感覚優位なUI」について考えて行きましょう。

身体感覚優位なUIとは、自転車のハンドルやブレーキ、自動車のアクセル、銃器の引き金など、身体の動きを入力して装置が機能するものです。装置が機能したかどうかの確認も視覚以外の手応えや体感(反動や振動、熱など)から得ます。
これは、包丁やドライバーなど、シンプルな道具と同じ関係性を持っています。

視覚優位なUIが「人と人(動物その他も含む)とのコミュニケーション」の延長線であることに対して、身体感覚優位なUIは「道具」の延長線であると言えます。

ここで、「身体感覚優位」とは何でしょうか。
例えば、自転車は1度乗れるようになるとほとんどの人が一生忘れません。これを「身体が覚える」と言ったりしますが、意識せずに複雑な運動ができる状態になる事を指しています。スポーツの世界では「筋肉記憶」という言葉もあるそうです。
実際に筋肉が記憶するはずはないとしても、体感的に「身体、筋肉が覚えている」という感覚は分かります。
この感覚は「身体感覚優位な状態」がないと生じません。つまり、「身体感覚優位」とは、「意識せず自動的におきる反応を獲得している」ことです。ちょっと言葉が難しいですね。
ざっくり言い直しますと、身体で覚えるのが「身体感覚優位なUI」です。

さて、既にお気付きかもしれませんが、「身体感覚優位なUI」は習得する期間が必要です。初見から複雑な誘導が可能な「視覚優位なUI」とはここでも対比しています。

あらためて身体感覚優位なUIは、、
・即応性が高い
・意味と操作は1対1(一つの行為にひとつの意味)
・習熟度が上がると身体感覚が伴う
が特徴です。

その装置が「身体の延長」として振る舞うものでしたら、「身体感覚優位なUI」が絶対的に必要です。そして、それはきちんとデザインされないと、身体に危険なフィードバックが生じてしまいます。
これまでリアルの装置ではここをあらためて意識する必要はなかったのですが、VRの世界ではきちんと意識しないといけないでしょう。正しく理解して素敵なUIを実装なさって下さい。

UIの被写界深度2024年06月26日 18:29

UIデザインで飛躍を企む皆さまこんにちは^^

UIは2.5次元というお話の中で、「視覚優位なUI」は平面的で複雑な計画が可能でコミュニケーションに強い、という店が話題になりました。
この話題にもう少し分け入って見ましょう。

まず、人は複雑なコミュニケーションの手法として、表情と言語をやりとりしています。表情は非言語的なコミュニケーション手段であり、感情や意図を即座に伝える力があります。言語は具体的な情報を詳細に伝えるための手段です。この二つが組み合わせて、人と人は深い理解や共感を感じる事が出来ます。

視覚優位なUIは、ユーザーの感情や意図を即座に反映させることができるといえます。例えば、アニメーションや色の変化を使うことで、ユーザーが何かに対してどう感じているのか、何を期待しているのかを視覚的に伝えることができます。また、言語情報を補完することで、ユーザーはより具体的な情報を得ることができます。

ちょっと話がずれますが、視覚優位なUIが「平面的」になっている(ならざるを得ない)のは目の仕組みによります。人間の目にはレンズがあり、レンズには「被写界深度」という制限があるからですね。ピントのあっている奥行きに幅があり、その領域を外れるとピンボケしてしまってよく見えません。
GUIに「注目すべきパネルの後ろがぼかしてある」というのをよくみかけますが、これは目の特性をそのまま「注目させる」効果として使っているものです。

VRゴーグル内では全てにピントが合った状態が作り出せます。ですので、平面的ではないUIも可能となります。ゲームなどの体験価値の創出にはアリだとおもいますが、ものとして使いやすいUIになるには、アイデアと慣れと時間がかかると予想します。

