時間のヒューマンスケール2010年09月15日 23:58

「身体尺度」と訳されたりしますが、人を中心とした、人にあったスケールで物や空間を作ろう、というコンセプトを表現する造語だそうです。
エルゴノミクス、ヒューマンファクター、ユニバーサル、、それぞれは厳密には異なる思想ですが、ベースとなる人間中心の「思い」は同じでしょう。

医学や生理学の知見から見れば、人間の骨格構造や周囲の物理量に対する生理的反応は人類であれば普遍性のあるスケールが存在しそうです。
しかし、同じ欧州でもハンブルクとヴェネツィアの路地裏では全く違うように、実際にでき上がる空間や距離感は大きく異なりますから、風土や文化的背景はやはり大きいのでしょうね。

特に異なるのではないかと感じるのが、時間に対してのスケール感です。日本の電車が細密なスケジュールで運行されているのは世界的に有名だそうですが、私自身分単位の意識が根付いているのが実感されます。
今日お話し伺ったインドの方は、インドでは電車が数時間遅れることを気にしないそうです。インドが世界的に展開しているIT関連の事業に従事する方も基本的には同じ時間感覚だそうです。
日本人もインド人もその他の人も、長く住めばその地域に順応しますから、地域のもつスケール感があるようです。
本来は、人間の時間感覚は重層的なものでしょう。一生の中では目の前の事にあくせくしながら何十年と言う時間を待つ、ということが求められるのですからね。

今は短期的視点、短期的タイムスケールが支配的に感じる事が多いのですが、その中に長期的視点を内包することがとても大切なのだと思っています。
重層的なタイムスケールを持つことが、時間のヒューマンスケールといえそうです。
dmc.
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