エモい自己像 ― 2024年06月14日 10:07
鏡を見るのが怖くなってきた皆さまこんにちは^^
自己イメージと鏡に映る姿のギャップというのは一生慣れないものなのでせうか(笑
若い時は目鼻のつき方とか髪の毛とか、パーツのどこかしらが気に入らなかった記憶があります。
歳を取ってからはだいぶ客観視、といいますか諦観が覆うようになり、まあこんなものか、と思うのですけれど、それを受け入れて(いいね!)という感じにはもう少し何かが足りません。
最近は、(あれ、こんなに加齢感あったっけ?)と思う日も増えました。
サプリとかエステとか運動機器とかの広告は、ここを狙い撃ちしてきます。そして実際、ちょっと手を入れると効果を感じられたりして、それはそれで嬉しかったりするのです。
なぜこんな事をあらためて思ったかと申しますと、若い世代に「コンピュテーショナルフォトグラフィ、つまりAI生成を含む写真を標準と感じる」ことに気がつきまして、それでは鏡を見た時にどう思うのか、と思ったからです。
鏡を見ている人に問う前に、まずは自身の感覚を確認して見ました。
そこであらためて気がついたのは「脳内の自己像が常に先にある」「自己像とのギャップが様々なアクションの動機付けとなる」ことです。
ざっくりと言いますと、無感情で鏡を見る事が難しい、ということですね。もちろん「慣れ」て無感情に近づく事は出来ると思いますけれど、何かを見つけてしまったら(鼻毛が出てるとか)やはり動かざるを得ないでしょう。
コンピュテーショナルフォトグラフィによるセルフィーは、この「理想の自己イメージ」に近づくための凄まじいテクノロジーとも言えますよね。「理想=
虚像」を観ると安心はするでしょうが、感情は動きにくくなっていくはずです。
若い世代が古いデジカメをエモく感じるのは、「修正がきかない写真」(今風に言えば「修正がきかない世界線」)に、鏡を見た時のようなざわつきを覚えるからかも、、なんて思いました。
なお、「鏡」が心や行動に与える影響については、様々な信仰や哲学の実践の中に見つける事が出来ます。私は全然網羅していませんが、面白いテーマだと思っています。
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