話戻りまして。
視覚的なUIデザインは、ユーザーエクスペリエンス(UX)を向上させる重要な要素です。直感的に操作できるインターフェースは、習熟が容易で使いやすいものです。うまく視覚的なフィードバックができれば、使用者はシステムの状態を即座に理解し、次に何をしたらよいかを直感的に判断できるようになります。

そして、ここがだいじなのですが、視覚的に魅力的なデザインを作り出すことができれば、使用者はインターフェースとより長く、より深く関わるようになります。つまり、エンゲージメントを高め、好きになってもらえる、という事ですね。

「視覚優位」という点を意識してUIデザインを取り入れることは、単なる機能性だけでなく、感情的なつながりも強化し、より豊かなユーザーエクスペリエンスを提供することを目指すことです。UIデザインの真価を発揮させて参りましょう。

UIは2.5次元2024年06月24日 10:48

UIのあり方についてお悩みの皆さまこんにちは^^

印刷物の話題からその実体性、また本来の平面性についてお話していましたが、UIもかなり「平面性」を意識しているな、、と思いました。

「UI」はユーザーインターフェイスの頭文字で、似たような言葉に「MMI」(マンマシンインターフェイス)、「HMI」(ヒューマンマシンインターフェイス)といった言葉があります。いずれも機械を操作する人と機械の接点についてのあり方を思考設計するための概念のことです。

身近なUIですと、スマホのスクリーンやATMの操作パネル、家電のスイッチ類などがありますね。車のコンソールもUIです。

多くのUIは平面的に並んでいます。一方で、車のハンドル周囲にあるスイッチ類(ウインカーやパドルシフトなど)や、掃除機のトリガー型のスイッチなどが分かりやすいのですが、手、足、指などに合わせて配置されたものもあります。(何故そのスイッチがそこにあるのか、ひとつひとつたずねて見るのも面白い事ですが今回は割愛しますね)

ざっくり分類しますと、視覚的に平面的に並んだUIと、身体に沿って並んだUIがあります。
仮に前者を「視覚優位なUI」、後者を「身体感覚優位なUI」としますと、以下のような特徴があります。

視覚優位なUI
・一覧性が高い
・配置により意味がかわる=設計の柔軟性が高い
・入力と出力(表示と操作)の混在が可能
・密度が高められやすい
・誘導などの複雑なコミュニケーションが可能

身体感覚優位なUI
・即応性が高い
・意味と操作は1対1(一つの行為にひとつの意味)
・習熟度が上がると身体感覚が伴う

これは、それぞれが人の別々の特性を利用しているからだと考えられます。
つまり、視覚優位なUIは「人と人(動物その他も含む)とのコミュニケーション」の延長線であり、身体感覚優位なUIは「道具」の延長線である、ということです。
そして身体感覚優位のUIは「身体の表面の近い所」であることも重要です。それを意識して「UIは2.5次元」と心得るのが良いでしょう。

これは、複雑な操作系を考える場合にはとても重要な視点です。今後増えて行くと思われるバーチャル空間のUIでも同じように、そのUIは視覚優位にすべきか身体優位にすべきか、整理してデザインする必要がありますね。

印刷は実体2024年06月21日 18:06

印刷の未来をお考えの皆さまこんにちは^^

先日の会話の中で確認した事がありました。もう当然の事なんでしょうけれど、念のため。

・印刷物は立体である。
・印刷物は実体を持つ。
・印刷物は従って「原典性」をもつ。

印刷の原点が「聖書」の大量生産であったことは有名ですが、複製物が原点性を持つのはちょっと面白いなと思いました。
そう言えば「原本と複製」はアートの世界でたびたび題材にもなっていまして、アーティスト自ら本物と複製を混ぜて展示したり、本物を入手してその複製(制作方法から完全にコピー)をどれが本物か分からないようにして格安販売したり。余談。

もうひとつ、これはあとから思った事なのですが、「印刷物は平面」ということです。これは「情報の入れ物として平面は優れている」ということを多層的に物語っている、と改めて思いました。

この「平面性」も印刷物の大事なところですよね。
dmc.
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