ビジョンの共有と交換 ― 2024年09月18日 10:13
みなさまこんにちは^^
「人は交換したい生き物」という認知を得てから、色々と腑に落ちることがありまして。そのうちのふたつをご紹介します。
ひとつはなぜ「利他」があるのか。
倫理や宗教が利他にたどり着くのか。利他的な人ほど幸福度が高いのは何故か。この疑問に対する「人は与えたいものだから」「そして与えると同時に受領しているから」という回答がありまして、確かにそうだと思いますけれど、これを一言で「交換したい」と言い換えるのはとてもしっくりきます。
そして「交換によって価値が増す」という概念も肌感覚としての連続性を感じます。貨幣が生まれてくる流れも浮かんできます。
もうひとつ。
そもそもUIデザインは、人が交換したいと考えないと成立しないものだ、ということ。
人とモノのインターフェイスでは、モノの姿が人に行為を促し、人はその行為を行い、モノはそのフィードバックを人に返し、人はそのフィードバックから次の行為にうつる・・。アフォーダンスとかメンタルモデルとかで説明されるUIのミクロの仕組みです。
この「人を促す形(アフォーダンスがある)」とは、例えば椅子は座る形、ボタンは押す形、ノブは回す形をしている、と説明されます。そしてこの形の意味は既に「メンタルモデル」として持っている、もしくは過去の経験から捻出される、と説明されます。この内的な意味群を獲得する経験は、乳幼児の観察によっていくつも見いだされています。
(言語の獲得については今井むつみ秋田喜美共著「言語の本質」が面白いです。)
で、この意味を獲得して行くことがまさに「交換」なんです。自分がした行為そのもの、その軌跡(地面に残る指先の跡とか)、発した音、それらのものと、その結果が結びつくこと。これを「交換」というメタファーで捉えられるんです。
・・・ちょっと分かりにくい話かも。私が興奮している理由が今一つ書けていない気がします。すみません。。
「交換」を「ギブ&テイク」と言い換えたらどうでしょう。人が何かを行うと、そこに情報のギブ&テイクが行われている。ギブとテイクが同時に起きている。この「同時性」が私にはツボなのでした。
続きはまた。
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