表現の「発見」2024年12月18日 18:19

みなさまこんにちは^^

洞窟壁画から、美しいと思う「心の作用」に、「表現」という行為が重なって行くのがアートだというお話をしました。
「心の作用」は所与(もともともっている)だとして、「表現」はどうでしょうか?

新生児の行動観察から、人はその発達の途中で、表現を「発見」するように出来ている事が分かっています。例えば地面にしゃがみ込んで、初めはやみくもに動かした手の残した軌跡が顔に見える*と、次第にその顔を描こうとするようになります。「手の軌跡が何かに見える」、もう少し抽象的に言いますと、「自分が作りだした形に意味を見つける」、これが表現の発見です。

そして重要なことは、この行為(表現)ははじめは楽しさや喜びを伴い、行為が進むともどかしさや不満(上手くいかないとうこと)が生じるということです。沢山の複雑な感情と繋がっているということですね。

余談ですが、ピアノにしてもサッカーにしても、最初に師事する先生が「楽しさを教えるタイプ」の方が、生徒の継続性や成長性が高いそうです。

そして、美しいと思う「心の作用」は受手の中にありますので、たとえ自分が行った表現であっても、その意図が伝わるとは限りません。このもどかしさ。アートの道の険しさですね。

(つづく

アートの起源と表現欲求2024年12月16日 10:30

みなさまこんにちは^^

先週、「美・感動を感じれば、意図は関係なくそれはアートだ」というお話をしました。これは対象物を美しいと思えばアートと呼べる、というお話です。この仕組みに焦点を当てますと、「何かを美しいと思う心の作用がある」と言えます。
考古学によれば、6万5千年前には洞窟壁画*が作られていました。壁画を作らせた衝動の内面や文化的力学は分かりませんが、少なくとも「何かを表現したい」という欲動が存在したことは確かです。この表現欲求はホモ・サピエンスの遺伝子が固まる1万年前には確実に、私たちに備わっていました。

アルゼンチン クエバ・デ・ラス・マノス壁画・9,000年以上前
こちらはアルゼンチンの9,000年以上前とされる「クエバ・デ・ラス・マノス壁画」です。この壁画は、顔料を吹きつけるパイプのような道具と共に発見されました。
顔料を吹きつけて手の形を写す人々。活き活きとした日常の光景、それとも厳かな儀式的な行為、もしくは特別な祝祭の芸能、、さまざまな可能性が感じられます。

美しいものを求めていたかどうかは分かりませんけれど、これらの表現に「美・感動」を感じていた当事者は多かったはずです。表現したものの中に「美しいと思う心」が刺激され、表現の技巧の探求が進んでいく、、その瑞々しい現場を目撃しているような気持ちになりました。

美しいと思う「心の作用」に、「表現」という行為が重なって行く。それこそがアートですね。

(つづく

*)スペイン ティト・ブスティーリョ洞窟・推定65,000年前・ネアンデルタール人

「質より量」と「非線形」いう話2024年12月13日 10:15

みなさまこんにちは^^

タイパの時代ですが、MLBの大谷選手が睡眠について「質より量」と言っていて流石だなと思っていました。(もうちょっと古い話ですけれど)

先日は同じMLBで活躍している菊地投手が子供たちとの会話で、「少しずつうまくなるんじゃなくて一気にうまくなるんですよ。一気にうまくなるコツをつかむために練習するんですね。コツコツ練習することは絶対大事だけど、きっかけをつかむためコツコツ練習するんです」」答えていました。
コツコツ練習することの大切さと目的意識をつなげた、解像度の高い回答でこでも流石だな、と思いました。

私は「量が質に転化する」ということを知識としてだけではなく体感的にも知っています。量を詰まないと質が上がって行かないんですね。そして上がる時は短期間で上がるんです。この時期につかみ取るものを「コツ」といいます。
「コツ」
これは伝授可能な知識的な側面もありますが、本質は量です。量がない人にコツを与えても活かせません。余談。

ある時期短期間で上がる、というのは努力と成果が比例しない「非線形」であるということ。S字カーブだったり、階段状だったり、一旦落ち込む谷間が合ったりしますけれど、最終的には上がります。(昔1万時間が流行りましたけれどそこでもこのような話がありました)

「非線形」の報われ無さに耐える資質が重要です。
今の表層的な時代感とは一見かい離して見えますけれど、もしろそのことが共有されたので「無駄な時間を惜しむ」が強くなってきたと言えるでしょう。

「捨てない」クリエイテイブ2024年12月11日 18:33

みなさまこんにちは^^

以前、いわゆる「ゴミ屋敷」の片づけを手伝ったことがありまして、その時に(あれ、私も捨てたくない方だけどほっとくとゴミ屋敷になるのかな)とちょっと怖くなったんです。
ありものを工夫して必要なものを作る人(ブリコルール)はデザイナーの資質がある、というお話を以前しましたけれど、そういう人は概ね(何かに使えるんじゃ・・?)とものを捨てない傾向も合わせもっています。私もです。

