まだまだ現役!(木製電柱)2012年12月03日 23:41

現役の木製電柱
またまた電線の写真で失礼致しますが、昨日みかけた木製電柱です。幹、というのでしょうか、表面がつやつやしていてなかなか味わいがありました。

木製のものはもうすっかり無くなったと思っていましたが、現役で使われていました。
永く残る木造建築を思い返して見ますと、もしかしたら環境が揃えばコンクリート製のものよりも寿命が長いのかも知れませんね。

ところで、、最近ちょっとブログをお休みしてしまいましたが、また再開いたします。またゆるりとお付き合い下さいませ。よろしくお願いいたします!
(あいてしまった空白も少しづつ埋めて行ければと思っております。)

家電のイメージ2012年12月04日 08:49

末広町のグラフィック
先日、出先の地下鉄末広町駅で見かけたイメージグラフィック(?)です。駅名看板の下に大きく設置されていました。
秋葉原が近く、「この駅も便利ですよ」というアピールのためでしょうか、家電が大きくデザインされています。
ここに描かれたイメージはもちろん古いのですが、きちんと認識出来るという意味で、普遍的ではありますね。

最近の製品は「ログイン後」に価値がシフトしているため、製品自体がブラックボックスとなりがちです。したがって、物としての象徴性が少なくなってきていますので、このイメージが認識出来る事の時代性を感じてしまいました。

情報量と密度2012年12月05日 23:23

最近、数年前に携わらせて頂いた仕事の続きといいますか、関連のある仕事をさせて頂く事が重なりました。この変化の激しい時代に、またあらためて業務にあたらせて頂くのは大変あり難い事です。ありがとうございます!

そのことを通して、改めて実感したことなのですが、一つの事柄、単位時間あたりの情報量が倍々で増えているのですね。コンピューターや端末は勿論、私たちが目にする映像やテキストや、一つのアウトプットに込められたコンテキストも格段に増えています。

話が飛びますが、圧縮音源はやはり欠落する情報が多く、耳の肥えた人でなくても次第に物足りなくなるのだそうで、大容量の音源が増えてきているそうです。
同じ音楽の同じ3分でも、容量は2桁、3桁の差がありますが、それを私たちは「音質の違い」という感覚として受け止めます。逆に圧縮音源が100曲あっても質感は向上しません。

これ、当たり前なんですが、今も増え続ける情報量と照らし合わせて捉えますと、「情報量が密度を増せば質が上がる」という見方ができるかもしれません。
つまり、単位時間あたりに沢山の情報量があることが質を向上させるのです。大切な事は「単位時間当り」ということですね。忘れないようにしなければと思います。

フローの中で2012年12月21日 23:54

再開まもなく、また日をあけてしまいました。
そして恥ずかしながら再度の再開、でございます。

さて、、何かに没頭している時で、集中しながらも冷静でいて成功の手応えがあるような時がありますが、それをフロー状態、スポーツではゾーンなどと呼ぶのを知っている方は多い事でしょう。私はこの6週間あまり、一つのプロジェクトを通じて沢山のフローを経験しました。
一部の一流スポーツ選手だけでなく、調理や販売などの手慣れた作業の中でも、日常的にフローを体験している人は幸福度が高いそうです。確かに長く続く集中力と短くとも質の高い睡眠の連鎖は大変心地よく、充実感に満たされていました。その中で沢山の思念が想起され、沈んで行きました。その繰り返しの中で、久しぶりにアップグレードを感じました。
なんのことはない、誰でも一つの作業に没頭し続ける事さえできれば体験することなのですが、私にとりましてはとても意義のある事でした。

それはどんなアップグレードかと申しますと、「時間」というものの手触りが確かにあったと言う事です。前回の記事にも書いたのですが、一定の時間当りの量の差は、質の差に転化するという実感があります。言い方を変えますと、量と質の相関は時間との関わりによる、ということです。
しかし、ただ時間当りの密度を上げるのがよいと言う事ではなく、短時間になすべきことと長時間を費やすべき事があり、それらは表裏一体の関係にあるという、少々飛躍した認識が、今回の私の感じたアップグレードでした。

うーん、、うまく言葉にできなくてまだまだなのですが、稚拙を許して頂いて記しておきたいと思います。

フロー:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AD%E3%83%BC

「美術が扱うのは本質ではなく、表面だ」 会田誠2012年12月25日 23:02

「考えない人」会田誠
同い年の天才、会田誠の個展を観てきました。
こちらは写真撮影可能な「おにぎり仮面」の巨大な彫刻「考えない人」という作品です。

氏は「巨大フジ隊員VSキングギドラ」という大きなセル画や、「紐育空爆之図(にゅうようくくうばくのず)」という襖絵が有名ですが、私は沢山の少女たちがジューサーミキサーの中で撹拌されている「ブレンダー」と、がらくたを集めたような無節操さが始めに印象に残りました。

出世作となった「犬」シリーズは残酷さと無邪気さの対比が痛美と思うのですが、その画力だけでもじっと魅入ってしまいます。
その画力と散らかった作品群(散らかった状態を望みます、との弁も)と氏の言葉から、返って本質のようなものがちらちらと見え隠れしている、、そんな気がしなくもありません。

「本質と表面」の本当の処は判りませんが、対比の面白さと技量の確かさの表層的で美しいバランスは見ていて飽きませんでした。

森美術館で3月31日まで
会田誠展:天才でごめんなさい
http://www.mori.art.museum/contents/aidamakoto_main/index.html

(それから新作が二点ありますが、その二つ目はなんと「電信柱とカラスの屏風絵」欲しい!と唸ってしまいました)
dmc.
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