UIは「意味世界」と「物理世界」のインターフェイスである ― 2024年09月20日 18:06
みなさまこんにちは^^
UIが「人は交換したい生き物」という特性があるから成立する、というお話をしています。
「交換」に着目していますが、交換と同時に大切なのが「共有」です。言語が情報交換であると同時に、情報の共有であることは理解しやすいです。
小さな子供がぬいぐるみを指して「この子は赤ちゃんね」と一言いうだけで、その場の集団はそのシチュエーションを共有し、一つの世界をつくって行きます。これって凄いことなんですよね。
カラスは知能の高い生物として知られていて、単独では8歳程度の子供より頭が良いそうですが、2人で椅子を動かすような共同作業が出来ません。また、集団で狩りをする動物は共同作業をしますが、特定の学習期間に獲得しないと出来ないまま一生を過ごすそうです。ましてや、おままごとのようなごっこ遊びは出来ません。(動物は出来なくて人間だけが出来る、というものは本当はまだ観察されていないだけ、ということも多いので、今後変わる可能性がありますが)
ごっこ遊びに見られる「イメージの共有」が、人を人足らしめたと考えるのが現在の主流です。イメージは、目的、役割だけに留まらず、世界観、価値観、思想、倫理、宗教に及びます。これを仮に「意味世界」とまとめますと、人はまさにこの「意味世界を交換、共有したい生き物だ」といえるでしょう。
さて、UIは操作性に関わるところが主ですけれど、物理世界の理屈だけでは説明が出来ないことがあります。
例えば、ちょっと昔の話ですがウォークマンとiPodを比較しましょう。
ウォークマンはボタンが複数ありました。その方が使いやすく、理にかなっていたのです。そしてボタンは多い方が「高機能で値段が高い」ものでした。
一方iPodは特徴的なホイールUIだけで全ての操作を行いました。物理的には非効率な構造でしたが、メニュー構造を理解しやすく「スマート」に見えました。これは歓迎され、その後のUIに多大な影響を与えます。
UIデザインの現場において、iPodのスマートさがウォークマンを古くさく見えるものにした、という事実はちょっとした衝撃でした。iPodの意味世界がウォークマンの意味世界より「素晴らしいもの」として歓迎されたからです。これは思想戦だったのだ、とあらためて思い出されます。
「UIは『意味世界』と『物理世界』のインターフェイスである」
このことを意識する機会は少ないかもしれませんが、絶対に忘れてはならない視点です。
うーん、やっぱり倫理にまで行きますね、今後は。
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