「夢はかなう」と言っていい ― 2024年09月27日 10:57
みなさまこんにちは^^
野球はおかきですか?私はスポーツ観戦全般が好きで、野球では地元チームを応援しています。アメリカでは大谷翔平が大暴れしていまして、それも楽しみです。
少し前に五輪がありまして、メダリストの多くは「夢はかなうと伝えたい」という様なことをおっしゃっていました。スポーツ選手の多くは、実感として「夢はかなう」と言い切ります。
ここで興味深いのは、才能がなく諦める人が一般の人よりも沢山まわりにいる状況の中で、それを感じていることです。
さて、目の前の子供が目をきらきらさせて「大谷みたいになる!」と言ったら何と答えますか?「きみなら出来るよ!」それとも「いやそれはちょっと・・」でしょうか。
さらに、社会人になって久しい同僚が「大谷みたいになる!」と言ったら・・・?
ニュアンスは異なれど、未来のたっぷりある子供には希望的な答え方をし、大人には現実的な話をするのが一般的でしょう。
今日の話題は、この子供に対する答えとして、現実的な話をした方が良いという論調があると知りまして。
現実的な話というのは、「才能は人によって差があるから誰でも出来るものではない。」「才能を見極めず出来るというのは無責任である。」「向いていないことに時間とお金と努力をつぎ込むのは徒労である。」「好きなことを仕事に、なんて言葉に惑わされると一生を無駄にする」といったお話です。
間違ったことは言っていない感じはしますよね。でも、私は、これをいう大人はあまり信用出来ません。
それは「自分の才能に出合うプロセス」として、自分を無条件に信じる期間が必要だからです。
私の話で恐縮ですが、私がデザイナーになろうと決意した高2の時の美術の成績は10段階の2でした。私が恵まれていたのは、無理だよという大人より身近に「きみなら出来るよ」と言ってくれた大人が複数いたことでした。私には自信も根拠も全くなかったものの、不思議と何時かはたどり着ける、と信じられたのでした。
高2男子相手なら「いやいや現実を見て勉強しなさい」と言われても不思議はなかったでしょう。
同じ人でもその時の気分でいくらでも変わりそうな無責任な意見の中で、先に多くの肯定的なものに触れられたのは、幸運そのものでした。
その後デザイナーとして修業を積ませて貰い、その世界でいかせて頂いています。それを今振り返りますと「デザインに活かせる能力を探り当て、それを活かせる場に巡り合う時間が持てた」という感触があります。
初期の無邪気な決心が、不運や厳しい現実の間に"極くたまに訪れる幸運"を掴む力になったのです。
同時に、デザイン以外のことにも沢山手を出して沢山諦めました。「好き」「やって見たい」ということに躊躇無く取りかかり、そしてダメと思い知る。これを続けると自分の「好き」の中から「向いてる/向いてない」が見えてくるようになります。これもあり難いことでした。
夢をかなえた人の「夢はかなう」は説得力があります。それを真に受けて行動を起こすことが、自分の才能と出会うプロセスの第一歩となります。
ですから、夢をかなえた人には「夢はかなう」とどんどん言ってもらいたいですね。
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