最適を積み重ねる ― 2011年08月09日 23:59
以前から日本の機器のUIの特殊性についてデザインする現場から垣間見えることは、親切心からの最適解を積み重ねて行くことにあると感じます。これは多分に「日本語的」な思考というものが背景にある様に思っています。
良く聞かれる対比として、英語は発音重視言語で日本語は文脈重視言語である、であるが故に日本語的発想は文脈次第でいくらでも解が存在してしまう、というものがあります。
例えば、同音異義語。同じ音で意味の異なる言葉が沢山あります。「わたしはきみがすきです」の「きみ」は「君」「黄身」「公」?・・前後の文章で意味が全く異なりますね。
これは、ひとつひとつの言葉の関連性を絶えず無意識の前提に置くことで初めて理解出来るようになります。これはまた、後から何かが追加される事で意味が変わる可能性をいつも持っていることでもあります。
この「ひとつひとつの要素の関連性を絶えず無意識の前提において、いつでもその意味が変わる可能性を受け入れる」というインプット情報への「態度」が、私たちの特殊性の根本である気がしてなりません。
良く聞かれる対比として、英語は発音重視言語で日本語は文脈重視言語である、であるが故に日本語的発想は文脈次第でいくらでも解が存在してしまう、というものがあります。
例えば、同音異義語。同じ音で意味の異なる言葉が沢山あります。「わたしはきみがすきです」の「きみ」は「君」「黄身」「公」?・・前後の文章で意味が全く異なりますね。
これは、ひとつひとつの言葉の関連性を絶えず無意識の前提に置くことで初めて理解出来るようになります。これはまた、後から何かが追加される事で意味が変わる可能性をいつも持っていることでもあります。
この「ひとつひとつの要素の関連性を絶えず無意識の前提において、いつでもその意味が変わる可能性を受け入れる」というインプット情報への「態度」が、私たちの特殊性の根本である気がしてなりません。
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