うーん、困ったな。。

で、ちょっと調べたんです。「捨てられない」は嗜癖(アディクション)であり、「捨てる、捨てないことをコントロールできなくなった状態」だと。
これならすこし分かります。捨てないにしても「ちゃんと取っておく事が出来るか」ではかることが出来ます。
私事ですが、昨年末から今年の初めにかけて資材を大量に処分する機会がありましたが、その際に「捨てられない」という嗜癖はないということもわかりました。良かったです^^

同時に、取って置く状態への関心が低かったことも反省しました。使うためにとって置くんですから、そこもクリエイトしたら楽しいんじゃない?と。何に使えるか、使う場合どのぐらいの頻度か、代替は既にあるのではないか、どこにどのように置いておけれか、、。この観点で取捨選択するようになると、使い勝手の良いものだけが残って行く、、それを感じ始めています。
「捨てない」クリエイティブ。楽しいです。

「デザインがいらないと思うものほどデザインが必要」な本当のわけ2024年12月06日 18:27

みなさまこんにちは^^

先日、「心が動くものか、どうしても必要なものは売れるけど、ただ良いというだけのものは売れない」という話題がありまして、そこでは「良いものだから売れるという判断は怖いよね」、というところに着地しました。

良いものだから売れるとは限らない

この話題、デザインの現場ではずっと議論されていますけれど、そもそもの「良いもの」の定義で結構変わりますので、ここでは「品質が高く機能性能に優れ、価格も合理的な製品」としておきましょう。
これをマーケティング的にみれば「市場のニーズ、ウォンツに合致しているか」とか「ターゲットユーザーにリーチしているか」とかが大事になってきます。その点で充分なら売れる、となりますが、実際は苦戦していることも多いです。

たとえば、専門機器などのニッチな分野では、市場のニーズをがっちりと掴むことが出来、ユーザーにもしっかりリーチすることが出来ます。それでも成績にブレが出る。何故でしょう。

これ、ある職人さんの声として伝え聞いた「これダサくて使いにくいんだよ。だから売れねーえんだよ。」が正鵠を射ていると思ったことがあります。

人の意思決定システムには二系等ある

人の脳には直感的に判断を下すXシステムと、良く考えて判断を下すCシステムがあることが知られています。このXシステムは感情的かつCシステムより速い判断で、人の意思決定の主役です。Cシステムは冷静になって理性的な思考から意思決定して行く補佐役です。一度XシステムでNoが出されてしまうと、Cシステムで覆すには相当な情報が必要になります。

お悩み中

「良いものなのに売れないもの」には、Cシステムでは合格を得られても、Xシステムで拒否される要素を持っている可能性があります。
まさにここがデザインのしどころに他なりません。

一般的にデザインはあまり必要がないと思われているものほど「デザインが効く」のです。「モノはいいのに売れないな・・」と思ったら思い出してくださいね。

デザインの根源「何かに使える?」2024年11月29日 10:29

みなさまこんにちは^^

デザインの問題解決は「相違を埋めること」であり人間が本来的に持っている性質、というお話をしました。

「人間本来」と大きく出ましたので、石器時代に遡ります。

石器は打製石器(石を割って作る)から磨製石器(磨いて作る)とあります。出土の時代性から、最初は割れた石をそのまま用い、つぎに柄を付けて用い、やがて割ったり磨いたして目当ての形を得るようになる、、。
これ、デザインそのものでしょう?

それで、大切なのは割れた石は切れるという「発見」と、それを記憶しておいて「概念化」し、他の場面で用いる「流用」という、それぞれ別の作用が働いているということです。
他にも、「火の近くで干からびた肉は腐らない」を発見し、「腐らない肉」という概念を知り、火の近くで干す以外の様々な保存方法を展開して行く、などなど。
発見を概念化して組み合わせて流用する、これは学問的に「設計の原型」だそうです。設計って日本語でデザインですよね。

この(これって使えるかも?)と思って、経験やものを取っておく行為は、現代の子供たちを観察してもみられます。この性質を強く持ち続けた人が「ブリコルール」になるのでしょう。私自身がこのタイプでした。

この性質は「遊び」の延長です。
人は遊びの中に有用物に至る思考と行動の回路を持っているのです。
(遊びから学ぶのは動物にも見られますね。)

遊びの延長で生まれたものが集団を変え、それを利用して社会的に利用する人が現れる。
これがデザインと進歩の関係性と言えるでしょう。

デザインは遊び。
デザインは楽しい。
お忘れなく^^

やる気は「押しがけ」一択2024年11月15日 18:13

みなさまこんにちは^^

今日の雑談の中でモチベーションの話が出たんですね。やらなくてはならないのにやる気が出ない時どうするか、という。
私は「心のスイッチを切って、(立ち机なので)机の前に立ち、とりあえず手を付ける」ことで作業に入ります。みなさんも概ね作業を始めるルーティンをお持ちでした。

ちょっと前に「やる気スイッチ」というワードが流行りましたけれど、これをすればやる気が出る、というものは発見されてないそうです。一つはっきりしているのは「作業興奮」という仕組み。作業をすることで身体的な刺激がうまれ、その刺激が脳の興奮を促すという。私のルーティンはまさにこの「作業興奮」を利用したものでした。

ところでみなさんはバイクの「押しがけ」ってご存知ですか?
バイクのエンジンをかけるにはセルモーターを回す、またはキック(足で蹴ってエンジンを回転させる装置)するんでずけれど、それで上手くかからない時は、ギアを入れてクラッチを握ったまま(エンジンとタイヤは繋がっていない状態で)バイクを押して動かし、勢いがついたところでクラッチを放す(エンジンとタイヤが繋がる)と、車体の勢いで強制的にエンジンを回し、結果的に燃焼が継続する(=エンジンがかかる)という。
これって作業興奮と同じですよね。

やる気を出すには「押しがけ」。おすすめです。

「時間」という価値2024年10月25日 17:50

みなさまこんにちは^^


この記事は飲食店での「ファストパス」導入の広がりを取り上げたものです。特に「タイムパフォーマンス」を重視する顧客に支持されていて、インバウンドの方々の「時間を有効に使いたい」というニーズにも応えている。これは「食事の体験価値の変化」である。店舗の収益向上や顧客満足度の向上にも繋がるので、行列文化に変革をもたらすのだ、と。

「行列の体験価値の変化」という視点はユニークですね。体験価値の変化の背景には「時間の価値」といいますか、「時間の価格」がインフレを起こしているから、というのも見て取れます。色々なアウトソーシングが「時間を買う」という言葉で説明されますし、そこビジネスチャンスを汲み取る方も多いことでしょう。

一方で、時間を買うことで手放す「体験」の価値がなくなった訳ではありません。アナログレコードをかけるような、手軽に出来ることを「わざわざ行う」ことに喜びを感じる人も多いです。

あらためて、体験価値と時間価値はセットになっていると言えます。
デザインを体験価値から導くことは多いですが、今一度、体験価値とセットになった時間価値を意識するのはとても有益なことでしょう。

「好き」と「強み」2024年10月23日 10:40

みなさまこんにちは^^

プレイヤーとしての「好き」は、自分に向いているものを探すのに役立ちますよ、というお話をしました。
・・ですが。
凄い人がもっとダイレクトに「強みの見つけ方」というお話をされています。私がぼんやりと言いたかったことを何億倍の説得力でずばっとおっしゃっています。こちらを読んで頂くのがいいですね^^;

>「あなたの強みは必ず好きなことの中にあります。ここまでの成功は、あなたの強みによってもたらされてきたのです。さらにそれはこれからの人生でも続く。会社が給料を払っているのは、あなたが人知れず弱点克服のために費やしている努力ではありません。会社がお金を払っているのは、あなたの生み出す業績であり、その業績はあなたの強みから生まれるのです。キャリアで成功したいなら“強み”をもっと磨け! すべては強みを認識することから始まるのです」(森岡氏)。

強みを見つけるための「好き探し」。
仕事で悩んだら(悩む前にでも)やるべし、ですね。

「好き」のかたち2024年10月21日 16:58

みなさまこんにちは^^

「好き」を生活の中に取り入れることについてお話しています。
長くデザイナーをしていますので、時には「デザイナーになりたい」という方のお話を伺うことがあります。「どんなデザインがお好きですか?」と問うた時のお話を通して、「デザインが好き」のかたちが以下の3つに別れることに気付きました。

1:デザインされたものが好き・観賞したり使ったりするのが好き
2:デザインをするのが好き・工夫して新しい何かを作ったり飾ったりするのが好き
3:デザイナーに憧れる・デザイン出来るということに憧憬を持つ

3つの「好き」のかたちには結構差があります。周囲のデザイナーを思い浮かべて見ると、1、2、3のどれが最初にあった(と思われる方)かは、キャラクターに反映されているように感じます。
ちなみに私自身は2でして、とにかく創意工夫が昔から今でもずっと大好きです。その次に3、最後に1が芽生えました。

順番はどうあれ、デザイナーになるのでしたら「デザインをするのが好き」でないとちょっと(いやかなり)大変です。
でも、デザイナーにならなくても「デザインが好き」なら生活に好きなデザインを満たすことは出来ます。デザイナーに憧れるなら推しを見つけて作品を追いかける楽しみもあるでしょう。
「仕事としてデザインを行うこと」は、「デザインが好き」のあり方の一つでしかないのです。

この見立てはデザイン以外でも成り立ちます。
例えばスポーツ。
・オーディエンス
・プレイヤー
・ファン
観るのが好き、やるのが好き、スター選手に憧れる。
ここでもみっつに分けられそうです。
私は野球やサッカーなどの球技は全くやりませんが、観戦は大好きです。一方でウォーキングやハイキングをよくしますが、どなたかがやっているところを観るという発想はありませんでした。球技は観るのが好き、ウォーキングはやるのが好き、ということですね。

自分の「好き」がどのパターンに当てはまるかを知っておくのはとても大切です。
あなたの「好き」がプレイヤーとしての「好き」なら、それが仕事に向いているかどうかはっきりと知ることが出来ますよね。
dmc.
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